02

 片山家の人々について、以前の佐奈恵は特別悪い印象を抱いてはいなかった。

(奥さんの幹江みきえさんはちょっとアクが強いけど、たぶん賑やかすぎるだけでそんなに悪いひとじゃないでしょ。旦那さんは仕事ばっかりで影が薄いけど、これと言っていやなところはないわね。息子さんも優しそうだし、仲はいいみたいだし、いいご家庭なんじゃないの)

 というのが、佐奈恵が抱いていたおおよそのイメージだった。片山響が交通事故で命を落とすまでは、彼らを避けようとは思いもしなかった。

 ところが事故後、その印象は一変した。

 片山幹江は自ら事故の詳細を佐奈恵に語った。事故が起きた日の午後、彼女は何人かで誘い合わせて遠方のアウトレットに行く予定だったのだという。だからほんのちょっと使うだけのチャイルドシートの着脱が面倒だったのだと、まるで自分に理があるかのように語った。

「だってしょうがないじゃない、ねぇ。起こっちゃったことはしょうがないでしょ。それより次の子よ、二人目を作る方が大事じゃないの?」

 そう思わない? と言ったときの幹江の顔はまるで普段通りに見え、そのくせ何かにとり憑かれたような異様な雰囲気を漂わせていて、佐奈恵をぞっとさせた。

 佐奈恵は質問には答えず、「用事があるから」と断って逃げ出した。嘘をついて話を合わせるのも、正面から否定するのも、どちらも怖かったのだ。これ以上このひとに関わりたくないと思った。

 絵里が片山家に嫁いできたときは、(新しいお嫁さん、事故のことをどこまで知ってるのかしら)と心配になった。気にしていたのは他の地元民も同様で、中には直接話をしにいった人もいるという。佐奈恵はどうしても、そこまでする気になれなかった。

(いっそ何も知らないままがいいのかもしれない。あのお嫁さんが恙なく暮らしていけるのなら、その方が)

 とはいえ、気がかりではあった。


 取り乱している絵里をなだめながら、佐奈恵はなんとか話を聞き出した。

 絵里が用事を済ませて帰宅すると、片山家のリビングの窓のあたりに女の姿があったという。それは見たこともない女性で、なおかつ異様な様子だったらしい。

 それを見た途端、絵里は家に入るのが怖くなり、中の固定電話に電話をかけた。曜日と時間帯からいって、誰かひとりはほぼ必ず在宅しているはずだった。ところが誰も出ない。それぞれのスマートフォンに連絡しても同じことだった。

「その女性って、ご家族の誰かのお客さんじゃないかしら」

 そう言うと、絵里は激しくかぶりを振った。

「絶対違います。生きてる人間じゃないって、見ればすぐわかります」

 生きている人間じゃない、という言葉に、佐奈恵は全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。つい先日、近くの公園で起きた事件を思い出したからだった。

 片山家の長男の前妻が、その公園で首を吊って亡くなっているのが発見された。彼女は事故で亡くなった響の母親であり、事故の一件が元となって離婚し、片山家とは縁が切れたはずの女性である。絵里が顔を知らず、かつ「生きている人間じゃない」女と聞いては、彼女のことを思い出さずにはいられなかった。

(ばかねぇ私、何てこと考えるのよ)

 絵里の背中を撫でながら、佐奈恵は心の中で呟いた。(前のお嫁さんの幽霊が家の中にいるっていうの? ホラー映画じゃないのよ)

 絵里は何かを見間違えたのだろう、と思った。妊娠中は何かとナーバスになるものだ。少なくとも佐奈恵はそうだった。気持ちが昂り過ぎて、身体にまで障っては大変だ。

「それじゃ、おうちの中にはまだ入っていないのね」

 佐奈恵が尋ねると、絵里はうなずいた。「すみません。怖くて、どうしても無理で」

「よかったら、あたしが一緒に中を確認してあげましょうか? 二人でいれば大丈夫でしょ」

 佐奈恵がそう言うと、途端に絵里の瞳が輝いた。

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