鉄は熱いうちに


 ――王都内に、ある噂が広がっていた。


  『――その方の印象は実に不思議なものでした。殿方の身体に纏ったドレスはその方の肌のように馴染んでいて、まぶたにきらめく雲母のかけらはさながら天の星々のようで、肩にこぼれる金髪はそのあいだを駆ける流星のように燃えているのです。まるで遠くのものの存在のようでありながら、その方の振る舞いには裏というものがなく、自然に滲み出る気遣いのひとつひとつがわたくしの胸に温かな気持ちを灯すのです』


 そのきっかけは、一冊の文芸誌だった。

 エドヴァンス出版という民間の出版社が毎月刊行している『乙女の小窓』なる雑誌に、絶大な人気を誇る文筆家がいる。

 決して人前に姿を現さないことで有名らしいが、たしかな文章力と貴族文化に対する深い造詣、特にお嬢様文化への親和性が高い作家性からどこかの名門の貴族令嬢と推察されており、ペンネームは『夜明けのローレライ』。

 彼女が数年前から『乙女の小窓』に寄稿を始めたとたん爆発的な人気を評し、庶民の間だけではなく貴族社会の中でも一大ムーブメントを起こしているそうだ。その評判の高さから、いまや『四大令嬢』のひとりとして数えられている。

 彼女が特定の誰かを主題に据えた記事を書くことは珍しいため、世間は今回取り上げられた人物の噂で持ちきりになっている。いったい、彼女と相対した女装の麗人とは誰なのか。

 その噂は、王宮の華やかなコミュニティからはしごを外されている私たちにも届くほどだ。

 

「『夜明けのローレライ』のエッセイはいまや王宮のトレンドを動かすほどの存在です。彼女が取り上げたお嬢様社会のマナーに美容法、刺繍の模様までもがご婦人のあいだで大流行し、彼女の紹介した画家などを始めとする作家は次々と大物のパトロンを獲得しております」


 雑誌の愛読者らしい(なんでだよ)セバスチャンの説明に、私は実際のエッセイのページをめくりながらため息した。


「そんな人の記事に……どうしてサイラス様が……?」


 『夜明けのローレライ』が出会ったという女装した金髪の麗人。

 名前こそ伏せられているものの、その外見的特徴が見事にサイラス様と一致している。


『その方が誘ってくださったささやかな茶会は、王宮で流行っている様式とはいささか異なるものでしたが、わたくしにはとてもすばらしい思い出となりました。流行や形式にこだわらず、その方の温かい心遣いが隅々まで行き渡った茶会の空気はありふれた日常に倦んだわたくしの心を和ませ、ティーテーブルを彩る菓子たちにまるで異国の祭りを目にしているような高揚を感じたのです』

 

 しかも、サイラス様らしき麗人と出会ったときのエピソードまでついている。

 曖昧な表現でぼかされているけど、私が持ってきた異世界のお菓子のことも言っている……?

 まるであの場にいたかのような書きぶりに、私の頭は軽く混乱する。

 まさか、イライザ嬢と一緒に帰った令嬢たちの中に『夜明けのローレライ』がいた?


「でも、あの逃げ帰るような様子じゃ到底ここまで好意的に表現してくれるとは思えないし……創作、にしたってサイラス様の外見やらお茶会の内容が一致しすぎているし……」


「まったく不思議なこともあるものですなあ」


 唸る私の横で、セバスチャンが優雅にお茶を淹れる。

 その横で、セバスチャンが持ってきた『乙女の小窓』の既刊を広げてアミリーたんはなぜか顔を真っ赤にしていた。

 何度考えても、まったくわからない。

 だが……、この状況はチャンスだ!

 女装の麗人の噂で持ちきりの今、お茶会に失敗してから練り直していた戦術の効果が期待できる!

