展覧会の絵

 さっそく、私たちはルブラン伯爵のアトリエに招かれることになった。

 場所は王都の郊外に広がる立派な荘園。その中にある大きな納屋を改造して作り上げられたアトリエには大量のカンバスと絵、彫刻たちが展示されていた。壁を埋め尽くすような巨大な本棚や、重厚な作業机といったアイテムにもルブラン氏の哲学が溢れているし、アトリエ全体から彼自身の研ぎ澄まされた思想を感じる。


 「うわぁ……すっごい芸術家!って感じ……!!」


 一流アーティストのセンスにあてられ、思わず語彙力ゼロな感想を口走ってしまう私。

 横に立ったサイラス様がくすくすと口元を押さえて笑っていた。

 今のサイラス様は金髪をコテでふんわりと巻き髪にして、女神様みたいに優雅でゴージャスな雰囲気だ。

 合わせてドレスも白いドレープがたっぷり効いたデザイン。胸元の繊細なレースが一見清楚だけど、なんとバックはがら空き! サイラス様の鍛えられたしなやかな背筋が目に眩しい……。芸術の女神スタイルなら、ちょっと大胆なのもアリでしょ! と提案したところ、サイラス様も結構気に入ってくれたらしく、騎士らしい弛みのない立ち姿はいつも以上に凛としていた。


「サイラス様、今日もばっちりです! こんなサイラス様が神絵師に描かれて宣伝されたら、もう大バズり間違いなし!!」


 推しの尊い姿を拝めて、私も今日もテンションMAXだ。

 同担のルブラン氏もさぞ喜ぶことだろう。そう思って私はアトリエの奥に呼びかけた。

 すると、奥の部屋から画材を手にルブラン氏が戻ってくる。


「ああ、準備できたかね。では、始めようか。モデルの方にはそこの椅子にかけてもらって……」


「え……?」


 私はその落ち着いた態度に目を疑った。

 あの、パネルの前で萌え狂っていたルブラン氏はどこに!?

 サイラス様だって今日のために完璧に仕上げてきたのに、推しとの初対面がこんなにあっさりしたイベントで終わるなんて……。


 「きみ、私の顔に何か……?」

 

 私が不思議に思っていると、ルブラン氏は視線に気づいたらしく振り返る。


「推しとの初対面なのに、えらくあっさりなので……」


「いや、推しから直接案件が飛んできたのに自我を出してクオリティを落とすようなことはしないが……?」


「オタクのかがみだった!!!」


 あまりのプロ意識の高さに尊敬がカンストしそうになる。

 そうだ……この人は限界オタク以前にプロの神絵師なんだ……!

 プロとしての顔を見せたルブラン氏の表情にはアラフィフの渋みと落ち着きが漂っている。特にイケオジ属性のない私でも魅力的だと思ってしまうほどだ……。


 そして、作業開始——。


 伯爵の荘園に連日通いつめて、集中的に作業すること、およそ一か月。


「で……できたぞ……! 私の復帰作が……!」


 達成感に満ちたルブラン氏のひと言がアトリエじゅうに響く。

 毎日経過を見守っていた私も、思わずカンバスに駆け寄った。

 そこには……天使の羽衣のような白いドレスを身に纏い、慈愛溢れるやわらかなまなざしをこちらに向ける、まさに美の化身となったサイラス様の姿が。

 油絵の格調高いタッチで表現されたその肖像画は、単に写実的なだけではなく、どこか神話の世界を切り取ったかのようにドラマチックで、物語を感じさせる。精細な写真とはまったく違う、サイラス様の美しさを新たな解釈で表現した圧倒的なクオリティに、芸術に疎い私でも感動に打ち震える。


「う、おぉおこれは……!? なんという神絵なのですか!! いいねボタン10万回、いや100万回押したいレベルですよ!!」


「きみが何を言ってるのかさっぱりわからんが、うむ……そうだな、去年メンタルの不調で案件飛ばしまくってから、今度の展覧会で絶対復帰しろとアカデミーに脅迫されていたが、これなら堂々と凱旋ができそうだ……!」


