もう一歩、先へ
大評判の展覧会からしばらく、静かな日々が続いた。
あまりに鮮烈なサイラス様のデビューに、世間はリアクションを決めかねている。ここも私の予想通り。
私は今後来るであろう機会のために、毎日夜遅くまでスマホをぽちぽちして準備を進めている。
スケジュール帳に予定を詰め込んだり、メモ帳にひらめいた推し活アイデアを書き込むのも最近の日課だ。あとは計画に応じて通販サイトをいくつも吟味してアイテムを選んだり、美容系動画を視聴して新たなメイクのテクニックを吸収することも忘れない。
相変わらず私のスマホのバッテリーは疲れ知らずで、その気になればいつまでも向かってしまう。
今日もランプの灯りを頼りに書斎にこもりっぱなしで、まだ化粧も落としていない。タブレットで動画を延々リピートしながらスマホをスワイプしまくる。ちょっと待って、
IT技術を味方につけた聖女は異世界でもオタ活満喫中、なんて何かのタイトルのようなことを考えてにやけていると、猛烈な眠気が襲ってきた。
「ふわ~ぁ……ねむ……でも、もうちょっと……」
ぽかりとあくびをこぼし、眠い目をこする。すると書斎のドアを誰かがノックした。
「アイカ様、お茶をお淹れしました」
私が返事を返すと、セバスチャンはお盆にかわいいカップとティーポットを持ってやってきた。
「ハーブティーです。これをお飲みになって、そろそろお休みください。連日の夜更かしは身体に障りますゆえ」
あたたかな湯気を立てるカップを差し出されて、私は両手で受け取った。
電子機器から意識がそれたことで、自分がようやく喉がかわいていたことも思い出す。
お礼を言って、私は少しハーブティーを口に含んだ。
「おいし~っ……心配してくれてありがとう、でももうちょっとだけ……」
なんたって、展覧会は大成功だったのだ。その後の影響を想定して私は準備に追われている。
夜明けのローレライによって話題を呼んだ
そのときのために私はできることをすべてするつもりだ。
「むろん、そう言われるだろうとも予想しておりました。ご安心なさいませ、尊き聖女様のお勤めにこのセバスチャン、口を挟むつもりはございません。お茶のおかわりなら今夜いくらでもお注ぎいたします」
私の返事にセバスチャンは少しユーモラスに肩をすくめてそう言った。
うちの執事は頼りになる。私は笑ってもう一度お礼を言って、またスマホを手に取った。
「それにしても、いずれ当代の聖女様がお越しになるとは知っておりましたが、まさかじきじきにお仕えできる日が来るとは思っておりませんでした。幼い頃の私が知ったならどれほど喜んだことか……」
その言葉に顔をあげる。
そういえば、セバスチャンの
それに、イケオジ筆頭みたいな顔をしているセバスチャンだし、今までも誰かに仕えてたりとかそういう過去があるのかな。
「そんな子どもの頃から? ていうか、セバスチャンってどうしてそこまで聖女推しなの?」
せっかくだから質問してみる。
「私は子どもの頃は身寄りがなく、ほかの孤児たちとともに教会で育てられたのです。そこでは聖女様のことを日常的に教えられていまして……私にとっての聖女様とは、歴史の英雄や、おとぎ話のヒロイン、あるいは自分を導く親や教師のような、そんな存在だと申しましょうか……改めてご説明するといささか気恥ずかしい気もいたしますが、そのようなことです」
「へえ~、かなり古参なんだ……。じゃあ、このお屋敷に来た理由は?」
「それは……正直に申し上げますと、国王陛下からのご指名です」
「ええっ!?」
驚きのあまりスマホを落としかける。
王からじきじきに推薦されるって、セバスチャン何者!?
