第12話

 帰り道、落ちかけの夕日が赤川に掛かっている橋と交差している。川に映る二つ目の太陽すら直接見てはいけないと信じ込んでいたのは何歳までだっただろうか。そんな子供の頃を思い出して少し笑みがこぼれる。


 この川は隣県との境にある山を源として、日本海に面したこの町を貫いて流れている。春には堤防沿いに長い桜並木が出来上がり、遠くからきた観光客で賑わう。あまりにも身近だったからか、その価値に気づくまでしばらくの歳月が必要だった。

 ここは堤防と川岸までの距離が広く、あと一か月もすれば地方でも有数の花火大会の会場にもなる。そしてそれ以外では、広大な平地を利用した運動公園としての使用が基本となっている。今だって堤防から眺め下ろす河川敷には、たくさんの子供たちの姿が見える。様々な道具を片手に、広いグラウンドを駆け回っている。


 そんな子供たちの姿を横目にして、俺は肩にかけた鞄を地面に置き、それを枕のようにして土手へと寝そべる。

 そして一つずつ、ここまでに起こった出来事を頭の中で思い出していく。


 まずは訳の分からないうちに始まった瀬畑の相談だ。瀬畑は、自分と野球部のエースである木牧との関係性を教えたうえで、木牧が自分のことをどう想っているかを一緒に考えて欲しいと言ってきた。

 考えること自体は別にいいんだ。困っていれば助けたくなるのが人情というものだし、それが恋の悩みというのであれば、青春を尊ぶ俺には拒絶する道理もない。できる限りのことはしてあげたいと思ったのも確かだ。

 だがあそこでは、冷静に一つだけ整理しておかなければならない部分があった。


 それは瀬畑に対する俺たちの『立場』。


 今まで友達として交友関係にあった三琴はまだしも、会話するのは今日が初めての俺が彼女の恋心をフォローするというのは、どうもすんなりと理解が及ばないわけだ。いくら瀬畑が、男心を知りたいからと“口に出していた”としても。つまり俺はあの時点で、瀬畑と自分との距離感を図り損ねていた。


 しかし、それに対しては、八河が明確な答えを俺に提示した。 

 『学園厚生部』。

 いつの間にか所属させられていたこの部の活動の一環が、このお悩み相談であると八河は言っていた。そしてこの相談を解決することは、最終的に俺と八河の望みにつながるということも。


 俺の望みというのは単純明快だ。この学校で青春を謳歌すること、それに尽きる。

 彼女を作って海に出かけるでもよし、部活動に勤しむでもいい。ただ高校生らしいことをしたいという簡単な望みだ。だがそれらを達成するにはこの学校の制度はあまりにも窮屈すぎる。

 そして八河の望みもわかりやすい。彼女は人が人を想うということ、つまり恋を知ることが自分の望みであるといっていた。そしてそんな八河は、その望みを達成するために俺に告白してきたのだ。

 人が人を想う感情を知りたいと言っているのに、その最終的な出力結果である告白という行為のみにたどり着くというのは、なんとも本末転倒ではあるのだけれど。


「さて……」

 

 理解の及ばない八河という人間を想像しながら、俺はYシャツの胸ポケットに手を入れると、一枚の写真が出てくる。映っているのは、肩を抱えられながら涙を流しているユニフォーム姿の木牧だ。

 一年生の教室で後輩に木牧の話を聞いた後、俺は忘れ物をしたため一人だけ部室に戻った。そのとき、一枚の写真が机の下に落ちていたことに気づいた。大事な写真のうちの一枚であるはずなので、すぐにでも返したいのだが、居場所のあてがある訳でもない。明日返せばいいかと思い、ポケットに入れておいた。

 そういえば、いまどき現物の写真というのも珍しい。写真と言えばデジタル化された画像を言う昨今では、こうして生の写真をお目にかかる事すら中々ない。瀬畑が持っていたのは確かフィルム式の一眼レフだったはずだ。

 長い現像の工程を経て、こうして俺の手に収まっている写真を眺める。

 