「これが、私……」


 サイラス様もまた、その絵を見て陶然と息をこぼした。

 そして、うっすらと目に涙を溜めたかと思うと、ルブラン伯爵の両手をがっちりと握る。


「こんな……こんなすばらしい作品を……感謝します、伯爵! これは、あなたの絵のファンとしても最高の作品だ……!」


 最高の技術を持つ人に、こうして作品で自分を肯定されるって、そりゃあもうすごい感動なんだろうな。

 今まで王宮の陰を歩いていたサイラス様にとって、それがどんな意味を持つのか、私には計り知れない。

 一方、推しから感謝されて、手まで握られたルブラン氏は、スンッ……としていた。

 ああ……わかる、逆にこういうとき現実感ないよね……。

 

「い……いや、それはともかく聖女殿、報酬として例の物を……わかるね?」


「もっちろんです!」


 私は過去のパネル全種類を贈ることを約束していた。

 私にひっそり耳打ちしてきたルブラン氏は安心したように胸を撫で下ろす。

 その様子に、私の胸にふと疑問が生まれた。


「それにしても……過去のパネルはもう盗まれまくってるし、てっきりルブランさんのもとにあるのかと思ってました」


 こんな熱烈なオタクなんだから、べつに不思議ではない。

 するとその言葉にルブラン氏はびっくりするほど豹変した。


「し、失礼なッ、私を盗人扱いするんじゃない!! そもそもなぜ推しを独占するようなことを私がせねばならん! 推しのすばらしさは皆の目に触れて称えられてこそだろうが!!」


 「し、失礼しましたー!!」


 慌てて頭を下げた。

 たしかに、ストレートに泥棒扱いしてしまったのはよくなかった……。

 反省しつつ、(じゃあ誰が……?)と胸の中にふたたび疑問が生じたが、この時点では到底、答えの出るものではなかった。

 

 この肖像画の完成を以て、ルブラン氏の王都での展覧会が正式に決まった。

 展覧会自体はほかのアカデミー会員との合同だったが、なんと言ってもメインは神絵師ステファーヌ・ルブラン氏の復帰作だ。

 後日、展覧会に招待された私たちは、改めてサイラス様の肖像画と、それを鑑賞する人々の反応を心行くまで楽しんだ。

 お披露目のために白い幕が取り除かれた瞬間、あまりの美しさに卒倒する人もいたほど。

 絵の前に集まった皆が、ルブラン氏の最高傑作ではないかと熱心に噂し合っている。

 しかも、絵の題材は明らかに王都で噂の黄金令嬢レディ・ゴールド

 私は心からにんまりして絵と観衆を眺めていた。

 だって……その観衆の中には……、


「ルブラン伯爵の新作が……まさか、あの不埒な絵の女……だと……っ!?」


 顔面蒼白で立ち往生するクルス王子がいるのだから!

 まさに、完・全・勝・利!!


「そんな……わが国随一の芸術家である伯爵が、世間の胡乱な流行を取り入れるなんて……わ、私は認めんぞっ!! いくらルブラン伯爵といえど、大衆に迎合するなど落ちたものだ! 芸術とは常に崇高なものであるべきで……!」


「ん~、異世界から来た私はぜんぜん詳しくないけどぉ、芸術って世間の潮目を映す鏡でもあるんじゃないですかぁ~? 結局、皆が求めるものに応えるのも表現のひとつのあり方っていうか~? まあ、いわゆる覇権ジャンル……ですよね?」


