第2話 猫探し

『探偵事務所 シロナガスクジラ』

 依頼人は木製の看板がぶら下がる事務所の扉をたたいた。

 些かの年季の入ったビルである。軋みを感じるし、何とも言えない不安に駆られたりもするが。依頼人は思い切って、扉を開けることにした。



「猫探し、ですか?」

 話を聞いた探偵は言葉を発する。

 依頼人は手元の名刺に目をやる。

『探偵事務所シロナガスクジラ所長 探偵 白流須いるか』

 と書いてある。

 可愛らしい名前の通り、可愛らしい見てくれの探偵だった。

 女性にしては背は高いほうだが、際立って高いわけではない。

 大人っぽさと童顔が混じっているような顔立ち。

 大して体は割と凹凸がしっかりしている。

 年のころは20代後半くらいだろうか。若いのにしっかりしているわねぇと、依頼人の女性は内心で思う。

「お客様――酒井さんの愛猫であるミュウちゃんが一週間前から行方知れず。保健所にも届は来ていないと」

「はい、そうなんですよ。ミュウちゃん、最近全然見つからなくて、まぁ猫なんて割とふらっとどこかへ消えちゃうものなんですけどね。ほら! アタシってばおおざっぱだからそういうの放任しちゃうんですけども! ……ほら、流石にこんなに見かけない、っていうのは初めてで……試しに探偵さんに調べてもらってもいいかしらって」

「そうですか」

 いるかは相槌を打ちながら依頼人である酒井夫人を観察する。


 某高級ブランドで全身を固めたコーディネートはしかし、気にいった服をてきとうに見繕ったかのようなトータルコーディネートのアンバランスさがある。

 手に持っているハンドバックもまた高級品だが、ところどころに傷や汚れ、ほころびが見える。おそらく、かなり雑に扱っているのだろう。

 顔立ちや体つきから年齢は五十代半ば。

 化粧が濃いが下地を怠っているのだろう、なんか浮いている。


 金持ちだが、がさつ。よく言えばおおらかだが、悪く言えば雑でおおざっぱ。

 猫が行方不明になったのも、この落ち着きようを見れば初めてではないのだろう。普通、ペットの行方が知れなくなればもう少しとりみだすものだ。

 少なくとも、試しに探偵に頼んでみようかしらとはならない。


 こういうお客様は大事だ。

「ご依頼、お受けいたします。つきましては、ミュウちゃんのできるだけ詳細な特徴をお教えいただければ、……あ、あとご依頼料金等々につきましても……ハル!

お茶を淹れて!」

「はーい」

 いるかが呼ぶと、事務所の奥から人影が現れた。

「あら! 可愛い坊や……お嬢さん?」

「ぼくは男ですよ。一応ね」

 少年は気楽に笑う。

 黒髪黒目とやけに白い肌。まるで天女のような綺麗な顔立ちは一見するだけでは性別が判然としない。

 全体的にダメージつよめの黒い服が印象的な美少年だった。

 少年は胸元につけたネームプレートを掴んで自己紹介をした。

「北向ハルです」

 少年は自分の名前を紹介すると、にこりと笑う。

 酒井はしばらく彼の顔に見惚れていたあと、少々興奮気味にいるかに向き直った。

「可愛い男の子ね! あなたの息子さん!?」

「い、いえ。……ええと、親戚の子ですよ! 苗字も違うでしょう? 今預かってて、アルバイトという形で雇っているんですよ!」

 なんだか慌てた形でいるかはそう言い訳をする。

 釈然としない様子の酒井夫人だが、ハルがすぐにお茶を淹れると、上機嫌になっているかとの会話を始めた。

 途中何度か(何度も)脱線しまくる話をどうにか収集付けて、依頼を受ける手筈が整うことになった。



 翌日。

 白流須いるかと北向ハルは町に出ていた。

 猫探し自体は割とよくある仕事の一つなので、いるかの頭の中には町中の猫の縄張りマップがインプットされている。

 飼い猫とは言え、外に出れば野良猫との縄張り争いに巻き込まれるのは必至だろう。そこを考えて、縄張りマップを脳内で敷くと、おのずとミュウちゃんの現在地は予想がつく。

「ま、それは死んでなければの話だけどねぇ」

「そんな不吉なこと言わないでよ。そんなだからいるかは友達がいないんだ」

「いますが? てか人間社会に来てなんか結構な速度で馴染みだすハルのほうがおかしいが?」

 そんなやり取りをふたりは繰り返す。

 北向ハルは、人間ではない。もとは人魚だったのだ。

 色々あって、もともと住んでいた湖にはいられなくなったのでこうして陸に上がり白流須探偵事務所に転がり込み、人間社会に溶け込んで暮らしている。

 ハルの適応能力は目を見張るものがあり、あっという間に人間社会に溶け込んでしまった。

「おはよう、ハルくん」

「こんにちはー」

「今日もいい天気ですねー」

 なんだか街中でも声を掛けられる係数が増えてきた気がする。

 

