第175話 幻術発現
特級呪物〈
鼻から抜ける香りは柑橘系の果実のような爽やかさ。口の中にはフルーティーで甘みがあり、それでいてすっきりとした味わいが広がる。
磨きに磨いて雑味を消し、瑞々しく透き通った米の旨味が凝縮された、それは味だけで言えば紛れもなく最上級の逸品であったのだ。
「ぷっはぁぁぁぁぁ! これは何と美味い酒だ! 頼光よ、貴様この酒をどこで手に入れた? 貴様が毎日この酒を余に収めるというのなら、貴様だけは生かして――」
酒呑童子は最後まで言葉を繋げることができないまま、その巨体を床に仰向けに倒した。意識を失っているのか、受け身も取らずに体が床で大きく一度撥ねる。
「酒呑童子さまぁ!! これはどうしたと言うのだ? 毒か? 毒を盛られたのか!?」
「いや、でもそこの野郎はさっき普通に飲んでたぜ」
「とにかく上にお運びしろ! 近くにいる者は手を貸せェ!」
一瞬にして蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、鬼たちは我を見失っている。
取り乱す鬼たちをよそに、こっそりとエントランスホールに戻ったムサネコたちは、作戦の成功に拳を握りしめた。
「やってやったぜバカ野郎が! さすがは特級呪物じゃねぇか!」
「オメーもやるじゃねぇかぁムサシよぉ、この千両役者っ!」
「ええ、見直しましたよ、ムサネコさん!」
ラヴィアンの発言にムサネコは一瞬(ん、見直した?)と、首を傾げそうになったが、それでも喜びが遥かに上回る三人は興奮を抑えきれず、下手なダンスを踊りまくっていた。
「オマエラ、浮かれるのはそれくらいにしておくのですのん。鬼たちが混乱している今が好機。白いの、オマエがやるべきことを覚えてるか?」
デンの言葉に三人はピタリと動きを止める。
「あ? んなモン、覚えてるに決まってんだろうが。そうだったな。んじゃ、ちょっくらカマしてくっか」
ムサネコは自信に満ち溢れた態度で、再び大広間へと歩いていく。集中しているのか、それきり何も言葉は発しない。しかし、足元は相変わらずおぼつかなかった。
「おいおい、大丈夫かぁ?」
バイケンが声を掛けるがムサネコはそのまま半開きの扉に手を掛け、両手で勢いよく開いた。
「あ! ちょっと待て! 白いのの身体の眼が七つも開いてるですのん!」
ムサネコの異変に気付いたデンが慌てた声を上げる。
「なにぃ? 七眼なんて今のアイツの限界じゃねぇかぁ」
「……もしかして、酔っぱらって制御できてないんじゃ?」
ラヴィアンの言葉とムサネコの酔っぱらい方を重ねると、それが正解のように思えてくる。
「幻術は四眼で十分って言ったのですのん! 七眼なんてやりすぎですねん!」
バイケン、ラヴィアン、デンは急いでムサネコを止めに動く。
しかし、ムサネコはすでに術を発現。
見ると、白い身体から橙色の光を放っていた。両前足を正面に掲げて、足元はフラフラしながらも詠唱を開始。
「ういっ。……我が思念よ、虚像を
詠唱のラストワードのタイミングでムサネコが第三の眼を含めた身体の七眼全てをカッと見開くと、一定数の鬼が悲鳴を上げて大広間の中を逃げ惑う。
酒呑童子とその側近たちが立ち去った大広間は指示系統を失っている。ただ、情けない声をあげて青鬼と黄鬼が逃げ惑い、赤鬼たちはそんな彼らを見て慌てふためいていた。
「ぐぅぅわぁぁあ! 雷だぁぁ! 死んじまうぅ!」
「どけどけぇ! こっちにゃ岩が降ってきてんだよ!」
それは想像以上の混乱っぷりであった。