「なんで応援に来てほしくないんだろうな……」


 写真の中の木牧は日常では見せることのない感情的な表情をしている。後ろに映る観客の服装からみて、きっとこれは夏の大会敗戦直後の木牧なのだろう。俺たちと同じ二年生の木牧は、去年の夏の大会から

 片方の肩をチームメイトに支えられて歩く木牧からは、見た人間の心を揺さぶるものが確かにあった。美しいとさえ、素人ながらに思う。

 そしてその一瞬を逃さず切り取っているのは、まぎれもない瀬畑の技能でもあるはずだ。

 だからこそやはり俺には、なぜ木牧が瀬畑を拒絶しているかが分からない。

 八河の反応や口ぶりから、生徒会の規則によって二人の関係性が罰せられることはおそらくない。

 あるいは瀬畑の一方的な片思いなのかとも思ったけれど、写真で見せる木牧の表情や瀬畑の発言から、木牧の方も瀬畑を悪く思っていないことはわかる。……まあ瀬畑がとんでもない妄想癖を持っていないことが前提だけど。


 なにより、あいつは野球部のエースだ。花形役者で、試合の命運を左右する立場にある。背中についた1番の背番号は望んだ誰しもに等しく与えられるわけじゃない。後輩君も、木牧の投げる姿に憧れて、この学校に進学してきたと言っていた。

 恥ずかしい話、俺が何かのスポーツで目覚ましい活躍を果たせるのであれば、誰かに応援してもらいたいし、ちやほやだってされてみたい。そして好きな子に応援してもらえる機会があるのであれば、誰が断るというのだろう。

 木牧はこの写真にすら悪い反応を示していないらしいことから、負ける姿や泣く姿を見られたくないというわけでもないらしい。


 やはり、木牧は瀬畑の事を好きではなくなったのだろうか。あるいは別の想い人が出来たとか。

 それなら話の筋は通る。でも俺にはなんだかしっくりこない。いや、そうであって欲しくないと心の底で思っているだけなのかもしれないけれど。


「――あれ、芦間くん?」


 突然背中側から声が聞こえてくる。聞き間違いでなければ、俺の名字を呼んでいたはずだ。振り向くと、そこには買い物袋を片手に下げた私服姿の瀬畑が立っていた。そしてその隣には、土のついたユニフォーム姿の少年がいた。脇に抱えたサッカーボールには、細かい傷跡がたくさん入っている。幼い顔立ちではあるが、目元が瀬畑そっくりだ。


「ねーちゃん、この人だれ? ねーちゃんのカレシ?」


 少年は俺の方に指を指しながら、隣の姉に向けて問いかける。


「ち、違うよ、颯太! この人は同級生の芦間くん、ちゃんと挨拶して」


「こんちはー」


 颯太と呼ばれた少年は、大きな声で挨拶をしてくる。素直な性格なのだろう。随分と姉になついているようだ。


「こんにちは。颯太くんはサッカー帰り?」


「うん、さっきまでスポーツクラブだったんだ。今日は練習試合だったんだけど、こうやってこうして相手を躱して……」


「颯太はサッカークラブのエースだもんね。少ししか見れなかったけどかっこよかったよ」


 褒められた颯太は大げさなぐらいの身振り手振りで、今日あったらしい試合についての解説を楽しそうに始める。学校終わりのし合いで疲れているだろうに、目を見張る体力だ。

 そんな颯太を隣にして、俺は手に持っていた一枚の写真を瀬畑に差し出す。


「これ、忘れてたよ」


「あ、やっぱり! ありがとう、この写真、特に大切なモノだったから、少し焦ってたんだ」

 

 大事そうに写真を受け取った瀬畑は、何かを確認するようにあたりをぐるりと見まわすと、颯太の方へ向けて口を開く。


「颯太、もうちょっと友達と練習してきたら?」


「え、いいの!? あ、でももうすぐご飯だから迎えに来たんでしょ」


 姉の反応を伺うように、颯太は上目遣いで尋ねる。

 そんな颯太の仕草の意味を完璧に理解しているかのように、瀬畑は続ける。


「お姉ちゃん、この人と少し話があるからさ。しばらくしたら戻ってきてよ」


 了解の声も途切れて聴こえるほどのスピードで、颯太は坂をくだり下りていく。あれでまだまだ遊ぼうとする体力があるのだから末恐ろしい。

 俺は颯太の背中を見送りながら土手の坂を上る。


「それ、大事な写真なんだ」


「うん。これはね、去年行われた写真の大会で金賞を貰った作品。そして、私が初めて木牧君に話しかけた記念の日の写真でもあるんだ」


 瀬畑はそう言って鞄からファイルを取り出し、陶器を扱うような手つきで大事そうに写真をしまい込む。


「学生向けの大会は毎年行われてるんだけど、私が賞をもらったのはその年が初めて。それまでは先生から言われて風景しか撮ってなかったんだ。別に風景も嫌いじゃないけど、その、やっぱり本当に撮りたいものの方がやる気も出るっていうかさ」


「ふう~~!」


「やっぱり芦間くんって三琴ちゃんの幼馴染なんだね……」


 突然のろけてきた相手に言われたくはないような気もするけれど。

 まあこれ以上茶化したら文句を言われても仕方ない。俺は丁度いいとばかりに、今日起こった出来事について説明する。


「瀬畑さんが帰ったあの後、野球部の後輩君に少し話を聞いたよ。彼が言うには木牧の様子におかしなところはない、だとさ。大会は近くてピリピリはしてるけどそれはいつもの事だともね」


「わざわざそんなことをしてくれなくても…………って、あんなに深刻そうな顔してたくせに何言ってんだって話だよね。実はあのあと私、みんなに迷惑をかけていたんじゃないかな、って考えてたんだ。三琴ちゃんも芦間君も優しいから、私が言わずとも愚痴を聞いた後の行動をさせてしまってるかも、って。やっぱり想像当たってたんだね。……本当にありがとう」

 

 瀬畑はこちらを向きなおすと深く頭を下げてくる。多分、俺としたい話とはこの件についてだったのだろう。

 正直、感謝される覚えはない。もしかしたら瀬畑は俺たちの行動を予想していたのかもしれないけれど、結果として行動したのは紛れもなく俺たちの判断だ。瀬畑が気に掛けることじゃない。だがそれを言っても、瀬畑は聞かないだろうけど。


「気にしないでよ。それに行動しようって最初に言ったのはうちの部長だから。お礼を言いたいならあいつに直接言ってくれ」


「え、部長さんが? 怪しい格好してたから変な人だと思ってたけど、本当にひどい勘違いしちゃってたみたい。お名前はなんていうの?」


 八河、と口に出す直前で俺は踏みとどまる。そういえば、あいつのやっていることは、捉えようによっては風紀委員への背信行為ともとれる行いだった。瀬畑は誰かに秘密を漏らすような人間だとは思えないけれど、誰がどこで聞き耳を立てているか分からない。申し訳ないが秘密にさせてもらうよりない。

 言いあぐねている姿から何かを察したのか、瀬畑は口を開く。


「やっぱり聞かないでおくね」


「そうしてもらえると助かるよ」


 八河は、曲がりなりにも俺の望みを叶えようとしてくれている。それがどのような手段なのかすら今のところ分かっていないけれど、あの時の彼女の眼は紛れもなく真剣なものだった。

 その眼が真実なのかどうかを判断する以前に、俺が話を台無しにするような事態は避けなければならない。


 遠くを見つめる瀬畑の視線の先には、弟の颯太がいる。サッカーゴール周りの数人の友達と一緒に、一つのボールを追いかけまわしていた。


「いいよねー、あんなに体力あって。私、生まれてこの方文化系だから運動はてんでダメなんだ。知識もまったくないし」


「まあ確かに、瀬畑さん体力なさそうだよね」


「そういう芦間君は?」


「少し野球を」


「どのくらい?」


「小学生のときに、一年間」


 一本立てた人差し指を見て、瀬畑から小さく笑い声が漏れる。しかも情けない話だが、入部して半年も立たないうちに骨折して、そのまま辞めてしまった。だから一年というのも少し怪しい。しかしその事実は瀬畑には黙っておくことにする。


