それから

第68話 炎のように

 桜がひらひらと舞う。天気は快晴。柔らかい春の日差しが心地よい。おめでたい日にピッタリの陽気だ。桜のピンクが芝生の緑に映える。チューリップやビオラ、色とりどりの花たちがみんな祝福しているようだ。


「路望(ろみ)、髪に付いてるぞ。」


隣に立つ蓮(れん)がくすりと笑い、そっと桜の花びらを取った。蓮も肩に乗ってる…と言いかけてやめた。かわいいのでそのままにしておくことにした。


「お、来るぞ!」


真司(しんじ)はわくわくが押さえきれない面持ちだ。


「ちょっと、恥ずかしいからもう少しだけ落ち着いて。」


京(みやこ)は真司の肩に手を置いた。生け垣と生け垣の間が空いていて、そこにできている緑のゲートから、輝かしい真っ白な衣装の史(ふひと)と憂衣(うい)が入場してきた。路望達は割れんばかりの拍手で迎えた。自分の旦那に落ち着いて、と言っておきながら京はもう号泣している。


「ザーナ姫…じゃなくて憂衣がまさか王室を抜けられるなんてびっくりだよねぇ。」


路望は少しもらい泣きしながら、隣の恋人に囁いた。


「そうだな。しかし、恐らく京は始めからそれを企んでいたと俺は思う。」


蓮は新郎新婦から目を離さず答えた。





 あの戦いの後、路望以外の旅の仲間も意識を失ったらしく、応急手当を受けつつ早急に王都に運ばれた。ある程度怪我が治り動けるようになる頃には、王が全国にゾルとガラの存在がなくなったことを周知していた。外でもどこでも、お互いを真名で呼び合って構わない、と告げたのだ。


「お前だけに真名を教えたのに、最早あまり意味を持たなくなったな。」


城の中庭で桜の蕾を眺めていた路望に、蓮が歩いて近づいてきた。


「右腕はもう大丈夫なの?」


蓮は軽く右腕を振ってみせた。あんなに折れていたのが信じられないくらい正常に動いている。

桜の木の下まで来た蓮は、路望を見つめた。


「路望。」


いきなり真名を呼ばれると、まだどきりとする。路望は蓮に真っ直ぐ向き直った。


「あの時、もしかしたら最後かもしれないと思って、言ってしまったが…俺はもう一度きちんと伝えたい。」


期待していなかったと言えば嘘になる。とはいえ、想像以上にドキドキする。強敵に出くわした時以上だ。絶対に既に顔も赤い。路望は恥ずかしくてしかたなかったが、目はそらさなかった。


「俺は、路望、お前のことが好きだ。」


蓮はそう言って、路望の顎を軽くくいっと上げてキスをした。離れた後も、唇に残る感触と、鋭くも優しい眼差しにくらくらする。言葉がすぐには出てこない。自分の思いを伝えるのがこんなにも難しいと感じたのは初めてだった。路望は心を決めて口を開いた。


「私も、蓮、あなたのことが好き。」


路望はきゅっと蓮に抱きついた。蓮の引き締まった身体が、自分の身体とくっつく。蓮もふわっと優しく路望の体に腕を回した。いつでも守ってくれた、頼もしい腕だ。蓮の体温を感じる。鼓動も伝わってくる。穏やかな匂い。路望は幸せのあまり頭の奥が痺れてきた。…実際に体が痺れてきた。


「お前!まだ怪我が完治してないのでは…。」


次に気がついたときには自室のベッドの上だった。ロッテ…いや、未来(みく)から気を失って運ばれてきたと説明された。まだ本調子ではないのに、寒い屋外に出て歩き回っていたから貧血を起こしたらしい。貧血を起こしたのは確かだと思うが、原因は歩き回ったからだけではないと路望は思った。恥ずかしすぎて未来には言えなかった。





 全員の体が完全に回復した頃、旅の仲間は謁見の間に集められた。


「ジェーン…いや、沙霧(さぎり)と私が唱えた呪文は、強制的にこの国のゾルを、ガラになっているものも含めて、常闇の鏡に送り込むものだ。」

「そんな便利なものがあるのなら、さっさと使えばよかったではないか。」


王の説明に、蓮が口ごたえした。確かに、と路望は思わず頷いた。まあ聞け、と王は手で制した。


「強力な呪文で、王族の我々も周到な準備が必要なのだ。二人がかりでしか使えない上に、一度唱えてしまうと、魔力が全くなくなってしまう。全く、だ。回復しない。だから、鏡を壊せるあのタイミングで使うと決めていたのだ。」


