第4話
湿気が多い日というのはどうしてこうも髪がまとまらないのか。
私はうねる髪の毛を指に巻きつけながらそんなことを思う。そこへ。
「おはよ、福寿。」
背後からぬっと、秋田大成が現れた。折り畳み傘と、彼の体の大きさがチグハグで、いつもよりも身長が高く見える。
「おはよう。」
漏れそうになる笑みを堪えて挨拶すると、彼は少し不機嫌そうな表情を浮かべる。
「どうせお前も、俺には折り畳み傘が似合わないって思ってるんだろ。」
お前も、って。皆、思うことは案外同じなのかもしれない。
「そんなことないよ。似合ってる似合ってる。」
「セリフが棒読み。まあいいけど。」
意外と、いや、意外でもないか。彼はそんなに引きずらないタイプらしい。すぐに、どうでもいいや、という風に肩をすくめた。
「そういや、お前らうまくいってんの?」
「うん、まあぼちぼち。」
お前ら、というのは私と影野春というクラスメイトのこと。数週間ほど前、春の「友達になりたい」という願いを突っぱね、挙句八つ当たりをし、落ち込んでいたところを秋田大成の助言により救ってもらったのだ。そういえばその時のお礼を改めてしていなかった。
「その節はどうもお世話になりました。」
「別に。そんなに頭を下げられるほどのことはしてないよ。ただ思っていたことを口に出しただけ。」
またも彼は肩をすくめる。しかしその目はそっぽを向いている。こう言ってはいるものの、恥ずかしいのかもしれない、というのは私の心の内に留めておくことにした。
キーンコーンカーンコーン。
毎度おなじみ、なチャイムが校舎中に響く。今は7時限目。科目はHR。
「えー、今日は文化祭のクラス発表についての話し合いをしたいと思います。まず、何をするか。案がある人は発表をお願いします。」
ルーム長の問いかけに反応する人はいない―――わけでもなかった。私の隣、秋田大成だけがまっすぐと手を挙げたのだった。
「俺、お化け屋敷がいい。」
刹那、クラス中がざわめく。「え、ベタ」、「本気でやらないと失敗するやつだよね」、「楽しそう」。そんな好き勝手な意見が飛び交っている。誰かが何かを言うのを待っていました、といった風にざわめきはどんどん大きくなっていく。
「静かにしてください!お化け屋敷という案が出ました。他にはないですか?」
再び静まり返る教室。
さっきお化け屋敷の案を否定したやつ、他のいい案出しなさいよ。不思議と、胸の中でもやもやとした何かが膨らんでいく。
「では、これ以上出ないようなので、B組はお化け屋敷に決定します。では、次に設定について。」
ルーム長の議事進行によりサクサクと決まっていく。その日は結局最終目標だった分担まで決まったのだ。
「陽ちゃんと衣装係一緒でよかったです!」
7時限目が終わるとすぐに春は私の席までやってきた。春の席とは少し離れているため、振り返ったらすぐに話せる、というわけにもいかないのだ。
「また敬語使ってる。敬語じゃなくていいって言ってるのに。」
春はなぜか私にだけでなく全員に敬語を使う。そこまで改まらなくてもいいと言っているのに。まあ、それが春の個性と言ってしまえばそうなんだけれども。
「つい癖で……。それより、楽しみ、だね!」
まだまだぎこちない、タメ語。でもその声にはぎゅっと濃縮された興奮と希望と、やる気が込められている。
「そうだね!どんな衣装作るんだろーねえ。」
私たちはワイワイとこれからのことを話し出す。隣で、彼が険しい顔をしていることにも気が付かずに。
「なあ、帰り、ちょっといいか?」
秋田大成が声をかけてきたのはちょうど私が教室を出ようとしていたところだった。ちなみに私は部活に入っていないので家に直帰する。
「う、うん。でもいいの?部活。」
「大丈夫。今日は塾があるから部活休むんだ。」
そういえば、私が相談に乗ってもらった時も同じ曜日だったかもしれない。
「そうなんだ。じゃあ、行こうか。」
私たちが向かったのは前回と同じ場所。また同じ並びでベンチに腰を下ろす。あの時と同じように、ぎっとベンチがきしんだ。
「お前さ、お化け屋敷やるって決まった時、どう思った?」
「どうって」
別に、ふつう。と、いう言葉をぎりぎりで飲み込んだ。わざわざこうやって聞くっていうことは何かを気にしているということだ。あまり無神経に答えてはいけない。
「すごいなって思った。あんなに誰もいないなかで堂々と意見が言えるって。私にはできない。」
すると、彼は「はあ」、と深い、ふかあいため息をついた。
あれ、私、なんか余計なこと言ったかな。
「あの時は気づかなかったんだけどさ、みんな、あれでよかったのかなって思って。なんか、俺だけが突っ走ってるんじゃないかなあ、と。」
そういうことだったんだ。
秋田大成もこういうこと思うんだ。
「大丈夫じゃない?むしろ突っ走ってくれてありがたいと思うよ。だってほかに意見出なかったし。意見出さなかった人間に文句を言う権利も、本当はあれがよかったなんて後悔する権利もない。」
秋田大成はじっとこちらを見つめキョトンとし、そしてふっと笑った。
「え?」
「いや、あんときの福寿春とは大違いだと思って。」
言われてみれば、そうかも。今のセリフ、私っぽくない。どっちかって言うと……
「俺っぽい、よな。」
そう言って、ニカッと笑う。その顔にもう迷いはないようだ。
「ごめん、考えすぎだよな。」
「別に。私だって相談乗ってもらったし、お互い様だよ。」
胸が、トクントクンといつもより早いリズムをとる。それが何によるものなのか、私にはわからない。
「じゃ、帰るか。」
「そうだね。」
すぐに、早かった鼓動はゆったりとしたリズムを取り戻す。公園のアジサイに乗る雨露が、きらりと光った。
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