02
まりあちゃんと多少親しくなったのは、まだ彼女たちが引っ越してきて間もない頃だった。
その日、たまたま休みをとっていて良かったなと思う。溜まっている有給休暇を消化するように言われて、適当な平日に休みをとったのだ。ガラガラの映画館で映画鑑賞をし、近くのファーストフードで昼食を済ませ、たまの贅沢のつもりで近所の食堂のテイクアウトをふたつ持って帰宅した。そのとき、玄関の前に立っている彼女に出くわしたのだった。
小柄な少女は、ドアのところでカチカチと硬質な音を出しながら、あれ? などとつぶやいていた。私は昔から「顔がこわい」とか「普通にしてても怒ってるように見える」とか言われがちなので、子どもに声をかけるのはためらわれる。怖がられたらどうしよう……と思ってしまう。でも、この時ばかりはさすがに気になった。
「あのー、どうかした? 大丈夫?」
なるべく親切なひとに聞こえるように、と願いながら声をかけると、茶色いランドセルを背負った女の子は、突然背中をつつかれたみたいにばっとこっちを向いた。そのとき手に持っている白杖が目に入って、そうか、この子は私のことがよく見えていないんだ、とようやく思い出した。まして先日初めて会ったばかりの女のことなど、わからなくてもおかしくはない。
私は近寄りながら、「上に住んでる
「ふわぁ」というような声と同時に、女の子の顔がほっと緩んだ。
「大丈夫です。カギがうまく入らないだけなので」
「手伝おうか?」
「ええと、大丈夫です。慣れないとなので……」
ぺこっと頭を下げると、肩の上で切りそろえた髪がふわふわと揺れた。
小学校の四年か五年くらいかな、とまず思った。お人形さんみたいにかわいい子だ。顔はこちらを向いているけど、大きな瞳は私に焦点があっていない。それが余計にお人形さんっぽいな、と思った。
このあたりはいわゆる文教地区で、治安はかなりいい。とはいえ万が一よからぬ輩がいないとも限らないし、もしもいたとしたら、女の子が部屋に入るのに手間取っているところを狙うかもしれない。などと考えると放っておけず、私は彼女が鍵を開けるところを見守っていた。とはいえ、見ているだけだと私の方が不審者になってしまう。
「
「はい。小早川まりあです」
「改めて、
「はい、よろしくお願いします」
今日ちょっと涼しいね、なんて話をしているうちに、まりあちゃんはようやく鍵を開けることができた。彼女はちゃんと私の方に顔を向けて頭を下げた。
「ありがとうございました」
「いえいえ、何もしてないのに」
「ひとりだと不安になっちゃうから。目、夏に見えなくなったばかりなので」
「全然見えないの?」
尋ねると、彼女は「はい」とうなずいた。
「じゃあ大変じゃない? 何か困ったことがあったら、私でよければ言ってね」
「ありがとうございます」
また小さな頭をぺこっと下げて、まりあちゃんは部屋の中に入っていった。
それがきっかけで、私たちは時々おしゃべりをするようになった。まりあちゃんは学校から帰ってくるとベランダに出て洗濯物を取り込む。それから外に出る訓練を兼ねて、なにか習い事に出かけるという。送迎してくれる人がいるのだそうで、たまにお父さんではない、すごく大柄な男性と歩いているのを見かけることがある。
私より十五歳も年下の女の子だけど、まりあちゃんと話すのは楽しかった。妹がいたらこんな感じだったのかな、なんて考えることもある。
私と尚輝は、こんなふうに話したりしない。私たちの関係は、そもそもすでに失われているものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます