認知


 その年齢は五十路手前ぐらいで、円熟した大人の魅力が引き立つ結構な美形の男性だったが、頭上で手を合わせ、パネルに礼拝するように何度も頭を上げ下げして絶叫する姿はちょっと常軌を逸している。

 見事なヘドバンに私が絶句していると、レオンハルトが「ん?」と何かに気づいたようなつぶやきをこぼす。


「このおっさん……どっかで見覚えあんな」


「知ってるの?」


「あー……何年か前、兄貴の誕生会で見たっけなぁ。たしか、兄貴が嫁さんと一緒に肖像画描いてもらったときの……俺はずっとメシ食っててあんまり覚えてないけど」


「ステファーヌ・ルブラン伯爵か……!」


 レオンハルトの曖昧な思い出話を聞いて、サイラス様がはっとしたように言った。


「エレンディアでもっとも権威のある芸術アカデミーの会員だ。アカデミーの開祖であるエーメル・アルデバランの直系弟子のひとりで、師が亡きあとは現代の古典主義の勢いを広めた新・アルデバラン派をけん引する権威そのものの方だ……」


「すみません固有名詞多すぎてよくわかりません……」


「つまり、今のエレンディアの芸術社会でもっとも有名な人なんだ」


 サイラス様は言い換えて説明した。

 ようするに……大物の芸術家ってこと!?

 そんなすごい人が限界オタクと化してる事実にまずびっくりだ。


「しかし去年から体調を悪くされ、活動を制限されているとのことだが……」


「ハァッ……ハァッ……妻に浮気され離婚したことが原因でメンタルが崩壊し、毎日ぴえん状態だったが、黄金令嬢レディ・ゴールドたんを推し始めて私の世界はまた精彩を取り戻したのだ……。いや、むしろ以前よりかがやいてるまである……黄金令嬢レディ・ゴールドたんマジ天使!!!」


 私たちの話を聞いてたのか、自分で説明しだすルブラン氏。

 推しが生きる力に……。なんて良い話だ。なんとなく他人と思えない。

 しかし、その瞬間に私はピンときた。


「あ、あの……ルブランさん! よかったらご相談したいことがあるんですけど!」


「なにかね、私は見ての通り礼拝で忙しいのだが」


「……その、黄金令嬢レディ・ゴールドさんの絵を……描いていただけませんか?」


 私はルブラン氏の後頭部に向かってそう切り出す。

 ルブラン氏はその名前を聞いた途端、カタカタカタカタ……と全身を震わせ始めた。


「えっ、今なんて……」


「ぜひ黄金令嬢レディ・ゴールドさんご本人をモデルに迎えて、肖像画を描いていただきたいんですっ!」


 だって、ルブラン氏はエレンディアの芸術界の大物!

 そんな人が描いた作品を前にしたら、古典しか認めん派の王子も認めざるを得ないはず!

 またとない好機を前にして、私は口八丁でルブラン氏を説得する。


「実は私、黄金令嬢レディ・ゴールドさんご本人と知り合いでして……私が対面の場を設けますから、ルブランさんにぜひ描いていただきたくて……! いかがでしょうか?」


「は? え? 知り合い?」


「そうなんですっ! このパネルを置き回ってるのも黄金令嬢レディ・ゴールドさんのプロモーション活動の一環でして。推しの尊さを布教する活動と思って、ぜひ引き受けていただけませんかっ!!?」


「あ、アイカ、大丈夫なのか……」


 さっきから話題の中心にいるサイラス様はちょっと赤面しながら口を挟んだ。

 でも、ここは強気にいかなければ!


「え……私が……? 私が、黄金令嬢レディ・ゴールドたんを描く……? 私のようなセンスレスのゴミ人間が……? そんなことしたら侮辱罪で一発処刑……よくて流罪なのでは? 大体ただでさえこんな尊い絵があるんだから私なんかがもう描かなくていいのでは……」 

 

 うつむいてそのへんの草を引き抜き出したルブラン氏。

 あ、やばい。推しを前にして自己肯定感が下がるタイプのオタクだ。


「だ、大丈夫!! あなたにしか描けない作品がある、絶対に!! むしろあなたが推しを世間に広める先駆者になるんですよ!!」


「う、うぅ……でもぉ……私の真面目でお堅いだけの絵柄では黄金令嬢レディ・ゴールドたんの生きとし生けるものすべてに愛情を注ぐような表情まで表現しきれなさそうというか……ウッ、自分で想像したら解釈不一致起こして胸が苦しい……もうマジ無理……出家しよ……」


「なーに弱気出してるんですか!! それでも表現者ですか!? 描いてもないのに自分にダメ出ししつづけてチャレンジすることすらやめてたら何も生まれませんよ!」


「アイカ、お前いまこの人知ったばっかだろ」


「とにかく、レッツトライ!!」


 私は拳を握って掲げ、彼を奮い立たせるべく力強く言い放った。

 理屈はともかく私の熱量だけはある言葉を浴びせられて、ルブラン氏の表情にも少し迷いが生まれる。

 その浮上してきたやる気を、私は見逃さない。


「そんな……私が……」


「報酬として黄金令嬢レディ・ゴールドさんのパネル全種類プレゼントします!! 本人のサイン&メッセージ入り!!」


「やりまぁす!!!!」


 ルブラン氏は私に向かって土下座して、ふたつ返事に叫んだ。

 ふん……予想通り、オタクはグッズ全種類コンプに弱い……。

 やりとりを見ていたレオンハルトもサイラス様も困惑していたが、私は交渉が成立した喜びでぴょんぴょんとその場を跳ね回る。


「やったー! これでクルス王子の悔しがる顔が見られるわっ! 異世界の技術が気に入らないっていうなら王道で戦ってやればいいのよ!! ねえ、サイラス様、いいでしょうっ!?」


 「う……うむ、実は私もルブラン伯爵の絵が前から好きだったんだ。自分を描いてもらうとなると、どんなふうになるのか興味があるな……」


「は?」


 何言ってんの? という顔でルブラン氏はサイラス様を見る。

 ご本人との対面を約束してしまったのだから、仕方ない。

 私は意気揚々とルブラン氏にサイラス様を紹介することにした。


「なんと、黄金令嬢レディ・ゴールドさんの正体はこの方、サイラス様の女装姿なんです! お化粧で少し印象は違いますけれど、面影はあるでしょうっ?」


 私は恥じらうサイラス様とパネルを交互に指さした。

 金髪、青い目、そしてどことなくたおやかな表情……。

 ルブラン氏はそれを何度となく見比べて、そして、何かに気づいたかのように胸に手を当て……、

 

「あ、嬉しくて死んだ……」


「なんつーか、いい表情カオしてるなおっさん……」


  最前列で推しの認知をもらったルブラン氏は、地に転がった。

 レオンハルトの言う通り、その表情は晴れやかで……こんな顔で死ねたら最高だろうな、と人生の絶頂を表現していた。


「こ、こんなに崇拝されるのは生まれて初めてだ。ちょっとどうしたらいいかわからないな……」


「なぁ~ご……」


 彼のイキっぷりを見てサイラス様は気後れしたような表情をする。

 その背中で巨大化したままのピエールも不審そうに五体投地するルブラン氏を見下ろしていた。

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