「だから木牧は凄いよ。練習と勉強、片方でも大変なのに両立させててさ。……あと恋愛もか」


「だといいけどね」


 小さく笑う瀬畑の顔には、先ほどの笑顔のような軽さは感じられない。


「木牧は一年生の頃から有名だったんだ。中学生と高校生では体の出来上がり方も違うっていうのに。でも別に過度にストイックって訳じゃなくて、去年の学校祭ではみんなでバカやってたよ」


「へえ、知らなかったなあ。多分、芦間くんの方が木牧君について詳しいんだろうな」


「角度が違うだけじゃないか? 俺は野球をしている間の木牧のことなんて全く知らないよ」


 俺が木牧について知っていることなんて、意外と本が好きだったり、出来れば丸刈りにはしたくなかったり、下世話な話には顔を赤くしたり、そんな言語化できるような特徴だけだ。

 誰かが語る人物の情報なんてのは、図形の一側面のようなものだ。見る角度によっていかようにも姿を変える。

 誰にどの面を見せたいのか。どこまで光を当てて、どこまで当てないのか。そうして段々と、隠していた芯の部分までも。その濃淡で関係性というものは色づいていく。

 ふと、八河という人物についても同じことが言えるのか気になった。

 俺は彼女について知っていることが本当に少ない。利き手も趣味も、好きな食べ物や誕生日も、何に心を揺さぶられるのかだって、何もかも知らないのだ。

 もしかしたら八河がこの世界に見せている姿は彼女のほんの一部分でしかないのかもしれない。東の空に薄く浮かぶあの天体みたいに。


 目を凝らすと、遠くで駆け回る颯太がここからでも見える。近くにいる友達も同じユニフォームを着ていることから、彼らはチームメイトなのだろう。その中でも颯太の背中に刻まれた10番の数字はひときわ輝いている。


「あの年でエースか、凄いな」


「低学年のみのチームらしいんだけどね。颯太、チームを勝たせるんだって凄く張り切ってて。応援に来て欲しいってよく言われるんだ。そのエースの姉は、恥ずかしいことにサッカーのルールなんて全く知らないわけなんだけど。

 ねえ知ってた? サッカーって自分のゴールにシュートを決めちゃいけないんだよ」


「……それはまずいね。あれ、それじゃあ野球のルールは?」


「勉強中だけど段々と覚えてきたよ。打った球がスタンドに入れば勝ち、だよね?」


「……方向性は間違ってないね」


 もしかしたら木牧は野球のルールを知らない瀬畑に呆れて愛想をつかしたのかもしれないと感じてきた。でも勉強の姿勢はあるようだし、何より野球はそもそもルールが複雑だ。シンプルなルールのサッカーに比べて、覚えづらいのも仕方ない。


「野球部のエースかぁ。木牧君、二年生からエースになって責任も出てきて。それで私のことなんかどうでも良くなっちゃったのかな」


「そんなことない、と言い切りたいけど……」


 言葉に詰まった俺に気付いたのか、瀬畑は苦い笑いを浮かべる。そして話を切り替えるかのように、肩にかかったカメラを取り出して電源を点けた。

 開かれた液晶画面には、つい先ほどまで活躍していた颯太の姿が収められていた。様々な画角で映し出されている颯太からは、今にも動き出しそうな躍動感がある。

 一枚一枚確認していく中で、俺はカメラについて、一つのことに気付いた。


「そういえばこれ、さっきのカメラと違うんだな。てっきりデジタルは使わないものだと」


「今年の春に買ったんだ。小さくて便利ではあるんだけど、まだどうにも慣れなくて。今は練習中なんだ」


 生まれてこの方デジタル人間の俺には、フィルム式カメラの方がよっぽど難しそうに感じるけれど、どうやら瀬畑からしてみればそうでもないらしい。なんでも慣れが大事ということなのだろうけれど。