「セバスチャン、そんな有名な執事だったの!?」
「いえ、実は、このお屋敷に来るまで家政に関わったこともございません。むしろアミリーのほうが先輩です。彼女は曾祖母の代から王宮の華々しい家柄に仕えてきたメイドで、こちらに来てから教わることも多く……いやはや、いくつになっても勉強ですな」
さっきから彼が言うことすべてがびっくりだ。
こんな執事らしい見た目で、名前で、実はビギナーだったなんて……しかもアミリーたんに教わってるとか……。
ぽかーんと口を開けて驚きに浸っていると、 セバスチャンは照れたように赤い美髭をいじりながら言った。
「前職を辞めてから生きがいをなくしておりましたので、陛下には気にかけていただいていたのでしょう。あの方は私が教会で育ったこともご存知だったものですから……」
「前職って?」
「んん……まあ、護衛のようなものですな。それゆえ聖女様のお世話をさせていただくにあたり、陛下からの信任を
なんだかひっかかる言い方が続くが、だいたい理由はわかった。
人生、色々あるらしい。私も日本でしがない事務をこなしているOLだったのに、今じゃ聖女だもんね。
それにしても、かなり身近な存在であるはずなのに、私はセバスチャンのことをほとんど知らなかった。
めくるめく異世界の日々に順応するのに必死すぎて、基本的なことが頭から抜けてるというか……。
そこで思い出したひとつの事柄を、私は、思いきって訊ねてみる。
「ねえ……先代の聖女が、サイラス様に呪いをかけたって、本当なの?」
クルス王子が言っていた。100年前の聖女は“魔女”になったと。
そんなこと彼の口から聞かされるまで知りもしなかった。だが、園遊会で暴走した私を過剰に恐れる世間の反応からして、本当なのだろう。
こっちに来てからしばらく親身にしてくれた神官のレーテさんのところには、推し活が始まってからご無沙汰にしている。
それに……例の話を聞いてしまうと、その話を私から一切遮断していたレーテさんたち神官がちょっとうさんくさく感じてしまった。そりゃあ、親切にしてくれたのに悪いとは思ってるけど……でも、大事な話だと思う。それを隠していたようなところを感じて、ちょっとショックだったのも本当だ。
「サイラス王子がお生まれになってからすぐ、先王……アルブレヒト王が臣下たちに布告されたのです。『わが息子は呪われた。魔女の呪いである』と……」
「自分から言ったの? なんか、よくない噂とか立てられそうだけど……」
「自分にも周りにも厳しい方でしたので、あえて隠さなかったのでしょう。『わが息子ならば、この呪いを克服せしめるだろう』ともおっしゃっていました。このような逆境に屈する者は王家にはいないと……まあ、そのようにお考えだったようで、王子はかなり苦労をされたと思います。呪いとは、本人や周囲の努力でどうにかなるものではありませんからな……」
どこか悲しげに言うセバスチャンの言葉に、私も眉を下げる。
厳しいお父さん、か。「俺が厳しいのはお前に期待してるからだ」なんて言葉を盾に、いつも無茶なハードルを課してきて、一度機嫌を損ねたら一大事、お母さんも口出しできなくなって……家の中は冷戦状態。
なんだか思い出すものがあって、私は暗い気分になった。
だが、いち会社員でしかなかったうちの父親と、サイラス様の父親は違う。相手は一国の王だ。抱えているものが違いすぎる。
きっと、息子に呪いをはねのけて生きてほしかった気持ちは、誰よりも強かったに違いない。
だけど……呪いをかけられたサイラス様に責任はない。
きゅ、と膝の上で拳を握った。
「……でも、前の聖女はどうして魔女になったの? 何があった?」
「申し訳ございません、100年前のことなので私も詳しい事情には明るくないのです。もしかすると、レーテ殿にお聞きしたほうが早いかもしれませんな。あの方は昔から聖女様の伝承に詳しかったので……」
やはり。
今はなんとなく避けてしまっているけれど、そのうち対峙しないといけないのかもしれない。
私は少し気が重たくなるのを感じながらも、同時にある種の決意を固めた。
知ろう。
推し——サイラス様のことに関わるんだもん。私もまったく無関係ではない以上、知らないままではいられない。
いつの間にか空になったカップに、セバスチャンがおかわりを注いでゆく。
「色々話してくれてありがとうね、セバス。というか、今まであんまりしっかり話せなくてごめん。こんなに色々してくれてるんだもん、もっと知っておかないとね……また話そう。今度はアミリーたんも、一緒に」
こっちに来てから、色んな出会いがあったはずなのに。気づけば頭の中はサイラス様のことばかりが駆けまわるようになっていて、少し周りを見る余裕がなかったかもしれない。
そう言ってセバスチャンを見る。
彼はすう……っと目を閉じると、青くなるまで下唇を噛んでいた。
「セバス……?」
「はっ、申し訳ございません。推しからあだ名を頂戴するという神イベントに感情が天元突破してしまい……少し泣いてきてかまいませんかな?」
「え……はい、そこは自由なんで……」
さっきはあんなことを考えたけど、これ以上セバスチャンのことを知るのはちょっと怖いかも……と思いつつ、私はまだあたたかいハーブティーのおかわりに口をつけた。
この世界のイケオジは、限界オタクにならないといけないルールでもあるのか……?
異世界の常識に完全に慣れるのは、もう少し先のことになりそうだ……。
通販聖女は女装の騎士団長サマを推したい! ~一億円当てたラッキーガールはネット通販を駆使して異世界推し活ライフを堪能しまくる!~ 七日 @nanokka
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