 私には何日も前から用意していたものがあった。

 スマホを介して注文したそれは、かなり大きなものなので、レオンハルトを容赦なくこき使って移動させた。


 エレンディアの王宮の中庭は昼間、音楽人が楽器を奏でてご婦人たちに聞かせたり、無名有名問わず画家の作品が展示されたり、役者の卵たちがエチュードを披露したりと、多彩な芸術文化が花開く場所でもあった。どうやら当代のリュディガー王は芸術を愛しているようで、美しい薔薇の庭園を擁した中庭を積極的にそういう場として開放しているらしい。

 まあ肝心の薔薇は、私の大ポカで全部台無しになったんですけど……。


「ここでいいか?」


「うん、そうね! ばっちり!」


 レオンハルトの置いた物体の位置に納得した私は、彼に向かって親指を立てる。

 目の前には、美しいドレスを着てこちらに微笑みかけるサイラス様――の巨大な全身パネル。

 プロも愛用する有名メーカーの高級カメラを通販し、チャンネル登録者数100万人規模の有名カメラ系配信者の動画を参考のもと、何度も何度も練習を重ねた末の傑作だ。

 雨にも強い丈夫なアルミ板に印刷されたサイラス様の微笑みはとても鮮やかだった。

 私がとった作戦は、撮った写真をデータで送り、専門の工房に特注で何台も製作してもらったパネルを王宮のあちこちに飾って、サイラス様の存在感をアピールするという内容だ。今時は大きなデータのやりとりもスマホでできるし、出来上がった商品は置き配で届くし、資金さえあればこんな力技のオタ活まで可能なのである!


「しかし、迫力があるな……まるで鏡を見ているようだ」


 女装した自分と相対するサイラス様は困惑半分、感心半分につぶやく。

 この世界には写実的な肖像画くらいしかないので、この本物の人のようなリアルな写真に世間は驚くだろう。


 実際に――効果はてきめんだった。


 半日と経たず、パネルの周りには人だかりができて、あまりに注目を集めるので、列を作って順番に鑑賞する人たちが生まれた。


「こ、この美しい金髪のレディは……!」


「まさか、あの記事の……?」


「いったい何者なんだ……!?」


 私はお茶会で大胆な大失敗を経験してから、慎重に外堀を埋めることの重要性を知っていた。あくまでパネルを王城のあちこちに置いて、皆の関心が向くようにけしかける。

 皆がサイラス様の女装した姿に魅了され、その素性に対する好奇心を爆発させた。

 同時に『夜明けのローレライ』の記事が出回ったことで、皆が金髪の美人(女装)という存在にセンサーをビンビンに張り巡らせているのがわかる。

 まったくもってこの状況は私たちにとって有利だった!


「でもまだこの女装した麗人がサイラス様だということは明かしませ~~~ん。例の記事との関連性も匂わせるだけで、周りが勝手に盛り上がってくれるのをひたすら見守る! それでこそ次の、その次の作戦が活きるのです!」


「おう、なんか一丁前に軍師になってきたな、アイカ」


 そうだ――かつて私は力に溺れた愚か者だった。

 豊富な資金源と、スマホを介して現代技術と繋がる力があっても、その場限りの見栄っ張りは賢い人にすぐ見破られる。

 だから、今はただひたすら布石を敷くのみだ。

 結果は、いずれわかるだろう。


 だんだんパネルが人気スポットになるにつれ、あちこちで盗難騒ぎが起きたりもしたけど、こっちは慌てない。次々に新作を投入していく。そのたびドレスとメイクを更新して、ポージングも変えたりして、むしろ置き換わるたびにギャラリーが感心するような設計だ。

 パネルを展示してから、その謎の金髪ドレス美人を人々は『黄金令嬢レディ・ゴールド』と称するようになって、人気はますますうなぎのぼりだ。

 そして今日も、熱狂者に持っていかれたパネルの跡地に、レオンハルトたちとともに新作パネルを置いたときだった。


「――その不埒な絵を城中に置いて回ってるのは貴様たちだったか!!」


 ようやく下手人見たり、と言わんばかり、私たちの背中に怒声が突き刺さる。

 急いで振り向くと、そこにはお付きの人々を複数つけて、私たちの前にふんぞり返るひとりの青年の姿があった。

 柔らかな黄色みがかった金髪に、やや吊り目ぎみの神経質そうな美貌。どこか狐のような印象を与えるその美貌の青年は、偉そうに腕組みし、パネルを持った私たちを傲然と睨みつけた――。


「そのような、生きた人間と見まがうほど紛らわしい絵は、異世界のものか? まったく不埒な……なんといかがわしい……貴様らはこのエレンディアで花開く芸術文化を愚弄するつもりか!? そうでなくば、このようにでかい顔を晒していないだろうな!」


 その人はリュディガー王のひとり息子にして、現・王太子、クルス王子。

 私が園遊会で一度挨拶したきりの王家の重鎮だった。


 

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