「でもさ、別に使い慣れてるフィルムカメラで良いんじゃないのか?」


「デジタルでの応募のみって大会も段々と増えてきたからね。だから練習しておくに越したことはないんだ」


「フィルム式を全て」


「うーん、難しい質問だね。例えば高校生にとってフィルム代はかなり負担になるし、画質という点で言えばデジタルに軍配が上がるよ。お手軽だし、撮った写真の良し悪しもすぐにわかる。フィルムはデジタルの完全劣化だー、っていう人の声も聞いたことあるよ。でもね、フィルムにはフィルムの良さがあると私は思うんだ」


 矢継ぎ早に、それでも諭すような口ぶりで瀬畑は続ける。


「光の取り込み方一つとっても撮影者の腕が出るし、デジタルにはない優しい味わいも感じられる。そして何より、現像された写真が出来上がってそれが自分の想像以上の作品だったときの感激は、決して言葉では言い表せないんだよ。だからフィルムもデジタルも、どっちも使いこなして初めて写真家といえるのだと、私はその、思うんですけど……」


 すぼむ様な言葉尻で、瀬畑は視線を遠くに逸らす。どうやら自分の世界に入り込んでしまっていたことに気付いたらしい。

 恥ずかしがる理由も分かるが、俺は決して嫌ではなかった。写真やカメラについて語る瀬畑の表情は、木牧について語っていた表情と全く一緒だったからだ。

 自分の好きなモノについて語る人間は、見ているだけで気持ちいい気分になれる。


 俺はデジカメのボタンを右に押し、颯太の写真を一枚一枚見ていく。そうして次の写真を見ようと右を押すと、写真に映っている季節が明確に移り替わる。どうやらフォルダの最後まで来てしまったらしい。

 そのままボタンを押すと、俺は一枚の写真を目にした。木牧の姿だった。

 部室で数々の木牧の写真を見せてもらったが、これは見覚えが無い。


「ああ、それは今年の春の大会の写真だよ。そういえばさっきは見せてなかったね」


「もう少し見ても良いか?」


「うん、別にいいけど……」


 許可をもらい、俺は一枚ずつカメラフォルダを進めていく。

 写真を調べる明確な理由がある訳じゃなかった。ただ、少しだけ、ほんの少しだけ、この写真の中の木牧の表情は、これまでの写真とは違う感情が見えた気がした。

 十枚程度進めたところでだろうか、俺はある一つのことに気付く。


「この写真の中の木牧、どれも瀬畑さんの方を向いていないんだな」


「うん、実はこの日は元々写真部の用事で応援に行けない予定だったんだ。でもその用事が早く終わって、内緒で写真を撮りにいったの。変に意識させても悪いし、何より自然体のままの木牧君も撮ってみたかったから」


 瀬畑は続ける。


「そういえば、木牧君が私と距離を撮り始めたのはこの写真たちを見せてからだったと思う。デジタルだから気軽に送っちゃったけど何か気を悪くさせたのかな。でも写真自体はこれまでだって見せてたわけだし……」


 確かにそれはそうだ。隠れて写真を撮ることと、許可を撮ってから写真を撮ること。それ自体に大きな違いはない筈だ。瀬畑の機嫌を損ねるきっかけになったとは考えにくい。

 

 それにしても、瀬畑は的確に木牧の表情を切り取っている。というか顔を。

 やはり被写体は正面から撮るのがセオリーなのだろうか。


「あ、そういえば見て欲しい写真があるんだ」


 身を乗り出して俺とカメラの間に顔を近づける瀬畑は、ボタンを押して望みの写真へとフォルダを進める。


「ほらみて、エースナンバー。いつもは正面からの写真しか撮ってないからさ。背中側からの角度ってのも良いモノだよね。この構図、結構お気に入りなんだ」


 屈託のない笑みを浮かべる瀬畑。

 本当に純粋に、木牧と写真が好きなのだ。誰から見ても分かる。

 

 だから、俺がやらなければいけないことは、この笑顔を見た時点で分かり切っているのだ。


「ごめん、ちょっと用事を思い出したから学校に戻るよ。颯太くんによろしく言っておいて」


「え、うん。分かった! それじゃあまた学校で」


 瀬畑に向けて後ろ向きに手をあげ、俺は来た道を戻る。

 南に下る夕陽は、行きとは異なる黒い影を、俺の前方に伸ばしていた。

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