第177話 生者の温もり

 ムサネコ、バイケン、ラヴィアンが大広間で戦いを繰り広げているのと同じ頃。


 安倍晴明からようやく解放されたじろきちが、その背に少女を乗せて空を飛び、魔城へとたどり着いていた。


 じろきちは城を空から見下ろし、向かうべき場所を確認する。


 上から見ると、山を水平に切り開いた広大な敷地に、両翼が生えたような形をした五重四階建ての巨大な魔城は、来るもの全てを拒むような禍々しい雰囲気を漂わせている。



「確か、晴明ちゃんは城の東翼とうよくに行くようにいっておったな」


「……」


「心配せんでも大丈夫じゃ。きっと皆、歓迎してくれる」


「……」


 そして二人は静かに地面へと降り立つ。城の東翼には灯りが点り、中からは怒声や罵声が漏れていた。



「ぬぅ、何やら鬼どもが殺気立っておるの。晴明ちゃんのヤツ、どうしてこんな場所に行くように言ったのかの?」


「……」


「ふむ、まぁ考えても仕方なしじゃな。ここにギルたちはいないようじゃし、ヤツらを倒して行き先を聞くとしよう」


「ギルさま……」


 じろきちは伏し目がちな少女の正面に立ち、両手をそれぞれの手で取ると、顔を覗き込んで「準備は良いか?」と尋ねた。


 少女が「……はい」と、か細い声で答えたのを聞くと、じろきちはその手を取ったまま術を発動すると、壁を通り抜けて城の中へと入っていく。


 そこで少女の目に飛び込んできたのは、青色の鬼たちではなく、その鬼たちと向かい合っていた角が折れた鬼だった。その姿を目の当たりにし、少女がそれまでとはまるで異なる大きな声をあげる。



「い、茨木の姉さまっ!」


 そこには酒呑童子に1本の角を折られて、大幅な能力ダウンを強いられた茨木の姿があった。



「おヌシ、かの鬼と知り合いか?」


「存じております。あのお方は……わたくしにとって、とても大切な――」


 しかし、少女の言葉と記憶はそこで途切れてしまう。だが、じろきちがふと顔を上げると、声を掛けられた茨木の方からフラフラと少女の方へとやってくるではないか。


 まるで幽霊でも見たかのような、信じられないものを目の当たりにした驚きの表情を浮かべながら。



「お、おお……お前さん。な、なぜ生きている? どうしてこんなところに?」


「あ、あの、わたくしは――」


 少女は言葉に詰まった。目の前にいる者が茨木童子だと言うことははっきりとわかるのに、いつどこで彼女に会ったのか。その記憶が呼び起こせないでいたからだ。



「あ……」


 茨木は突然、少女を抱きしめた。強く、そして優しく。



「あぁ、本当に生きているじゃないか。触れることができるこの温もり。そうか、よかったよ……本当にさ――」


「わたくしもお会いできて嬉しゅうございます。姉さま――」


 二人は目に涙を浮かべていたが、じろきちには何のことだかさっぱりだった。こめかみをぽりぽりと掻きながら、バツが悪そうに言葉を挟む。



「のう、おヌシたち。感動の再会の腰を折って申し訳ないが、さっきから青鬼たちがこっちを見ておるぞ」


 じろきちの言葉に二人は我に返ったようにハッと息を呑み、青鬼たちの方を同時に向いた。


 目の前には青鬼の中でも特に体の大きな三体が腕組みをしてじろきちたち三人を見下ろしている。



「茨木さまよぉ。アンタにゃ世話になったが、今さら片角かたつのの鬼の言うことなんざ聞くヤツらはここにはだぁれもいねーぜ」


「そうそう。今のアンタなら俺一人でも勝てらぁ」


「残念だぜ。オラぁアンタの憧術に憧れてたんだけどな。鬼の世界じゃ強さが絶対。今のアンタじゃどう足掻いたところで酒呑しゅてんさまには及ばねぇ。ここにいるヤツら全員がそう思ってる。だからオラどもを説得すんのなんて諦めてくれぇ」


 三体の鬼の口ぶりからして、茨木は青鬼たちに協力を求めにこの場所を訪れたようであった。しかし、鬼たちはこの瞬間にはっきりとNOを叩きつけてきたのだ。


 茨木の説得は失敗。鬼の世界が弱肉強食であることに疑いの余地はない。青鬼たちの言っていることの方が筋が通っているように思えた。



「そうかい。それなら仕方ないねぇ。たださ、あたしは如何いかにしてでも酒呑に会わなくちゃいけないんだよ。邪魔するってんなら、実力で通させてもらうしかないね」


 茨木が涼しい顔で口上を述べるが、三体の青鬼たちはさらに冷ややかな目で茨木を睨みつける。



「片角のクセにこの数相手に勝とうってのか? 茨木さま、いや茨木よぉ」


「いつまでも下に見てんじゃねぇぞ、片角のザコが」


「もうアンタの時代はとっくに終わってんだよぉ! テメーら、茨木をやっちまえ!」


 青鬼のリーダー格の鬼が叫ぶと、青鬼たちは一斉に茨木に襲い掛かってきた。茨木はふわりと宙に浮きその攻撃を交わすと、眉根を上げて困惑の表情を浮かべていた。



「困ったねもんだぇ。外から天守閣には入れないし、かと言って扉は塞がれているし。でも、正面突破を目指してここの全員を相手にしていたらステータスダウンで半分になったMPがすぐに空になっちまう。さて……」


 鬼たちの怒声の上で、思案に暮れる茨木。その様子を黙って見ていた少女が、か細く、だが力強い口調で鬼たちに声を向けた。



「……茨木の姉さまを苛めるのはおやめください」


 しかし、怒声・罵声をがなり立てる鬼たちの耳に、その声は届かない。



「……わたくしは、おやめくださいと申し上げているのです!」


 その時、黒地に白の七宝しっぽうつなぎの紋様が鮮やかな着物をまとった少女の背中から腕がニョキニョキと生えてきた。その数、何と六本。元の腕と合わせると、その数は八本となる。



「そうか、ようやくやる気になってくれたか。土蜘蛛よ」


 少女の正体は以前、朱蝕しゅしょくの洞窟を訪れた時に出会った土蜘蛛だった。じろきちが朋友ほうゆうの契りを交わした無二の友。


 じろきちは土蜘蛛少女の内面の殻を破るため、そして十分な戦力になると見込んで、5日間の修行期間も土蜘蛛のもとを訪れていたのだった。


 その際は説得むなしく断られてしまったが、今回も安倍晴明とともに鬼退治の協力を願いに再び土蜘蛛の元を訪れて、どうにかここまで連れてきたのであった。



すいッ! アンタ、その姿はまさか……」


 それは高い天井近く、宙に浮いた茨木の悲鳴のような声だった。


 妖怪土蜘蛛。

 その実力は日本三大妖怪と比肩すると言われ、各地の人々から極めて恐れられた存在。


 その妖怪の中に転移していた魂の正体こそ、鬼の酒呑童子がまだ人間の外道丸であった頃のかけがえのない最愛の妹。外道丸が酒呑童子となった要因。


 翠であった。

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