10
私は透さんの手の中にある葉書を見つめた。あれは確かに小野寺さんの部屋の引き出しから出てきたものだ。
数字を書いた筆跡は小学校の先生が書くお手本のようにきっちりしていて、几帳面で仕事のできる小野寺さんのことを思い起こさせた。ただ、小野寺さんが書く文字を見た記憶に乏しいから、同一人物が書いたものかどうか断定することはできない。
(でも、もし小野寺さんが生前これを書いたんだとしたら……どうして志朗さんの番号を知っていたんだろう? どうしてこんなところに書いておいたの?)
私は顔を上げ、スマートフォンからバックミラーへと視線を移した。両目を閉じた志朗さんの、いつも笑っているような表情の読みにくい顔を、鏡越しにこっそりと見つめた。相手は目の見えない人だとわかっていても、鏡越しに見つめ返されるような気がして仕方なかった。
志朗さんは小野寺さんのことを知っているのだろうか? もし知っているのなら、どうしてそれを教えてくれないのだろう? 急に(この人を信用しても大丈夫だろうか)という疑念が頭をもたげてきたそのとき、志朗さんが突然「見浦さん」と私を呼んだ。危なく悲鳴を上げるところだった。
「なん、でしょう」
「いやぁ、何か用事かなと思って。今こっち見てませんでした?」
ぎょっとした。目の見えない人特有の感覚なのか、それとも志朗さんが特別鋭いのだろうか。とにかく勘のいい人だ。
「目的地まで直行しちゃいたいんで、もし急ぎの電話とかだったら、悪いけど車内でかけてもらえますか?」
「いえ……大丈夫です。あとで」
私はスマートフォンを引っ込める。何が「あとで」だよ、と自分のとっさの言い訳が拙くて腹立たしい。それとは別に(どうして電話だと思われたのだろう)という疑問が遅れて湧いてきて、背筋が寒くなった。
自分のことを読まれるというのは厭なものだ――
「あっ、僕も全然かまわないんで、電話とか大丈夫ですよ」
透さんが私の方を見て言った。私は「全然急ぎじゃないんで」とにこやかに応えたつもりだけれど、たぶん表情は引きつっていたと思う。
それから透さんは志朗さんに、片山絵里さんという女性の話を始めた。彼女の身に何かが起きたらしいこと、透さんのスマートフォンが壊れてしまったために連絡がとれないことを告げながらも、焦っている風ではない。むしろ諦めのようなものが感じられた。
「僕はこうやって片山家に向かっている間、何か妨害のようなことが起こるんじゃないかって思っていたんです。でも実際は何も起こっていませんよね」
確かに、透さんの言う通りだった。黒木さんの運転はスムーズだったし、周囲にもおかしな様子はなかった。少なくともここまで来る間に「危ない」と感じたことなど一度もない。
「もしかして、志朗さんが何かしてらっしゃるんですか?」
私がそう尋ねると、「ボクは何もしてませんよ」と志朗さんが助手席で答えた。
「小野寺さん、ボクもたぶん小野寺さんと同じ意見です。お姉さんは片山家に向かうこちらの邪魔をしていない。おそらく、片山家ではすでに何かが起こってしまったからだと思います」
「ですよね。マンションで姉を見たとき、そう思いました」
そう言って、透さんはため息をついた。「姉は、用事を後回しにしない人なので」
車は高速道路を下り、一般道に入った。特別賑やかなわけでもないけれど、ひどく寂れているというほどでもない。ごくありふれた地方都市といった風情の街だった。話題の尽きた私たちは自然と言葉少なになり、カーナビが道順を指示する声だけが明るく車内に響いた。
やがて私たちは、目指していた場所に無事たどり着いた。
『目的地周辺です。音声案内を終了します』
「……パトカー多いですね」
窓の外を見ながら黒木さんが言った。
二階建ての一軒家の周りを、立ち入り禁止のテープが囲んでいる。周囲には警官や野次馬らしき人が集まり、明らかに異常事態の気配が漂っていた。
「やっぱり手遅れじゃったなぁ」
志朗さんがぼそりと呟いた。
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