14
「とにかく入って」
「お、お邪魔します」
若干拍子抜けしながら私は玄関に足を踏み入れた。もしも中に入れてもらえなかったら――居留守を使われたり、門前払いされたらどうしようと心配していたのだ。でも室内が目に入ったとき、(もしかしたらそっちの方がよかったかもしれない)と思った。
中は散らかっていた。昨日リモートで話したときはこんな感じではなかった、と思う。それとも、あのときから画面の外はこんな有様だったのだろうか。床のあちこちにミニカーや子供用のおもちゃが転がり、私の腿より低い壁には、クレヨンのようなもので描いたらしい渦巻があちこちに見える。まるで幼い子供がはしゃいで、好き勝手にいたずらをしたみたいだ。やんちゃな子供がいたなら、こんな感じの室内になるかもしれない。でも、小野寺さんの家には子供はいない。そのはずだ。
私が部屋の中を見て、ぎょっと動きを止めたのに気づいたのだろう。小野寺さんは「ごめんねぇ、汚くて」と言って、困ったような顔で笑った。
「今部屋の中めちゃくちゃだから悪いんだけどさ、とにかく上がって」
私はうなずくしかなかった。靴を脱ぐと、(この靴をまた無事にはけるだろうか)などと縁起でもないことを考えてしまう。小野寺さんに促されるままにリビングに向かった。ソファの上にはミニカーがひとつ落ちている。
「またこんなところに置いて」小野寺さんがため息まじりの声を上げた。ミニカーを拾いあげ、ソファの前にあるローテーブルの上に置く。
「よかったらかけて」
「……失礼します」
私がおっかなびっくりソファに腰かけるのを待っていたかのように、小野寺さんは私の隣に座る。「見浦さん、こんな時間にどうしたの?」なんて尋ねることもせず、まして「お茶いれようか」などとも言わずに、
「この部屋、小さな男の子がいない?」
と聞いてきた。
「二歳くらいの男の子なんだけど、部屋にいないかな。私の息子なの。響っていうの」
小野寺さんは「――いたらだけどね」と呟いた。
「ちょっ、と……あの、どういうことですか」
「さっきお願いがあるって言ったでしょ。私の息子がいるかどうかを見てほしいの」
小野寺さんが、聞いたこともないような平坦な声で言った。「何度か部屋の写真を撮って、弟に送ったりしたのよ。響が映ってない? って。でも言わないんだな、これが。響がいるって、それだけ言ってくれればいいのに」
言わないの、と小野寺さんが小さな声でいう。
「私の前に出てくる幽霊なら、それはもう響のはずなの。だって私の息子だもん。あの子にとっては私は母親で、あの子が一番なついていた相手だったはずなの。だからもしも響が本当に幽霊になったんだとしたら、私のところにきっと来てくれるはずなのね。だからその息子がいるかどうか、見てほしいの」
言われて、私は思わず天井の隅を見た。黒い腕はあのあたりから垂れ下がっていたはずだ。今は何もない。何も見えない。
ぽと、と微かな音がした。
ローテーブルの上にあったはずのミニカーがない。下をのぞくと、誰かが払い落としたみたいに床の上に落ちていた。
でも、私は何も見ていない。
「小さな男の子がいたら教えて。一度誰かにいたよって言ってもらえたら、それでいいの」
小野寺さんはそう言いながら、そっとミニカーを拾いあげる。私は思い切って口を開く。
「いません」
そう言うと、小野寺さんがすっかり印象の薄くなった顔を上げて、私をじっと見つめる。ああ、このひともまったく疑ってなかったわけじゃなかったんだ、と私は悟った。
緊張でいつのまにか喉がカラカラだ。私は唾を飲み込み、続けた。
「いません、小野寺さん。男の子なんか、この部屋には」
そう告げるだけで心臓がどきどきした。だったら、と小野寺さんが呟いた。
「だったらここにいるのは何なの?」
そのとき、バイブレーションの音が聞こえた。私のスマートフォンが鳴っている。
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