蓮はムスッとして黙ってしまった。


「ちなみに、蓮。お前だけが例外だ。」


王と王子がすべてのゾルを常闇の鏡から闇の世界に送った時、半分ガラの蓮の魂も吸い込まれてしまう可能性があった。だから、それを防ぐためにアステラ…千鶴(ちづる)は城巫女から預かった数珠を渡したのだ。蓮は唯一存在するガラの力を持つものになった。しかし、最早誰もが彼を敵とはみなしていない。


「沙霧(さぎり)の使った剣も然り。あれは一度切りの魔法だった。しかし、きっと、あれだけではゼムトリストを十分に弱らせることはできなかっただろう。」


王は路望に目を向けた。


「沙霧が言っていた。路望、お前が憐れみの表情を浮かべた途端、ゼムトリストが弱りだしたと。私の推測だが、それは奴の心に一番刺さる感情だったのかもしれない。奴は女神と光の世界との関係を自ら断ち切り、結果、誰からもずっとそのような気持ちを向けてもらえなかった。」


あの冷たい笑顔を見て、温かな気持ちを送ろうと思う人はなかなかいない。路望の憐れみの感情は、ゼムトリストと女神の話を聞いた上であの弱りつつある姿を見たから湧いた気持ちだった。


「ゼムトリストはそんなもの、求めてないんじゃねぇか?」


真司の指摘に蓮は首を振った。


「無意識に欲していたのでは?捕まっていたときに感じたが、奴は妙に人間らしい感情を持っていたし、女神のことを強く意識していた。」


王は蓮の意見に同意して続けた。


「誰かに自分を思いやってもらうことを求めていたが、それを認められなかったのだ。しかし、嘘をつけない路望の憐れみの表情から、それを認めざるをえなくなった。そのような感情の揺れが綻びを生んだ。」


女神とゼムトリストとの間にどのようなやり取りがあったのか路望には知る由もないが、ゼムトリストは女神を心の底から憎み嫌うことはできなかったのだろう。だからといって彼のやってきたことが許されるわけではないが、いつか和解できれば良いと、路望は思った。


「それで、本当にもう、ゾルもガラもいないの?」


京の言葉は、怪我のせいで城の中でしか生活できていなかった旅の一行の疑問を代表するものだった。実感がわかないのだ。


「王の名、朧(おぼろ)にかけて、保証する。」


王は京に大きく頷いてみせた。石でできたこの城が動き出さないことと同じように確かなことだ、と言わんばかりの自信たっぷりな動作だった。また、自分の真名を開示する王に、これ以上の証明はできないだろう。


「そして常闇の鏡も、ないわね?」


王は再び、京に大きく頷いてみせた。


「じゃあ…城巫女、いらないわね?」


王は今度は固まってしまった。京は少しいたずらっぽく笑ってみせた。





 憂衣が王室を抜けるまでに、色々と手続きやら儀式やらとあり、時間がかかった。その間に、京は真司にきちんと返事をしたようで、二人は結婚式を挙げた。史は見たことないほど嬉しそうな笑みを浮かべていた。それから一年程経った今日、反対に、少しお腹の膨らんだ京が泣きながらもとびきりの笑顔を浮かべている。


「素敵だなぁ。みんな幸せそうでいいねぇ。」


路望はうっとりとした。神官の前で夫婦となることを女神に誓った二人は、周りを彩るどの花よりも鮮やかで輝かしい笑顔を参列者に向けていた。


「次、だな。」


蓮がポツリと呟いた。


「なにか言った?」


緑の優しい瞳を向ける恋人に、蓮は何も言わず首を振り、そっと肩を抱いた。春の日差しの温もり、触れている肩の柔らかな感触、色鮮やかな花の香り、人々の祝福の言葉。蓮はそれら全てに喜びを感じた。


 これから先、未来は、大きくどこまでも広がっている。誰かを憎んだり、自分の生い立ちを恨んだりせず、愛すべき人々と共に歩んでいこう。


 自分の存在を肯定し、時に激しく、時に優しく、闇を祓い、周囲を照らし、人々を暖めるように、生きていくのだ。炎のように、命を燃やし輝き、生きていくのだ。



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