 ふと猫が目の前を横切った。

 依頼のミュウちゃんではなく、どこにでもいるような野良猫だ。

 だがそれに、いるかは怪訝な表情を作る。

「おかしいな。あの猫の縄張りはここらへんじゃなかったはずなんだけど」

「じゃあ、聴いてみる?」

「え?」

 怪訝な表情をしていたいるかはハルの言葉にさらに怪訝な表情を重ねる。

 そんな彼女とは裏腹にハルは目の前にいる野良猫の傍に近づいて、何やら人間には聞き取りづらい発声を行った。

 しばらくそうやって、ハルは野良猫と向き合う。

 しばし立って、野良猫は去り、ハルは立ち上がる。

「ついてきてだってさ」

 野良猫のあとを、ハルは走り出す。

 その後を、いるかは怪訝な顔でついて言った。



「あ、ミュウちゃんだ」

 街の中の、入り組んだ路地の裏、その奥まった、いるかも知らないような場所に猫の集会所が存在した。

「……」

 そしてその真ん中、たくさんの猫に囲まれて、独りの人間が――、否。

 人間ではない人型がそこにはいた。

 腕は人間と呼ぶには異様に長く、脚は人間のソレには異様に短い。

 そして異様なのは頭部だ。

「……ゴキブリ?」

「ゴキブリ――昆虫網ゴキブリ目、この惑星に古くから住む虫の名前。尊敬すべき先人ではあるが、知的生命体に対してかけるべき表現ではないね」

 怪人はのっそりと動き、こちら――ハルを見据えた。

 ハルは周囲を横目で見渡す。『幽霧』をもったいるかはまだ来ていない。

 あたりには尋常ではない猫の群れ。

「まあ、待ちたまえ。私に敵意はない。同じ異星人どうし、仲良くしないかい?」

「……ぼくは地球人だよ。地上人でないだけで」

「おや、それは失礼をした。しかし君もこの惑星を支配しているホモ・サピエンスではないのだろう? 過去の原住民とかかな?」

「まあ、それは……そうだが……」

 ハルは慎重に相手を吟味する。猫の集会所に佇む、異星人。行方不明になっていたミュウちゃんの存在。

 どう見ても関連があるが、そこから推測をはたらかせるには流石に地上での経験が不足していた。

 ので、ハルは直接聞いてみることにした。

「きみ、こんなところで何してるの? この猫たち、きみのことをまるで警戒していない。……いや、きみの意識が全猫に共有されてるね。何を企んでいるのかな?」

 斯くて、宇宙人は実に当たり前に、普通に答えてくれた。

「猫に私の意識を共有していることに気づいたのか。……いや、別に地球を侵略する気は私にはないのだよ。私は星の代表者としてではなく、私という個人としてこの惑星にやってきたのだ」

「何のために?」

「独立するためさ。ケーキ屋さんになろうと思っているんだ」

 異星人はそんなことを言った。

 なんだか前向きで明るい声で、少しばかり面食らう。

「猫たちと意識を共有したのは、この街の地形を把握したかったからだよ、店を出店するのに立地は重要だからね」

「……きみが利用した猫の中に捜索願が出ているのがいる……その猫だけでも返してもらえないかな? そこのミュウちゃんっていうんだけど」

「うん? ああ、いいとも」

 ふつ、と何かが断たれる音がした。

 するとミュウちゃんはいきなりきょとんとしてあたりを見回しだす。

『おいで、ミュウちゃん』

 ハルは猫にしかわからない言葉でそう呼び掛けた。

 彼女はおずおずといった形でハルの傍に寄ってきた。

 それを抱き上げる。

「大人しく言うことを聞いてくれてよかったよ。ぼくも『幽霧』の露と消える生命は少ないほうがいいと思うからね、あの刀はなんか嫌いだ」

「『幽霧』? 『幽霧』がくるのか?」

「うん。もうすぐ持ち主が来るはずだよ。……って、良くあの刀を知っているね」

「まあな。アレに斬られた侵略者の話は枚挙にいとまがないよ。まもなく来るなら、私もこの場を去らねばね」

 ふつ、ふつ、ふつ。次々と糸が断たれ、猫たちは今日トンとした顔になっていく。

「ねえ、きみ。本当に侵略は目的じゃないの?」

「もちろんだとも。そもそも私にこの惑星を侵略するための軍事力も目的意識も意味もない」

「じゃあなんで、ケーキ屋なんて始めるんだい」

「好きだからさ。というのもあるんだが、それ以上に理由があってね」

「理由?」

 ハルが尋ねると、宇宙人はそのぎょろぎょろとした目をキラキラと輝かせていた。

「自分のしたいものをさがしに来たんだ。星から飛び立ち、こんな辺鄙な惑星に来て、そうして見つけた。それがうれしくて、色々やってみたくなったのさ」

「……」

 ハルは何も言わない。

 ただ、その宇宙人のことがどこか眩しかった。

「じゃあ、ぼくはもう行くよ。『幽霧』の持ち主には旨い事説明しておくよ。じゃあ、頑張ってね」

「ああ。頼むよ」

「ああ」

 ハルは軽く挨拶をして、その場から駆け出した。

『自分のしたいことをさがしに来たんだ』

 どういうわけか宇宙人の言葉が脳裏をよぎる。

 しばらくの間、彼はそのことを考えていた。



 いるかには事情を説明して、ミュウちゃんを渡した。

 まもなく、飼い主と合流し、今回の依頼はつつがなく終了した。


 街の中に新しいケーキ屋が出来るらしい、今度行ってみようかなとハルは窓辺でぼんやりと考えている。

 不意に、事務所の扉が開いた。

 飛び込んできたのは先の依頼人だった。

「大変! またミュウちゃんがいなくなっちゃった」

 猫というのは気まぐれな生き物らしい。


 こんなやり取りをこれから何度も探偵事務所シロナガスクジラはこの依頼人と繰り返すことになる。

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怪奇探偵シロナガスクジラ 葉桜冷 @hazakura09

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