第5話

 新小城はアフリカ中部にやって来た。乾燥した草地でスズメの仲間の小鳥、セイキチョウが枝の上でタップダンスを踊っている。メチャクチャ速い。インコみたいに美しい。

 オスが求愛するときにタップダンスをするのだが、自分がどれだけ健康かをアピールしてるのだ。

 アフリカは基本として、文化圏および人種の違いからサハラ砂漠の南北で大きく2つに分けられるが、当該エリアは、南側のブラック・アフリカ(サブ・サハラ・アフリカ)に入る。そのうちの、ニジェール川流域より東側(おおよそ西経10度以東)、タンザニア西部地域に南北に走る大地溝帯よりも西側(おおよそ西経30度以西)、そしておおよそ南緯10度以北の範囲が、「中部アフリカ」と呼ばれる。この地域は、北はシャリ川、中部にウバンギ川、南部はコンゴ川の支流が行き渡り、コンゴ川の流域面積は、アマゾン川とその支流に次いで世界第2位である。


 この地域にある国々は、中部アフリカ諸国経済共同体 (Communauté Économique des États de l'Afrique Centrale , 略称 CEEAC , 英語名 Economic Commuunity of Central African States) を結成している(他地域の国も構成国となっている)。また、旧フランス植民地の6カ国は、中部アフリカ経済通貨共同体 (Communauté Économique et Monétaire de l'Afrique Centrale , 略称 CEMAC) を結成し、共通通貨CFAフランを使用している。

 アンゴラの首都はルアンダ(Luanda)。同国最大の都市でアフリカ南西部の大西洋に面し、アンゴラの主要港であると共に行政の中心でもある。約450万人の人口(2009年)を擁し、ルアンダ州の州都である。ルワンダ共和国とは異なる。


 ルアンダは、1575年にサン・パウロ・デ・ルアンダ (São Paulo de Luanda) としてパウロ・ディアス・デ・ノヴァイスの率いるポルトガル人によって植民され、アフリカ黒人奴隷の重要な輸出港となった。1641年オランダの西インド会社軍によって占領されたが、1648年にはブラジル植民地(英語版)軍によって奪回されている。奴隷供給源の喪失はブラジル植民地にとって大打撃だったからである。


 ブラジルとルアンダの結びつきは強く、1822年のポルトガルからのブラジル帝国独立時にはポルトガル領アンゴラをブラジルの植民地とする動きさえあったが、1850年代までになされた奴隷貿易停止と、1888年の黄金法制定によるブラジルにおける奴隷制廃止によって関係は消滅した。


 1961年からアンゴラはポルトガル軍と独立戦争を戦い、1975年11月10日には最後のポルトガル軍守備隊がルアンダの港から母国へ帰還していった。アンゴラ独立後もポルトガル系アンゴラ人が残ったが、やがて町から去り、アンゴラ独立戦争時にアンゴラ解放人民運動 (MPLA) の革命軍を支援したキューバ人が取って代わった。キューバ人の多くはキューバ軍の兵士であった。


 ルアンダにはローマ・カトリック教会の大司教座がおかれている。またアンゴラ大学、17世紀に建てられた砦であるサン・ミゲル要塞、旧ポルトガル総督府などがある。


 産業には加工食品、飲料、織物、セメントや他の建築資材、プラスチック製品、金物、タバコ、靴の生産が含まれる。近郊で産する石油の精製所があるが、この施設は内戦のあいだ、繰り返し被害を受けた。


 ルアンダにはすばらしい天然の港があり、主要な輸出品目にはコーヒー、綿、砂糖、ダイヤモンド、鉄、塩がある。

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小城死すとも自由は死せず 鷹山トシキ @1982

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