15
スマートフォンは震動を続けている。電話の着信だ。
私たちは一旦水を差されて固まった。小野寺さんも私のスマートフォンが震え続けているのに気づいたらしい。顔を見合わせると、ちょっと勢いを削がれたという顔で「……どうぞ?」と私に確認するよう促した。
こんな大事なときに――と思ったけれど、よくよく考えるともう夜の十時を過ぎている。こんな時間にわざわざ電話をかけてくるなんて、おそらく相手にもそれなりの事情があるのだろう。
気を取り直して画面を見ると、「小早川まりあ」と表示されていた。何かあったときに備えて、パパさん公認で連絡先を交換しているのだ。私は小野寺さんに目顔で断って、電話に出た。
「もしもし」
『もしもし、見浦さん?』
さっき別れたばかりのまりあちゃんの、ひどく焦ったような声がした。『見浦さん、お守り持ってる? 持ってたら確認 クマ の方! あ 、危険 しな よ て ら』
まりあちゃんの声が、なぜかぶつぶつと途切れて聞こえる。
「ごめん、すごく聞こえにくいの。お守りが何?」
『そばでしゃべってるひとから離れて』
一瞬はっきりと声が聞こえ、その直後電話が切れた。
すぐにかけ直したが繋がらなくなっている。いつの間にか、スマートフォンを持った手にじっとりと汗をかいていた。小野寺さんもどことなく不安げな顔をしている。私の様子が見るからにおかしいせいか、それともまりあちゃんの声が聞こえたのだろうか。
今、私のそばで喋っている人なんかいなかった。私に聞こえていたのはまりあちゃんの声だけだ。小野寺さんは黙っていたし、他には誰もいない。いないはずだ。
(そうだ、お守り)
私は持ってきたバッグを開けて中を確認した。バッグの奥にクマのマスコットが見えた。そこにあったことにまずは安堵を覚えつつ、手にとった途端に違和感を覚えた。すぐさまバッグから取り出した。
クマのお腹の縫い目の糸が切れて、やぶれた腹から詰め物が飛び出している。
思わず喉の奥から「うっ」という小さな悲鳴が飛び出した。お腹の破れたクマはひどく不吉なものに見えた。いつこうなったのだろう? そんなに手荒く扱っただろうか? いや、そんなことはなかったと思う。大体、さっきアパートを出る際に中を確認したはずだ。そのときお守りがこんなことになっていたら、気づいていなければおかしい。
(何が起こってるの)
まりあちゃんに確認したい。でも電話はつながらない。目の前には小野寺さんがいて、私を不安そうに見つめてくる。ややあって彼女は遠慮がちに「――何かあったの? 見浦さん」と尋ねてきた。
「いえ、あの……何でもないんです」
今あったことを冷静に説明できる自信がなかった。
どうしよう。お守りが壊れたということは、どういうことなんだろう。まりあちゃんにちゃんと聞いておけばよかった――後悔していると、「ねぇ」と声をかけられた。
小野寺さんだ。彼女はじっと私を見て「教えてほしいの」と言った。
「これ、息子じゃなかったら何なの?」
壁をばん! と叩く音がした。弾かれたように音のした方を振り返る。誰もいない。
「ねぇ、これ響じゃなかったら何なの? 何でここにいるの? どうして私のところにやってきたの?」
そう畳みかける小野寺さんの目には、まだ希望が宿っているように見えた。きっとまだ諦めきれないのだ。この部屋にいるのはやっぱり我が子ではないかという思いを、まだ捨てることができずにいる。
「それが――」
それがここに来たのは私のせいなんです、と言いかけて、ふと何かが頭をよぎった。リモート飲みのとき、小野寺さんの方に移動すると同時に、私に視認され始めたあの黒いもの。明らかに人間のものではない真っ黒な腕。
(小野寺さんにもあれが見えれば、本当に考えが変わるかもしれない)
どん詰まりの中で、このときはその考えが光明のように思えた。
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