13

 幸い集合ポストには小野寺さんの名前があり、名札が入った三階の一室は、まりあちゃんが「あのへん」と指をさした部分とも合致するように思われた。

「ありがとう。もうひとりで大丈夫」

 そう言うと、まりあちゃんは一瞬不服そうな顔をしたが、すぐに「うん」と答えた。そういえば以前「わたしに特別できることはまだない」と言っていた気がする。それがわかっているから素直にうなずいたのだろう。

 後ろで小早川さんが、思わずといった感じでほっとため息をついた。いくら「受け入れるしかない」と言っても、やっぱりまりあちゃんのことが心配なのだろう。

「何かあったら電話してね!」

 まりあちゃんはそう言いながら、小早川さんと一緒に元来た道を歩き去っていった。

 私はマンションの中に入った。オートロックはないが、しっかりした造りでまだそう古くはないだろう。表の駐輪場には子供用のシートが設置された自転車が何台か停められている。単身ではなく、家族で住んでいる世帯が多いのかもしれない。私が一人暮らしには広すぎる2DKに住んでいるのと同じように、小野寺さんもまたひとりでファミリー向けの物件に住んでいるのかもしれない。

 悲しいことだ。突然そう思った。

 エレベーターは運よく一階に停まっており、ボタンを押すとすぐに扉が開いた。三階のボタンを押し、上に上り始めた箱の中で、小野寺さんの部屋番号を小さく何度も呟いた。

 リモートでの会話から丸一日が経ってしまった。その間小野寺さんはどうしていただろう。あの黒い腕は、どうして彼女に見えず、私にだけ見えたのか。ともかくあれは、小野寺さんが亡くした幼いお子さんにはとても思えない。実体のない何かが、不器用に子どものふりをしようとしているように見えた。私の部屋にいたときも、あれはきっと「尚輝らしく」振舞おうとしていたのだ。海の匂いを漂わせ、足音をさせて――それが何を狙ってのことなのかは、よくわからないけれど。

 エレベーターはまもなく三階に到着し、ドアが開いた。夜ということもあってか、廊下には人気がない。スニーカーを履いた私の足がコンクリートの床を踏む。

 小野寺さんの部屋は、三階の突き当りにあった。インターホンのボタンを目の前に、私はひとつ深呼吸をし、思い切って押した。

 ドアの向こうで、微かにピンポーンという音が響いたような気がした。

 小野寺さんはいるだろうか。中にいるとして、無事に出てこられるような状態なんだろうか。私は肩にかけたバッグの持ち手をぎゅっと握りしめる。考えたくない。もしも中で彼女が死んでいたら――などということは。

 幸い、ややあってスピーカーから『はい』という声が聞こえた。小野寺さんだ。生存確認ができてほっとすると共に、今更のように(どうしよう)と思った。あまり色々考えずにここまで来てしまった気がする。とりあえず小野寺さんの様子を確認しよう。できれば室内の様子も確認する。それからお守りを渡して、その後はどうしよう?

「あの、夜分すみません。見浦です」

『見浦さん?』驚いたような声がした。『ちょっと待ってね』

 少しするとドアが細く開き、すき間に小野寺さんの顔が見えた。彼女は私がいることを確認すると「うわぁ、ほんとに見浦さん?」と言いながらドアを大きく開いた。

「どうしたの? よくうちがわかったね。課長に聞いたのかな?」

「ええ、まぁ、近くだとは」と答えたとき、私の顔は引きつっていたと思う。

 薄い、と思った。印象がとにかく「薄い」のだ。小野寺さんの存在そのものが削り取られているかのようだった。ああ、引っ張られているんだと思った。このままでは遠からず、小野寺さんは本当に死んでしまう。

「ちょうどよかった」アポなしでやってきたのにも関わらず、彼女はそう言ってにっこりと笑った。

「見浦さん、入ってもらっていい? お願いしたいことがあるの」

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