青鬼は大広間の正面に向かって右奥の大部屋へ。三色の鬼の中で一番数が少ない黄鬼は階段を上がって二階へと避難していった。
赤鬼とその他の数少ない希少色の鬼たちは大広間の中で呆然と立ち尽くしている。
宴会ムードは寒々しい空気によって終わりを告げ、いまだ混乱する鬼と、宴会を台無しにされたことに怒りを露わにする鬼とに二分されていた。
「どぉよぉ、俺の幻術はよ、ひっく」
ペタンと尻もちをついて、振り向いたムサネコがサムズアップをしながらバイケンたちに褒めてくれと言わんばかりにドヤ顔を決めた。
「あぁ、よくやったぜぇ。あとは作戦通り、この赤鬼どもを――」
「ぐがーぐがー」
「……はぁ?」
ムサネコはそのまま意識を失い、仰向けになって寝てしまった。大いびきをかいて気持ちよさそうな寝顔を浮かべている。
「ちょっ! 待て待てこの野郎ぉ! テメーはそんなに酒が弱かったのかよぉ!」
「何やってんですか! 早く起きてくださーい!」
ラヴィアンはムサネコに馬乗りになってビンタを振り抜くが、モフッという感触が手に残るだけで、何のダメージも与えられない。
「あー、そいつはしばらく起きなそうですのん。たぶん酔っぱらって七眼なんて余計な力を使ったせい。こうなったら、オマエラ二人だけで残った鬼を倒すですねん」
「はぁ? 何言ってんだ、この小鬼がよぉ」
「そうですよ。バカなことを言わないでくださいー! 主力のムサネコさんがいない状態でこんな数の鬼たちを……」
一行の前では、100体を超える鬼たちの視線がこちらを見据えていた。
「ほら、赤鬼たちはやる気満々ですのん。そこの白いのは邪魔だから、アタイが端っこに引きずっていく。白いのは起こせたらアタイが起こすから、オマエラはさっさと赤鬼どもを殲滅しろ」
無表情で言葉足らずなデンに、バイケンとラヴィアンは苛立ちを募らせるが、ここで仲間割れなどしている場合ではない。
歯噛みをしながらも、ラヴィアンは弓を手に取った。
「……バイケンさん」
「あんだぁ?」
「私、デンちゃん嫌いですっ!」
「あぁ、オイラも激しく同意だぜぇ。――だからこの怒り、テメーらにぶつけるッ!」
バイケンは高い天井が広がる宙に駆け上がると、眼下の鬼たちを見渡した。
肘から生えた鎌を交差する。すると、肘の鎌が着脱し、分銅と鎌が鎖で繋がれた武器がその手に握られていた。バイケンの専用武器、
「いっくぜぇ。テメーらまとめて死んじまいなッ!」
分銅を起点に鎌をビュンビュンと振り回し、十分な遠心力を得られたタイミングで鋭く放つ。次の瞬間には、三つの鬼の首が宙を舞っていたのだった。
一方のラヴィアン。バイケンの手際に関心したのもつかの間、この時のために作っておいた薬を口の中に放り込んで、ステータスアップのバフを自身にかける。
「三倍気丸。からのぉ、
通常の三倍の動きの速さで放たれた風属性を帯びた矢が赤鬼の首やひたい、こめかみを的確に貫いていくと、一瞬のうちに血飛沫が舞い、四体の鬼が床へ次々と倒れていく。
「やるじゃねぇの、お嬢ぉ」
「まだまだですッ。本番はこれからですから」
仲間が倒されたのを目の当たりにし、二人の奇襲とも言える先制攻撃に面食らっていた鬼たちも、ようやく臨戦態勢を整えつつあった。
張り詰めた空気の中、バイケンとラヴィアンはさらに意識を集中する。目の前に黒山の人だかりを形成している鬼たちをたった二人で全滅するというミッションに向けて。
鬼たちの異様に鋭い眼差しの先で、二人の背中に冷たい汗が伝っていた。
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