03

 十月の半ば、一年ぶりに従姉の紗香さやかに会うことになった。今思えば、あれもまたひとつのきっかけだった。

 本当はあまり気が進まなかった。それでも彼女は三歳の子供を旦那さんに託して、住んでいる都内からわざわざ顔を見に来るという。そこまでされると無下にできなかった。

 きっと両親に頼まれたんだろうな、と思った。両親と決裂して実家を出たあとも、元々仲が良かった紗香とはたまに連絡をとりあっていたから、多少は話がしやすいと思われたのだろう。

 土曜日、ターミナル駅のカフェはにぎやかだった。紗香は少し顔が丸くなったが、活発そうな印象は変わらなかった。

「元気にしてた?」

「うん。そっちは?」

 通り一遍の挨拶を交わした後で、紗香はテーブルを挟んだ向こうから「まだ尚輝と一緒なの?」と私に尋ねた。彼女に嘘なんかついても仕方がないから、「うん」と答えた。

「そう」

 紗香はそう言って眉をひそめる。(やっぱり)と(どうしよう)が混ざったような顔をしていた。

「やめた方がいいと思う?」

 私は自分からそう尋ねた。

 紗香は少し迷うようなそぶりの後、「うん」と答えた。

 そうだよね、と自分でも思う。父も母も祖父も祖母も友達も彼氏もみんなそう言ったし、私も(やめた方がいいんだろうな)と思わないわけじゃない。それでもやめられなくて、結局私の方から離れていった。あまり口うるさくない紗香だけが辛うじて残り、今に至る。

「花織、実家に戻る気とかないの?」

「今のところは」

「そう……ま、でも、病気とかしてなさそうで安心したよ」

 とりなすように紗香が言う。カフェの店員がやってきて、私たちの間にランチプレートを並べ始めた。


 たぶん尚輝は喜んでいない。

 こんなこと、たぶん私のエゴでしかない。

 誰に言われなくたって、そのくらいのことはわかっている。わかっているからといって、そのとおりに気持ちが動くわけじゃない。

 私はずっと足踏みをしたままだ。


 紗香と別れてアパートに帰ると、ちょうどまりあちゃんと、彼女のお父さんに出くわした。

 お父さんは普通のサラリーマンだそうで、いかにも美少女のパパさんらしくスラッとした男性だ。私のことをどんな風に聞いているのか、「いつもまりあがお世話になってます」と言って頭を下げた。

「とんでもないです。私がかまってもらってて」

 私たちはその場で少し立ち話をした。このとき「おひとりでお住まいですか?」とお父さんが聞いたのは、どんな話の流れだっただろうか。

 確かにこのアパートは、一人暮らしにしては広い。そういう質問をされるのは、決しておかしなことではない。でも、私はそのとき少なからずどきりとした。同時に、さっき会ったばかりの紗香の顔が脳裏をよぎった。

「――いえ、弟と二人で」

 気がつくと、そう答えていた。

 お父さんはにこにこ笑いながら、「そうだったんですか」と言った。

「見浦さん、きょうだいがいたんだ」

 まりあちゃんが少し驚いたように言う。「静かだから気づかなかった」

「そう? うるさくなかったならいいけど」

「全然。いいなぁ、楽しそう」

 まりあちゃんの言葉からは、裏も表も感じられなかった。本当に「きょうだいがいると楽しそうだね」と、ただそう思っただけの感想だと思った。だから私も「まぁ、楽しいかな」と答えて笑った。

 話しながら、心臓がどきどきと脈打つのを感じた。まるでこっそり悪いことをしているときみたいだった。

 こんなふうに尚輝について話したことはなかった。まるで尚輝が普通にあの部屋にいて、当たり前に生活しているみたいに、他人に語ってしまうなんて。

 そして「それがとても楽しい」ということに、私は少なからず動揺していた。たぶん、私はずっと心の底ではこうしたかったのだろう。尚輝と暮らしている話を誰かに聞いてほしかったのだ。そのことを否定される心配のない、私たちのことをよく知らない赤の他人に。


 ほんとうは、尚輝が死んでからもう六年が経っている。

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