第174話 演技
「いいぜ、開けてくれ」
ムサネコの野太い声を聞くと、デンはしっかりと頷いた。
デンが締め切られた重厚な開き戸に小さな手をかざすと、その手から溢れ出る光によって意思を持ったように戸が勝手に開かれていく。
戸の隙間から漏れてくる騒がしい声。開かれた視界には1町(109.09m)四方はあろうかという、大広間の名の通り、広大な空間が存在した。
そして、その中を埋め尽くす、鬼、鬼、鬼。
デンの言った通り、数百体。一目、300体はくだらない。
広間の奥には一段高い壇があり、そのさらに奥には両側に二階に続く階段が見える。ここからは見えないが、きっと地下に降りる階段もそこにあるのだろう。
開かれた戸からムサネコたち一行が姿を現しても、ほとんどの鬼たちは気にする素振りも見せずに宴会に興じていた。
歌い、踊り、笑い合う鬼たち。
一見平和そうに見えるその光景の中にあって、従者として配膳や酒を注いだり、話し相手になったり、時に体を触られたりしているのは人間の娘たちであった。
おそらく
逆らえば容赦なく殺される。そんな緊張感がこちらには伝わってくるものの、鬼たちはその様子までも含めて楽しんでいるように見えた。
見慣れない光景に目を奪われていると、近くの鬼が一行に気づくと盃を片手にのしのしと近づいてくる。ムサネコたちの前には五体の鬼が立ちふさがった。
「あークセェ。なんか臭うじゃねぇか。よぉ、テメェら何モンだぁ?」
真ん中の鬼がヘラっとした態度で話しかけてくる。その時、鬼の眉間に矢がズッと鈍い音を立てて真っすぐに突き刺さった。
鬼はそのまま仰向けに倒れると、配膳されていた食器や盃を背中で叩き壊し、その破壊音に周囲の視線が集まる。
「源頼光とその一行です! 私の呪いを解いてもらいましょうか! 出てきなさい、酒呑童子っ!」
弓矢を手にしたラヴィアンが勇ましい口調で口上を述べると、一瞬鬼がたじろいだ。
「あーあ。いきなりかよ。随分短気になったもんじゃねぇか、お嬢」
「私だってずっと腹に据えかねてきたんです。やってやりますよ。私は負けない」
「だな。でも、ちょっとだけ待っててくれ。先にコイツを酒呑の野郎に呑ませねぇと」
ムサネコは背に担いでいた
今にも飛びかからんとする鬼を前足を突き出してけん制すると、瓢箪の中身をぐいっと一飲み。
「く……はぁっ。何だこれ? めっちゃくちゃうめぇ。おうおう、テメエらはこんなうまい酒呑んだことねぇだろう?」
口元を雑に手で拭って、ムサネコはふぃーっと息を吐き、酒の美味さを鬼たちに全身の動きを伴って見せつける。その後ろから様子を窺っていたラヴィアンとバイケンは顔を見合わせて、
「ムサネコさんって意外と演技派なんですね」
「オイラも知らなかったんだぜぇ。これなら酒呑も喰いついて来るんじゃねぇかぁ」
こそっと、そんな会話をしていた。
「オレにも呑ませろぉ!」
その様子を見ていた鬼が辛抱たまらんとばかりに飛びかかってくるが、ムサネコは身体を大きく反らせて交わすと、千鳥足になりながらも絶妙なバランス感覚を見せて、転びそうになりながら、ぐいっともう一呑み。
「テメーなんざお呼びじゃねんだよ。ザコはすっこんでろ。……ひっく」
「んだとぉ! この人間ふぜいがぁ!」
相手にされなかった鬼が威勢よく突っ込んでくる。相変わらず足取りはフラフラしているが、ムサネコは余裕をもったままその攻撃を見切って交わす。
その時。【キィン】と、楽器のトライアングルを強く叩いた時のような高い音色がムサネコの頭の中に反響した。
しかし、ムサネコは意に介さず、酒を欲しがる鬼に向けて相変わらず憎まれ口を叩いている。
「うぃーっ、ひっく。だぁれがこんなうまい酒をくれてやるかってんだ。……って、あぁん?」
初めは単に酔っているのかと思った。しかし、何度見てもその手にあったはずの瓢箪がそこにはない。
「ん~、だれだぁ。おれの酒をどこへやりやがったぁ、ひくっ」
キョロキョロと周りを見渡す。しかし鬼たちもその場で固まったまま動いていない。酔いの回る中、覚えのない違和感がムサネコを襲う。
「どこを見ている? 余はここだ」
その地の底から発せられたような低く、響きのある言葉に全身が一気に泡立つ。
見上げた先には、翼を広げて宙に浮いている酒呑童子。その手にはさっきまで自分の手の中にあった金色の瓢箪を携えている。
「てめぇ、いつのまに……うぃっ」
ムサネコは体を前後左右にぐらぐらさせながら酒呑童子を見上げている。その時、ムサネコの定まらない意識を突き破ったのは、後方からの少女の高い声。
「ムサネコさんッ! これって酒呑の術なんじゃ?」
「あ~?」
「ほら、ここに来る前に言ってたじゃないですか! 酒呑童子も時の術を操るって」
「……
自分が放った言葉に酔いが少し引いた気がした。なるほど、さっきの甲高い反響音。あれは
ムサネコは降ろした視線を再び上げる。しばらく視線がぶつかった後、先に声を発したのは酒呑童子。
「その小娘の方が冷静ではないか。フハハハ! 余の術にも気づかぬとは、その程度の腕でよくここまで来れたものだなぁ、源頼光」
酒呑童子は歯噛みして悔しさを露わにするムサネコを一瞥すると、その身体に隠れるように身を潜めていたデンに視線を向けた。
「……貴様か?」
「――ひッ!」
「茨木が使い物にならないと悟れば、今度は源頼光側につくとはな。この
デンは恐怖で体を震わせている。相手は鬼の中の絶対主。対峙すれば全ての鬼がそうなるのであろう。本能が恐怖に抗えないでいるのだ。
「ふん、まあいい。――おい」
酒呑童子はゆっくりと床に降りてくると、近くにいた鬼に手招きをした。それで察したその鬼は、片膝をついて盃を両手で高く差し出した。
軽く顎を引くと、酒呑童子は差し出された盃に瓢箪の酒を注いでいく。空になった瓢箪を乱雑に投げ捨てると、盃を手にしてなみなみと注がれた液体を凝視する。
「これがそんなに美味い酒なのか?」
「おいコラ! 人のモンを勝手に掠め取ってんじゃねぇぞ。テメェにゃ勿体ねぇ。こっちに返しやがれ」
二人のやり取りをその後ろで声を潜め、目線だけで会話するラヴィアンとバイケン。
(ムサネコさん、まだ演技頑張ってますね)
(おぅ、意外と頼りになる男なんだぜぇ)
そんな二人には目もくれず、酒呑はただ目の前の酒を眺めている。
(((呑め呑め呑め……)))
ムサネコ、バイケン、ラヴィアンは声を押し殺し、ひたすらに祈る。
((((呑め呑め呑め呑め……))))
さらにデンも一緒になって、無心で祈り続ける。
――そして。
【ぐいっ】と、盃を一気に煽る酒呑童子。ゴクリゴクリと美味そうに喉を鳴らして、最後の一滴まで惜しむように盃を逆さにしてまで飲み干した。
ムサネコたちのみならず、その場にいる鬼たち全ての視線が酒呑童子に注がれていた。
特級呪物、〈
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