 嫌味たっぷりに言う私に、王子の眼つきが険しくなる。


「お、お前の差し金か、暴走聖女! どこの馬の骨とも知れんモデルを連れてきて、ルブラン伯爵を篭絡したのだな!?」


「ちょっとー、言いがかりなんですけどー! ルブラン伯爵はれっきとした黄金令嬢レディ・ゴールドさんのファンなんですっ! 今回ちょっとご縁ができて肖像画をお願いしただけであって、嫉妬とかやめてくれます?」


「だっ、誰が嫉妬なんかするか!!」


 絵の前で言い合う私たちを見て、ザワザワと喧騒が広がる。

 何かおかしいなと思っていると、すうっと人波が割れて、そこから誰かが歩いてくる。


「ほう、これかルブランの新作か……なるほど、復帰作としては最高の出来だな」


 感心したように絵を見つめて感想をつぶやく、リュディガー王。

 滅多に公衆の前に姿を現さない国王の姿に、場の空気は異様なものとなる。


「ち、父上……いや、陛下……!」


「お前もちゃんと見ておくんだな、クルス。ルブランは確実にわが国の歴史に残る画家だ。芸術を糧とするエレンディアの未来の王として、国の宝に目を向けておくことも……」


「——陛下ッ! このような人気取りのような浅い絵など、作品とは呼べません!!」


 強い口調で父親に食ってかかるクルス。

 あまりの剣幕に、リュディガー王は面食らった。


「ど、どうした。そんなに息巻いて。お前もルブランのファンだっただろ? 何をムキになって……」


「これはそこの暴走聖女が企てた、世間の流行を操作する計画の一部です!! 芸術を道具とし、己の権威を強めようとする浅ましい欲望に取り込まれてはなりませんっ! こんなのに屈服するのは、王家の恥そのものです!!」


 うーむ、えらい言いようだ。

 王子ひとりがどうお気持ちを表明したところで世間の評価はもはやひっくり返らないと思うが、もしリュディガー王がその意見に同調してしまったら、ちょっと厄介かも……。

 少し心配しながらやりとりをうかがうことにする。


「クルスよ……お前はいったい何を言っている? 芸術なんて、流行そのものじゃないか。今主流の古典主義だって、少し前の退廃的な芸術至上主義が飽和してきて盛んになったものだし、肖像画は為政者や時代の寵児を世に知らしめる道具として昔から活用されてきた手法のひとつだぞ?」


 リュディガー王は、呆れたように首をかしげて息子を見る。


「それに、人々が求めるものに応えて何が悪い? 高尚な知識派ばかりに寄って創作されつづけたら芸術文化は衰退するぞ。だいたい、お前は少し思い込みが激しいんだ。最近自分の部屋にこの絵のような金髪の女の絵ばかり飾って、足の踏み場がないじゃないか。芸術に執心するのもいいが、ちゃんと整理整頓をだな……」


「えっ? 金髪の女の絵?」


「…………ッッッ!!」


 びくり、と全身を震わす王子を見て、私はとっさに思考を働かせている。

 盗まれたパネルたちの行方……王子の部屋に飾られているという、金髪の女の絵……。

 そのふたつを結びつけるのは、目の前で愕然となる王子の表情。

 

「あーっ!! パネル泥棒の犯人ここにいたー!!」


 私は思わず大声で叫びながら彼を指さした。

 その瞬間、観衆のざわつきが深くなる。

 王宮ではサイラス様のパネルがすっかり評判になっていたから、頻繁に盗まれているという噂も広がっていたはずだ。

 その犯人は……まさかのパネルを目の敵にしていた王子!!

