第184話 支配者

 それは脳みそを直接舐め回されているかのようなおぞましい不快感。


 自分と同じような年端で、同じような体格。

 これまで戦ってきた相手の誰よりも小柄なその鬼の存在、その口から洩れ聞こえてくる悪辣な言葉、その歪み切った表情から一挙手一投足の全てが不快極まりない。



「クソチビィ。テメー、クソ弱えな。そんなんでよくここまで来れたもんだ。どうせ仲間がいるんだろ? そいつらをココへ連れてこい」


「……は? なんで?」


「はあああ!? なんでえ? そんなんよお、テメーが、テメーが、テメーが弱えからに決まってんだろうがあああ! ウゼーからいちいち聞き返してくんじゃねーよ! ザコは黙ってオレの命令を聞いてりゃいいんだよおお!」


 不快、不快、超絶極まりない不愉快。ギルを形成する全ての細胞が、その中に眠る本能が訴えかけているようだった。



「……ああ、コイツはぜってぇコロすわ」


 夜叉丸の存在と鬼城に充満する瘴気が次第にギルを蝕んでいく。粗暴な言葉が口をつき、身体中の血が湧き立ってくるような感覚。まるで自制心が麻痺していくような、自分が自分でいられなくなるような。



「聞こえてんのか? テメーは耳ついてんのかってんだよ、クソチビィ!」


「さっきからチビチビうるせえんだよ! チビはテメーだろうがあッ!」


 床を蹴り、粉塵を上げて夜叉丸に突っ込む。その速さは初攻防ファーストコンタクトの比ではない。



「く……はええッ」


 一瞬で間合いがゼロになる。気づけばギルの拳が夜叉丸の目の前に迫っている。



「オラあっ!」

「ぶふぉっ!」


 ギルの拳が顔面に直撃。夜叉丸は受け身を取ることができず、背中から4回転して仰向けに床に臥せっていた。



「来いよ、


「てんめえ!」


 わかりやすい意趣返し。うつ伏せのまま顔を上げた夜叉丸に向けて、ギルは親指で首切りからのサムズダウンで挑発する。


 ガリッと指で床を削るほどの力を込めると、夜叉丸が頭から突っ込んでくる。そこから激しい乱打戦が始まった。


 互いにクリーンヒットはないものの、拳がかするだけで肌は裂け、次第に二人は血煙に包まれていく。


 互いに一歩も譲らぬ攻防の中、夜叉丸は黒い肌の右目に妖力を込める。その眼は酒呑童子父親譲りの神通力を秘めていた。



「神通力、仄焔ほのほむらッ!」


 それは睨みを利かせた対象を焼き尽くす鬼の妖術。【ボッ】という音を立てると同時にギルの肌に炎が纏いついた。



「ぐっ……水流ウォーターフローッ」


 ギルは瞬時の判断で魔法での消火を試みる。ボワッと水蒸気が舞い上がり火は沈静。しかし一瞬の油断も許されない中、その隙を見逃さずに夜叉丸の鋭く長く伸びた爪がギルに向かってくる。


 心臓に一直線に迫るその爪を寸前で避けようとするが、完全に避けきることは叶わない。ギルの右肩は五指全ての爪に貫かれていた。



「ぐあああッ!」


 思わず叫声きょうせいがあがる。あまりの激痛に足から力が抜けて落ちていくようで、ギルは思わず片膝をついてしまう。


 肩に爪が刺さったまま。それはつまり、目の前に夜叉丸が存在しているということ。ギルを見下ろすその顔は余りに醜悪で、悪鬼と呼ぶにふさわしい。



「グヒャハッ! クッッッソ弱えじゃん! ザコじゃん! カスじゃん! 痛え? コレが痛えのかよ?」


「ぐがぁぁぁぁぁッ!」


 夜叉丸は肩に突き立てた爪を押さえつけながら左右へと回し動かす。体内の肉を引き裂かれ、無惨にえぐられていく度に細胞が肉片へと虚しく朽ち落ちて行く音が聞こえるようだった。


 そこだけ灼熱の炎に焼かれているような苦痛に意識が度々飛びそうになる。が、ギルはその状況下においてもギリギリのところで冷静さを保っていた。


 勝利を確信し、どうやって蹂躙してやろうかという愉悦の表情を浮かべる夜叉丸の油断を今度はギルがとがめる。


 貫かれた肩を無視して、その場にしゃがみこむと、床に両手をついて夜叉丸のかかとを目がけての水面蹴り。


 あっけなく背中から床に叩きつけられた夜叉丸を今度はギルが見下ろす番だった。右肩に突き刺さったままの五指の爪を左手で握り込むと、膂力りょりょくを爆発させてへし折り、一気に引き抜いた。


