第2話
帰り道を、足を引きずるようにして歩く。私の通う高校は駅から三十分と、なかなか離れたところにあるものだから、少し気温の上がる季節には少しきつい。こんなんで私は夏を乗り切れるのだろうかと心配になる。
あんなこと、言うはずじゃあなかった、なんてのは言い訳なのだろうか。でも本当に、あそこまで言うはずではなかったのだ。あの子が鈍感なのであれば、もっと徐々に距離を取っていく。そういう計画を頭の片隅でしていた。
それなのに、どうして。
「はあああ」
重い重いため息が吐き出されても、体の中には黒い、「何か」がもぞもぞとうごめいている。そして、影野春のあのまっすぐな視線が私を今も、鋭くと突き刺している。あの気弱そうな彼女のどこにあんなにもまっすぐな思いが隠されているのだろう。もし私があの場でいら立っていなければ、影野春に呑まれていたのは想像にたやすい。
学校と駅の中間地点、小さな川の上にかけられた橋の欄干に引き寄せられるように寄りかかった。水面は夕日に照らされて乱反射をしている。
笑っちゃうなあ、これじゃまるで青春ドラマのありがち映像じゃん。
半ば自嘲気味に乾いた笑みを浮かべる。ふわりと制服を揺らした風は水面から川独特のむわりとした臭さを運んでくる。
「あのー。」
「?」
まただ。また、突如声をかけられた。しかも今度は男。私はもう笑顔を張り付ける気にもなれずに仏頂面で振り向いた。そして、斜め上を見上げる。
「秋田(あきた)大成(たいせい)?」
秋田大成、クラスメイト。私の斜め後ろに座る男子。何度か話したことがある。確かバレー部員。同じ高校生とは思えないくらい身長が高くて、見上げないと顔がよく見えない。
「今、こっから落ちようとか思ってた?」
「は?」
本当に今日はどうかしている。一日に二度も思わぬ人物から話しかけられ、しかも私に向けられる言葉は変なものばかり。
「なんか、落ちようと思ってたんなら一応止めたほうがいいのかなって。」
いやいや、一応じゃなくても止めるでしょうよ。
……みたいな突っ込みの言葉はすぐに頭の中に浮かんでくるのに口にできない。
「え、え?」
目の前の秋田大成は急におろおろし始めた。そりゃあそうだ。だって目の前で自殺をしようとした(彼の勘違いだけれど)クラスメイトがボロボロと泣き出したのだから。
「あっと……とりあえず、そこ座るか?」
秋田大成は参ったといわんばかりに頭の後ろをガシガシと掻いて、すぐそばにある公園のベンチを指さした。
「落ち着いたか?」
こくり、と私がうなずくのを確認して、秋田大成は私の横にどかりと腰を下ろした。
「あのさ、よくわかんないけど、あんな人目のあるところで泣くのはよろしくないと思うぞ。」
「わかってるよ。」
それでも止められないのが涙じゃない?と言うと彼はまあ、そうかもな、とまた頭をガシガシと掻く。大方、何を話していいのかわからないのだろう。
「あのさ、もう大丈夫だよ。ごめんね、迷惑かけて。」
一緒にいてくれたのはありがたいけど、泣いた後ということもあり、恥ずかしさで言葉が何も出てこない。私もこのまま沈黙が続けば気まずくて参ってしまいそうだ。
「ん、そっか。」
彼は粘り強く何があったのかを聞くことはなく、すっとベンチから立ち上がる。彼の重さの分、ベンチが元の水平な位置に戻ったようにギッときしむ。そして秋田大成は私に背を向け、その長い脚を踏み出し……こちらを振り向いた。
「俺さ、思うんだけど。」
「はあ。」
「福寿はさ、いつも俺らに対して軽くバリアはってんじゃん?」
どくり、と大きく胸が揺れる。
「なんでそれを……。」
「ああ、勘違いしなくていいよ。俺が特別そういうのに敏感なだけだから。初めて福寿と話したときに、なんとなく、距離を感じたんだ。でも、それは完全な拒絶じゃなくて、なんていうのかなあ……」
そこまで言ってぼりぼりと頭を掻く。
まさか、ここまではっきりと言い当てられるとは思っていなかった。今までだって一度も気づかれたことなかったのに。
「自分を守るためのバリアって感じがした。自分が傷つくのを怖がって、近すぎず、遠すぎず、あいまいな距離を保っている感じ。」
「……」
もう、何も言えなかった。いう必要がないほど彼の言っていることは正しくて。
「それって、いいことでもあって、苦しいことでもあるんじゃないかと俺は思うんだけど。」
「いいこと?」
これがいいことだなんて。やっぱり秋田大成は変わっているような気がした。いや、変わっているのは私の方なのかもしれないけど。
「うん。人ってさ、あんまり近すぎてもしつこいって感じたり、自分の踏み入ってほしくないところまで踏み込まれて不快な思いするじゃん。でも逆に、遠すぎても自分が嫌われてるって思って落ち込んだり、お互い何も知らないから変なすれ違いを起こしたりってのがあると思う。」
「うん。」
「だから、その中間ぐらいの、福寿がとっている距離ぐらいがちょうどいいのかもしれない。」
近すぎず、遠すぎず。一定の距離を保って。私のその行動には確かに自己防衛が含まれている。人を傷つけるのも、自分が傷つくのも、一人になるのも怖くて、どうしようもない。この簡単に壊れてしまうような関係をどうしたらつなぎとめていられるのか、必死だ。
「だけど、やっぱりそれって裏を返せば、本当の自分の気持ちをぶつける相手がいないってことにもなる。」
「うん。」
私はうつむきながら、足元の砂をジャリ、と動かし返事をする。長らく雨水を吸っていない土は微かに砂埃を立ててふわりと舞う。
「つまり、俺が言いたいのは、もっとぶつかってみてもいいんじゃないかなってこと。あの人は、影野春って人はたぶんちょっとやそっとじゃ壊れそうもないと思うし。」
影野春。その名前が彼の口から出てくるとは。私は反射的に顔を上げた。しかし彼の背中はもう遠ざかってしまっていた。小さくなっていく彼から「またな」と声が聞こえる。
「ちょっとやそっとじゃ壊れない、か。」
彼女の、影野春のまっすぐな瞳が私を見つめている。彼の言う通り、あの子はちょっとの衝撃じゃ壊れないかもしれない。うん。
私もベンチから立ち上がって、駅へ向かう。踏み出したその一歩が、さっきよりもほんの少しだけ、軽くなったような気がした。
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