片山家
01
その日、佐奈恵のパートタイム先のスーパーでちょっとしたトラブルがあり、そのために彼女はイレギュラーなタイミングで職場に向かわなければならなくなった。にこやかに対応しながらも、佐奈恵は内心(この分のお手当は出なさそうだな)と小さなため息をついた。この出来事が起こらなかったら、彼女が自宅の前でしゃがみ込んでいる
芳賀家と片山家は共に長くこの地域に住んでおり、家同士も近いことから長年親しい関係を築いていた。ところが何年か前に起こった事故が元で、片山家は今もなお、腫れ物を触るような扱いを近所一帯から受けている。佐奈恵もまた、片山家の人々と以前より疎遠になった一人だった。
それでも絵里がこの家に嫁いできたことは知っている。挨拶状が届いたからだ。いかにも無難な花束のイラストの下に、片山家の長男が彼女と結婚した旨を告げる文章が印刷されていた。
(新しいお嫁さん、どこまで知ってるのかしら)
葉書を受け取った当初、佐奈恵はそう思い、そして暗い気持ちになった。どこまで、なんて探る気になどなれない。あんな出来事など、下手につつかないほうがいいに決まっている。そうは思ったものの、胸の中に生じたモヤモヤはいつまでも消えることがなかった。
今前方に、いかにも困ったという様子で座り込んでいるのは、その絵里に他ならなかった。
佐奈恵は少しだけ逡巡し、そして話しかけた。確か片山絵里は妊娠しているはずだ。もしかしたら体調を崩したのではないか、彼女や胎児に危機が訪れているのではないかと思うと、黙って通り過ぎることはできなかった。佐奈恵の子供たちはすでに成人しているが、初めての妊娠中に心細かったこと、二人目のときにつわりが長続きして辛かったことは未だに覚えている。
「もしもし、大丈夫?」
声をかけると、片山絵里ははっと勢いよく顔を上げた。ひどく青ざめた顔色に見えた。やはり体調が悪くなったのだろう。そう思った佐奈恵は、とにかく相手を安心させようとなおも話しかけた。
「あたし、芳賀です。そこの青い屋根のうち。あなた片山さんのお嫁さんでしょ? 具合でも悪くなったの?」
絵里は佐奈恵の顔をまじまじと見、口からふーっと長く息を吐いた。
「うちに誰か」
泣きそうな顔になった絵里は突然立ち上がり、すがるように佐奈恵の両腕を掴んだ。
「うちに誰かいるんです。私、見たことないひと……知らないひとで」
そう言われて、佐奈恵はとっさに目の前の片山家に目をやった。誰かが潜んでいるところが見えたわけではないが、何か不吉なことが起こったのではないかという予感が、胸の中にざわざわと湧き始めた。
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