 みるみるうちに王子の顔は真っ赤に染まる。

 すると、彼の横で静かに控えていたルーファウスがひっそりと耳打ちする。


「殿下……この誤解はよくありません。殿下はあくまで王宮の景観を守るためにあの不埒な絵を回収していただけであって、決して個人的な欲望で独占していたわけではないということを陛下に対して弁明を……」


「ええい黙れ黙れルーファウス!! それ以上は何も言うなっっっ!!」


 ついに正体を現すクルス。

 ルーファウス、そのアドバイスはもう嫌がらせだろ。

 クルスの自白に等しいリアクションに、何よりも驚いているのは私の横のサイラス様だ。


「まさか、クルス……お前が……?」


 いとこのお兄さんが軽く引いてるので、クルス王子はもう破れかぶれといったように頭を抱えて叫んだ。


「う……うるさいうるさい!! 私は決してあの絵の女に入れ込んでいるわけではないっ! あのような絵が王宮じゅうに散らばっていたら目障りだしっ、それに……あの……け、決して、サイラス、お前の亡くなった姉に似ているからこだわっていたわけでは………!!」


 その言葉に、サイラス様は目を見開く。


「私が、姉上に……?」


 今度、目を見開くのは王子の番だった。


「“私”………………?」


 サイラス様からこぼれたひと言に、クルス王子は突然宇宙に放り出されたような表情で硬直した。

 サイラス様は「言ってもいいだろうか……?」といったまなざしを私に向ける。

 私は、黙ってうなずいた。


「実は、あの絵は私が女装した姿なんだ。このルブラン伯爵の絵も、女装した私がモデルになったもので……つまり……いや、なんと言ったらよいか……」


 サイラス様は恥ずかしそうに言うと、ぽかんと口をひらくクルスに向かって、はにかんだ。


「そうか、姉上に似ていたか……お前の小さい頃に亡くなってしまったものだから、もう覚えていないかもしれないと思っていたが……忘れられていなくて嬉しい。ありがとう、クルス」


 その微笑みは、間違いなく肖像画の中の女神のそれだ。

 サイラス様の告白に、周りの驚きはピークを迎えた。

 それに、クルス王子も……。


「わ、私は……今まで、お前の女装した姿に取り乱していたというのか……!? そんな、ことが……!!」


 膝から崩れ落ちる王子。

 そのドラマチックな絶望の仕方に私は吹き出してしまう。

 さんざん食ってかかっておいて、内心では惹かれてました、なんて少女漫画あるあるを全身で表現されてしまうともう堪えきれない。

 爆笑する私を、クルスは真っ赤な顔で心底憎らしそうに見る。


「おのれ……おのれぇっ、すべてお前の計画か暴走聖女!!」


 「まあ落ち着けクルス。べつに相手がサイラスだったからってそこまで興奮することなかろう。芸術はときに垣根を越えて人の胸に届くことがあるものだ」


 ぽん、と息子の肩に手を置いて諭すリュディガー王。

 軽そうに見えてたけど、意外としっかりした父親だなこの人……。


「しかし、女装か……最近の若者は自由でいいな……まあべつに個人の自由で楽しむ分にはいいだろう。サイラス、趣味に励むのはよいが騎士団長としての本分も忘れることはないようにな」


「は、はい、陛下」


 リュディガー王はそれだけ言い残すと、メンタル崩壊した息子の肩をひきずって展覧会を退場していく。

 残された私たちは、周りから視線を感じた。

 そのまなざしには……興味、羨望、感嘆、今まで向けられてきたものとは明らかに異なる種類の感情がたくさん詰まっていた。

 慣れない注目を浴びてどこか心もとない表情をするサイラス様の隣に近づいて、私はそっとその手を握る。

 なめらかな肌質に、筋の張った男性らしい骨格を手の中に感じつつ、私は視線であることだけを伝えた。


(このまま、見せつけてやりましょう。……だから、笑って)


 私はたしかな実感を胸に込めて、サイラス様に笑いかける。

 すると、ぎこちない口元がだんだん和らいで、繊細な微笑を浮かべた。

 私に向けられたその微笑みには、どこか自信がかがやいている。

 多くの人の好奇の視線に晒されても、もう、隠れたりしない、と私に向かって宣言するかのような表情だった。


 安心してください、サイラス様。

 あなたがどんなにすばらしい人なのか、もうすぐ世間は完全に知ることになりますから。

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