07

 僕が姉からの連絡がないことに気づいたのは、ひどく長引いた残業を終えてようやく帰宅したときのことだった。

 メッセージアプリを介した他愛ない会話は、一度どちらかが返すのを怠ったらそのまま自然に流れてしまう。少なくとも僕と姉とはそういう間柄だった。だが、ここ数日のことを考えると、今日一日何の連絡もなかったことは異常事態の兆しのように思えた。僕は姉に「大丈夫?連絡ください」とメッセージを送り、様子を見た。やはり返事はなかった。既読マークすらつかない。もう一度「連絡ください」を送ったが、やはり音沙汰はなかった。

 胸騒ぎを覚えて時計を見ると、すでに午後十一時を過ぎていた。姉はもう眠っているのだろうか。写真がないということは、今日は「響のいたずら」は起こらなかったのか。それならそれでいいけど、それにしてもこちらの「連絡ください」に対してなんのアクションも起こさないのはおかしいと思った。

 音声電話をかけてみた。やはり返事がない。

 気がつくと、僕はタクシー会社に電話をかけていた。ほかに足がないのだからしかたない。月々の駐車場代をケチって自分の車を実家に置いてきたことを後悔しながら、アパートの前に到着したタクシーに乗り込んだ。

 窓の外を通り過ぎて行く景色を眺めながら、(僕は一体何をしているのだろう)と考えた。明日も普通に仕事があるっていうのに、こんな時間に姉のマンションを訪ねようとしている。それもただ、たった一日連絡がないというだけで――

(僕もどうかし始めているのかもしれない)

 そんなことを考えた。強い非日常感が神経を高揚させていた。

 途中で思いついて実家に連絡を入れた。眠そうな声の母によれば、姉からは特に連絡などはないという。父や母には家の写真を送っていないらしい。たぶん必要以上に干渉されることを避けたのだろう。両親なら、姉からあんな写真を送られてきた時点で姉のマンションに向かい、問答無用でプレイゾーンを片付けてしまっていたかもしれない。そうさせてしまいそうな異様さがあることを、きっと姉はわかっていたのだ。そこに一抹の理性を感じた。ばかなことはすまい、と思おうとした。

 途中でタクシーがなかなか進まなくなり、焦りで胃がチリチリした。運転手が振り返って「交通事故があって渋滞してるそうですよ」と話しかけてきた。進まない車列にイライラしながらも、まさか「ここでいいです」などとは言えない。そのままゆっくりと渋滞の中を進んだ。

 姉のマンションに到着したときには、午前零時を過ぎていた。

 深夜料金を支払い、タクシーを下りた。マンションのエレベーターはタイミングよく一階で停まっていた。じりじりとした気持ちを抑えたまま、先日訪れたばかりの姉の部屋に向かった。

 インターホンを押しても応答はなかった。もう一度。インターホンを押すのをやめて、ドアを直接叩いた。部屋の中で姉が動かなくなっているような気がして落ち着かなかった。そうなったら、僕はどんな顔をして両親に報せればいいんだろう?

(もしこのままドアが開かなかったらどうしよう)

 そう思ったその時、唐突にドアの向こうでカチャリと音がした。

 細く開けられたドアの向こうに、姉の顔が見えた。

「透」

 唇が動いた。生きている。よかった。思わず全身から力が抜けた。

「なんだ、ちゃんと生きてるじゃん。既読無視しないで、連絡くれって書いたんだからちゃんと連絡くれよ。さっきさ……」

「響じゃなかった」

 そう言うなり、突然姉がその場にべったりとしゃがみこんだ。「響じゃなかった」と、まるきり同じことをもう一度呟くと、姉は三和土の上でぼろぼろと泣き始めた。

 僕は何もわからず、一言も言い返せずに、しばらくただ姉を見守っていた。その間、姉の背後に見える部屋の方からは、何の物音もしなかった。

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