落語 羅宇屋の女房

紫 李鳥

落語 羅宇屋の女房

 


 えー、秋風亭流暢しゅうふうていりゅうちょうと申します。


 一席、お付き合いを願いますが。


 えー、正月は師匠の新潮が突然お邪魔し、びっくらこいたことと存じますが、幸いにも支障をきたして静かにしております。師匠だけに。


 ここでいつもの小話を一つ。


 今年の夏はやけに暑いな。


 そうなのよ。暑すぎて幽霊も出ないわ。


 どうしてだい?


 令和、霊は出ないわ。


 ん! ん! ま、令和と霊はを掛けたわけですが、大したことねぇな。




 えー、本日の演目は『羅宇屋の女房』でして。羅宇らうとは、たばこを詰める火皿の雁首がんくびと吸い口を繋ぐ部分のことで、羅宇屋はその羅宇の掃除や交換をする職業だったわけですな。


 えー、羅宇屋の仙吉は働き者の上に馬鹿が付くほどの真面目な男だ。明六つ(午前六時)には起き、女房のおさよが作った朝飯を食うと、行商に出かける。暮六つ(午後六時)には帰宅して、おさよが作った晩飯を食う。判で押したような暮らしぶりだ。


 ま、たまの贅沢ぜいたくと言や、棒手振ぼてふりから買った天ぷらや寿司で晩酌をするぐれぇだ。


「お前さん、ご苦労さん。さあ、どうぞ」


 おさよは、晩酌を欠かせない仙吉に酌なんぞして、労をねぎらうわけだ。


「ん~、うめえ。おめえが注いでくれた酒は格別だ」


 仙吉は冷奴ひややっこなんぞつまみにして満足げな表情だ。


「お前さんが帰ってくると嬉しいもの。このぐらいのことはさせておくれな」


 おさよが色っぽい目で見た。


「俺は幸せもんだな。別嬪べっぴんの女房に、うまい酒。これ以上の贅沢はないやな」


「そんなふうに言ってもらえるなんて、私も幸せもんよ」


 おさよは嬉しそうに、仙吉が手にしたぐい呑みに徳利を傾けた。


「……子供がいたらもっと幸せだけど」


 おさよが恥じらうように俯いた。


「よっしゃ! 今夜も頑張るぞ」


「お前さんたら。うふふ」



 翌朝も、仙吉が行商に出掛けたら、はたき片手に早速掃除だ。掃除が終わればいつものように井戸で洗濯しながら近所の主婦連中と井戸端会議が始まる。


「うちの亭主ときたら、肩が痛いの、腰が痛いのって言っては、また休んでるわ」


 二つ隣のおときがふんどしを洗いながら亭主の愚痴を溢した。


とびは体力が勝負だもの、ゆっくり休んで栄養をつけなきゃ持たないわよ」


 手ぬぐいを洗いながらおさよが亭主に同情した。


「いや、単なる怠け者よ。あーあー、働き者の仙吉さんみたいな人と所帯を持てば良かった」


「うちの人は他に取り柄がなくて」


「ま、どっちを選ぶか決めろと言われたら、器量良しのおさよさんを選ぶだろうけどね」


「そんなこと。おときさんもなかなかの美人ですよ」


「嘘でもそう言ってもらうと嬉しいね。それじゃお先に」


「あ、はい」



 そんなある日のこと。仙吉がすごい剣幕で帰ってきた。


「おい、おさよ。俺の居ねぇ間に家に男を入れてるってぇのは本当か?」


「どうしたんだい、藪から棒に」


 おさよが目を丸くした。


「そこで立ち話を聞いちまったのよ。冷や水売りの若い男を家に入れてるって」


「ええ、家に入れたことがあるわよ」


「なんだと!」


「だから何よ! 理由も聞かないで頭ごなしに」


「……どんな理由だ」


「白玉砂糖入りの冷や水は一杯四文。たかが四文。されど四文。私には贅沢ぜいたくな一杯なのよ。だから、こぼすと勿体ないから、中に入ってもらって茶碗に入れてもらったのよ」


「フン、どうだかな」


「私より立ち話を信じるのかい?」


「火の無い所にゃ煙は立たないじゃねぇか」


「そう言うお前さんこそ、キセルの掃除ついでに若い女の掃除もしてやってんじゃないのかい」


「なんだと? 亭主の俺を信じられねぇのか」


「お前さんこそ、私を信じてないじゃないかい」


 そこに、大家の女房がやって来た。


「どうしたんだい、二人とも。表長屋まで丸聞こえだよ。いつも仲良しの二人なのに、何があったんだい」


「大家さん、聞いてくださいよ。私が若い男を家に入れてるって。まるで私が浮気してるみたいな言い方をするんですよ」


「……立ち話を耳に挟んだから言ってんだろ」


「仙吉さんも仙吉さんだ。そんな噂を信じておさよさんを疑るのはお門違いだよ。掃除に洗濯に針仕事をして、夕方には旦那さんのために晩酌の仕度だ。健気けなげじゃないか」


「……ええ」


 仙吉は恐縮した。


「人様は好き勝手なことを言って、面白おかしく話を作って暇潰しをするもんだ。人の口に戸は立てられない。だからこそ、おさよさんを信じてあげなきゃ」


「……はぁ」


 仙吉は返す言葉がなかった。


「分かったわよ。そんなに私が信じられないんなら、出ていくわ」


 おさよは勢いよく仙吉の前を通り過ぎた。


「おさよさん、何言ってるんだい。ちょっとした夫婦喧嘩じゃないか。戻っておいで」


「疑われたんだもの居心地が悪いわ。さいなら」


 おさよはそう言って下駄の音を立てて去って行った。


「仙吉さん。早く追いかけなよ」


「……どうせ、すぐに戻ってきますよ」


 仙吉は余裕綽々よゆうしゃくしゃくで言った。



 ところが、木戸が閉まる時刻になってもおさよは帰ってこなかった。仙吉は心配で心配で眠れなかった。


 ……俺が余計なことを言ったばかりに。大事おおごとになっちまった。


 仙吉は後悔すると、まんじりとも出来ず朝を迎えた。すると、明六つと同時に戸が開いた。そこに現れたのはおさよだ。


「さて、ご飯の用意しないと」


 おさよはそう言って何事もなかったかのように、かまどに火をくべた。


「おさよ、すまなかった。俺の聞き違いかも知れねぇ」


「あら、なんのこと?」


 すっとぼけた。


「それより、どこへ行ってたんだ? 今時分まで」


「三味線のお師匠さんのとこよ。泊めてもらったわ。帰る途中に駕籠かごかきに『乗ってけ』って呼び止められて」


「帯に挟んだ財布にゃ小銭ぐれぇしか入ってないだろ? 大したかねも持ってないのにどうやって乗れたんだい」


「あら、乗ってないわよ。しつこく追い掛けてきて怖かった」


「大丈夫か、怪我けがはなかったか?」


「大丈夫よ」


「しかし、たちの悪い駕籠かきだな。無事で良かったが、どうやって逃げてきたんだ」




「だって羅宇屋の女房だもの、けむに巻くのはお手の物」




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