 そしてそのまま、夜叉丸のみぞおちを右足で力いっぱい踏みつけると、握り込んだ爪をその首元目がけて突き立てる。



「グハアアアッ!」


 慌てて避けようとするが、夜叉丸も交わしきれない。図らずも右肩に折られた爪がまとめて突き刺さっていた。



「クククク……あはははは! だっせえなバカ鬼! テメエの爪でやられてんじゃねぇよ。ほんと、救えねえバカだな。お前の名前って何だっけ? バカ丸だっけか?」


 言葉はより苛烈なものへと変わっていく。互いに罵り合い、傷つけ合う。その場に充満する瘴気の、それとも対峙している夜叉丸の影響だろうか。しかし、ギルは戦いの中で高揚感に包まれていく己を感じていた。



「――ぐぐ、ぎ……ふ、普通に、殺すだけじゃ、ここ、こんがりと揚がっちまった血が冷めやらねぇ。テメーらああああッ!」


 肩に爪が刺さったまま、細いつり目を見開くと夜叉丸は怒号をあげる。


 すると、それまで跪礼きれいしていた黄鬼たちが一斉にギルを取り囲み、夜叉丸から引き剥がす。さらにはそれだけにとどまらず、四肢をそれぞれ一体ずつの鬼が膂力の限りを尽くしてがっちりと掴み上げた。


 ギルはまるで十字架にはりつけにされたかのように手足を伸ばされ固定される。


 ギルの細腕一本、足の一本にそれぞれ3~4m級の鬼が死に物狂いでしがみついているのだ。それはほとんど鉄製の鎖で動きを物理的に封じ込められたのと変わらない感覚であった。



「こんのぉ! クソッ、バカ丸! 卑怯だぞぉ!」


 言いながら、腕を、足を、必死で振りほどこうとするが、どれほど力を込めても動かない。


 夜叉丸はゆっくりと身体を起こすと、肩から爪を抜き、それをバラバラと床へ落とす。目に仄暗い狂気を宿しながら。



「はん、っせーよカス。言ったじゃねぇか。殺すだけじゃオレの血が冷めねぇんだよ。なあッ!」


 磔状態のギルに強烈なボディブローが刺さる。「ゴフッ」と口内から血が吹き出し、膝から崩れ落ちそうになる。が、四肢にしがみつく黄鬼たちが倒れることを許さない。



「おう、テメーらしっかりコイツを押さえておけよ。もし、逃げられでもしたら次はテメーがああなるぜ」


 そう言って、先ほど血祭りにあげた黄鬼を顎で指す。夜叉丸の地位は酒呑童子、茨木童子に次ぐ鬼界ナンバー3。逆らえる鬼などいるはずもない。



「んじゃお望み通り、マジで死ぬまで殴り続けてやっからよぉ! オレの血が、血が、揚がっちまった血が、冷めるまで永遠になあああ!」


 繰り返し拳が突き刺さる。気絶しようものなら項垂れた顔面を蹴り上げられる。何発も何十発も殴られ、身動きが取れないまま蹂躙される。


 そして、ギルはとうとう動かなくなった。


 その時、その場にいる誰にも気づかれず、その惨憺さんたんたる光景を凝然ぎょうぜんと見つめていた存在があった。


 動けないギルに向かって夜叉丸は黒い肌の中に潜む真っ赤な眼を見開く。


 悪しき妖力を宿らせて、狙いを付けた対象を焼き尽くす、酒呑童子譲りの神通力が炸裂――するかに思われたその時。


 目は夜叉丸の攻撃の要であり、最大の弱点でもあることを見抜いていた彼はこの機会チャンスを狙っていた。



「おうらああああッ!!」


 次の瞬間、隠密ステルスで姿を消したクロベエが、見開いた夜叉丸の真っ赤な瞳を爪で深く抉った。クロベエのステータスの中でも突出したパラメータ〈会心〉によって、それは会心の一撃クリティカルヒットとなる。



「ギィィヤアアーーッ! 俺の目があああああ!!」


 目を潰されて恐慌状態に陥り、絶叫をあげる夜叉丸。しかし、これ以上の有効打をクロベエは持ち合わせていなかった。


 たまたま奇襲が成功したとはいえ、依然としてどうにもならない状況の中、黒猫は思慮に耽る。



(今あるボクの手札カードを使って、磔状態のギルを救出する。その後は――)



 この場を実質的に支配していたのは、夜叉丸でもギルでもない。


 自由に扱うことはできず、条件を満たした時にだけ発現するアビリティ〈絶好機カイロス〉。

 そのレアアビリティの所持者であるクロベエであった。

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