宣戦布告

 クルス王子はまるで忌まわしいものを見るようにサイラス様のパネルを睨めつけた。

 そのまなざしには憎しみすらこもっていて、持ち前の美貌も相まって壮絶な表情だ。


「ルーファウス! あの不埒なものを撤去せよ!」

「はい、殿下。只今」

 

 突然クルスはその名を叫んだ。

 それまで無言で後ろに控えていた長身の騎士、ルーファウスが歩み出てくる。

 彼はつかつかと近づいてくると、レオンハルトが立てたパネルをガッと粗雑に掴んで持ち去ろうとした。


「あーっ! てめぇ何すんだよ!」


 荒々しい言葉を放ってレオンハルトはルーファウスの抱えたパネルに掴みかかる。


「殿下のご命令だ、聞こえなかったのか?」


「なんでもホイホイ命令に従うお前とは違っぇんだよ!」


「殿下に逆らうつもりか? 公爵家の三男ごときが」


「あ……あの、ルーファウス……その、それは……」


 サイラス様が恐る恐る声をかけるが、ふたりはパネルを取り合って聞いちゃいない。

 しびれを切らした私が飛び出し、ルーファウスの手を押さえにかかる。


「ちょっと待って――!! それは怪しいもんじゃないの! これはちゃーんとれっきとした芸術! そう、芸術品なんだから! だからもっと丁重に触れてちょうだい!」


 私は必死に止めにかかるが、ルーファウスは「こいつ何言ってんだ」みたいな眼つきで私を見下ろすだけ。

 そして掴みかかるレオンハルトを振りほどこうとして腰をひねり、私もついでに弾き飛ばされる。

 

「きゃあっ」


「ルーファウス! 命令とはいえ、乱暴だぞ!」


 地べたに尻餅をついた私のもとに駆け寄るや、サイラス様は強く声を張り上げる。

 珍しく怒気を孕んだ声と凛々しい表情に思わずきゅんとなっていると、そのやりとりを見てクルス王子がさらに声を張り上げた。


「サイラス! 貴様、この暴走聖女と組んで何をしようとしている! これ以上王家の品位を下げるようなら捨て置かんぞ、さあ、目的を言えッ!」


 クルスは敵意もあらわにサイラス様を睨みつけた。

 そうだ。現王はたしか亡くなったサイラス様の父親の弟って話だから、現王の息子で王太子のクルスって、サイラス様のいとこってこと……?

 でも彼のまなざしは、とてもいとこのお兄さんに向けるようなものじゃない。

 その青い瞳の奥で滾っているのは、侮蔑と怒りの炎だ。


「クルス……。そんな、われわれには王家を貶める意図はない。これは……そうだな、趣味の活動のようなもので――」


「趣味だと!!? 趣味でそんな不気味なものを置いて回ってるほうが気味が悪いわ!!」


「さっきから何よぉ! こんな美しい絵を不気味って!」


 サイラス様に食ってかかる様子が異常だったのと、王子の言動にカチンときた私は思わず言い放つ。


「おたくの美的感覚がどうなってるかわからないけど、こんな偉大な美と叡智の詰まった物体を前にして、いかがわしいだの不気味だの言いたい放題ね! 王宮は芸術に開放的なんでしょっ、だったら私たちにも表現するチャンスぐらいあるはずじゃない!」


 相手が王族だとしても、サイラス様を軽んじられた怒りで私の頭はいっぱいだった。

 何より、こんな美しいサイラス様の女装姿を頭ごなしに否定されて腹が立ったのだ。

 私が食ってかかると、クルス王子は少し鼻白んだように「はッ……」と笑い声を漏らした。



「芸術だと? わが国の持つ創造の文化がいかに世界で芸術的価値を示しているか、異世界から来た聖女殿にはいまいちピンときていないようだな。芸術家たちが継承してきた伝統ある技法と、歴史とともに積み重ねられてきた研究の成果こそエレンディアの芸術だ! 絵画、彫刻、演劇に詩、王宮や劇場の建築技術! わが国の生んだ芸術は多くの国で珍重され、大陸の文化の根幹をなしてきたといっても過言ではないのだ」


 まるで的外れな指摘だと言わんばかり、こちらを見る目は軽侮に満ちている。

 

「ゆえにそのような、異世界の……うさんくさい魔法のような技術で作り上げられたものなど、ただのはったりだッ! 芸術と呼ぶのはふさわしくない! 一部の美に疎い連中はやたらにもてはやしているとの噂だが、そのようなものが王宮にある時点でこの国の歴史に泥を塗るようなものだ!」


 うげッ。

 ド直球の異世界差別だ!

 こういう古典こそ至上みたいな人が印象派とか出てきた頃に率先してバカにしてたんだろうな……。

 王族だからある程度は仕方ないのかもしれないけど、あまりにも保守派の考え方すぎて現代っ子の私はその頭の固さに驚いていた。


「魔法って……この世界にもあるものでしょう!? それの何が悪いの!?」


 呆然とする私に対し、クルス王子は「ふん」と挑発的に鼻を鳴らし、冷たく見下ろしてくる。


「知らぬわけではあるまい。お前の先代の聖女は――“魔女”だ。そこにいる男に呪いをかけた犯人でもある!」


 私は言葉を失った。

 思わずサイラス様を振り返る。


「………アイカ。きみも、どこかで聞いたかもしれないが、その通りなんだ」


「いっ――いえ、全然っ!!? 初耳すぎるんですけど!!」


 この世界に来てから、誰からもそんなことは聞かされたことないし、今だって信じられない。

 そういえば……この国でどんな聖女がいたかなんて、よく知らない。過去に、王家に嫁いだ人もいる、ってレーテさんから聞かされたぐらいで……。


「先代の聖女は邪心に目覚め、王宮を追放されたのちに魔女としてこの国に舞い戻り、その男に呪いをかけたのだ。自分を追いやった王宮へ復讐するためにな。そこから聖女というものに私は信用がおけない。魔力に驕った結果、自分が災厄を振りまく魔女になりうるような存在なのだからな!」


 ……そうか。

 私が園遊会で暴走したことへリュディガー王がとった対応、世間の風当たりの強さ。

 今なら何もかもに納得がいく。


「殿下。聖女殿はエレンディアがこの国を挙げて保護し、守護する存在です。いささかお言葉が強すぎるかと……」


 横からルーファウスが忠言するが、クルスにはまともに耳を傾ける様子がない。

 偉そうに腕を組み、顎をあげる表情からは私たちを見下す感情以外なにも見えなかった。


「まったく……よりによって暴走聖女と呪われた元王子が手を組んで何かしでかすとはな。これ以上王家に連なる者にとって屈辱的なことはない。……ルーファウス!」


 ぱん! と両手を打ち鳴らし、クルスは命じる。


「もうよい。その絵を斬り捨てよ!」


「なんですって……!?」


 命令を受けたルーファウスは、すらりと腰の鞘から剣を引き抜くと、パネルの前で静かに構えた。


「ダメっ!!」


「アイカ!」


 レオンハルトとサイラス様が止める声がしたけど、止めないわけにはいかなかった。

 パネルの前に躍り出た私は、両腕を広げて、その剣からサイラス様のお姿を守ろうとする。

 ルーファウスの冷たい紫水晶の瞳が、私の全身をなぶるように見つめた。


「どけ、痴れ者めが! わが騎士の邪魔をするな!」


「嫌よ! 絶対、どかない!」


 目の前に掲げられた剣が怖くないかと言えば、嘘だった。

 初対面のときから、ルーファウスは私なんかどうでもよさそうに振る舞うから、本当にパネルごと斬られたらどうしようと思った。

 でも、この写真のサイラス様が傷つけられるなんて――それも嫌!

 自分の意思でドレスを身に纏ったサイラス様は、本当にほんとうに美しいから。

 その決意と信念のもとで作り上げられた女装姿が、頭の固い王子の命令なんかで引き裂かれて台無しにされるなんて耐えられない。

 恐怖と怒りでうっすらと潤った目でルーファウスをきっと睨みつけると、彼は面倒くさそうに目を細め、ため息をついた。


「……私に聖女殿を斬れとおっしゃるか。困ったお人だ」


「誰がそんな真似させるかよ」


 剣呑な声がしたかと思うと、白い閃きが走って、ルーファウスの目に緊張が走る。

 ちゃきん――! と金属が打ち合う音を響かせて、ルーファウスは自分の剣に押し当てられた刃を跳ね返す。

 狼のような金眼を見開いてレオンハルトがその剣を追ってもう一撃を振り下ろした。

 私は目の前でレオンハルトとルーファウスが剣を交える瞬間を息を呑んで見つめる。


「よせ、レオ!」


「先に手を出したのはこいつだ。この鉄仮面野郎を倒して、きゃんきゃんうるせぇ王太子殿下にも灸をすえてやる」


 サイラス様は制止の声を叫ぶが、ルーファウスと剣越しに睨み合ったレオンハルトはその手を緩めない。

 ルーファウスは嘲笑を含んだ表情でレオンハルトを見た。


「……二年前の剣技大会の結果を忘れたか? 準決で私に敗れ去ったのは貴様だぞ、レオンハルト=グースター」


「二年も前のことでイキってんじゃねえ。俺はそのときより強くなってるに決まってるだろ」


「ほう……。ならば、私も二年前より強くなっている可能性を考えないのか?」


「吹きやがれ、陰険野郎!」


 剣戟は激しくなる。

 昼間から広い中庭で激しくやり合うふたりの姿に、周りからも悲鳴があがった。

 その予想外の戦いに動揺しているのは私たちだけではない。


「ひっ……! や、やめよ、ルーファウス! 王宮の中だぞ!」


 仕掛けてきた側のくせに、自分が青い顔をしてクルス王子は叫んだ。

 ガチの騎士のケンカにビビっているあたり、結構箱入りなのかもしれない。

 だが、忠実な騎士と思っていたルーファウスは止まらない。

 長い髪を翻し真剣を振るう横顔は、かなり本気くさい。

 レオンハルトも個人的な恨みがあるらしいルーファウスに引くつもりはなさそうだし――いったい、どうなっちゃうの!?

 私は頭を抱えながら混乱する。

 どうしたらふたりは止まるのだろう。

 そもそも原因は私にあるのでは?

 おとなしくパネルを差し出していれば、レオンハルトがこんな本気の大立ち回りをすることはなかったのかもしれない。


 でも、そんな……。そんなのって……。


「うわーーー!! とにかくやめてよーーー!!! ふたりともーーーー!!!!」


 思考停止に陥った私はふたりに向かって大きな声を振り絞る。

 そのとき、目の裏で白い光が、ぱちん、と弾けた。


「――なぁごーーーーーっっっ!!!!」


 野太い獣の悲鳴が落雷のように中庭に響く。

 そこに見覚えのある巨体が庭園を走り抜けてきて、剣を交えるふたりの男のもとへ突撃――。


「なっ!?」


「ッ……!?」


 ふたりは体当たりしてくる巨大ピエールを目に入れた途端、剣を引いて後ろに下がった。

 そのあいだを通り抜けて、ピエールは一直線、サイラス様のもとに……。


「ふみい……! みぃみぃ……!」


「よーしよしよしよし……」


 サイラス様は不安そうに頭をこすりつけてくる巨大猫を両腕で抱きとめてなだめている。

 ふたたび巨大化してしまったピエールを見て、周りは騒然。

 特に王子は腰を抜かしてへたり込んでいる。


「ひいっ、またあのときのようなことが……!」


 ……どうやらパニックになった瞬間、また私の力が漏れ出たらしい。

 周りもヒソヒソと声をひそめて何かを言っている。

 私は屈辱で顔じゅうが熱くなったが、ルーファウスとレオンハルトからは完全に毒気が抜けたので、まあ、よしとしよう……。


「ふん……! 必要以上に騒ぎになってしまったので今回は見逃してやる。だが、次から見つけ次第そのふざけたものは撤去してやるからな! 覚えておけっ!」


 そんな捨て台詞を吐きつつ、ルーファウスを引き連れて王子は引き下がっていった。

 巨大化したピエールと、これ以上ない宣戦布告の言葉を残して。


「ったく……あのバカ王子に難癖つけられちまったな、あいつ取り巻きも多いし敵に回すとめんどっちいぞ」


 つまらなさそうに王子たちが消えた方角を睨みつけながら、レオンハルトは頭の後ろで手を組む。


「あまり揉めたくはなかったが……今後の対処が問題だな」

 

 ピエールの頭を抱いたサイラス様は悲しそうな顔を伏せる。

 そうだ。これから堂々と妨害してくると宣言してきた王子に対して、私たちができることって?

 王子は権力も取り巻きも十分なほど所持しているだろう。反面、私たちには後ろ盾がなさすぎる。


「せっかくパネルが評判だったのに……うぅ~、また上手くいかない……!」


 前途多難な現実を認めて、私はいよいよ頭を抱える。

 レオンハルトは取り返したパネルを抱え上げて、もとの位置にセットする。

 今回守り抜いたパネルの中で、サイラス様は燦然と麗しい笑みを浮かべていた。

 今はこれを守ることができただけでも幸いか……。


「うおおおおお!! 黄金令嬢レディ・ゴールドたーーーーん!!!!」


 どこからか野太い男の声が聞こえたかと思うと、パネルの前にひとりの男性が崩れ落ちるように滑り込んできた。

 驚いて私たちが見下ろす先で、男性は土下座して頭を垂れるような姿勢でパネルを仰ぐ――。


「新作ドレス! 新作ポーズ……! あ……ああ、ありがとうございます!! ありがとうございます!!! おかげさまで本日も生きておりますぅ!!!!!」


 それは、紛うことなく――限界オタクだった。

 

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