第164話 裏切り者

 そこは石壁に囲まれた殺風景な部屋だった。


 人が一人住むのなら十分すぎる広さがあったが、この城の大きさからしてみたら若干の物足りなさも覚える。


 置いてある調度品は少ないながらもその一つひとつはどれも豪奢ごうしゃで、テーブルも椅子も壁に掛けられた蝋燭台も、いずれも見事な品に映る。



「茨木のおねーちゃん!」


 木製の椅子に腰を掛け、すらりと伸びた足を組んだ茨木童子の元に、クロベエは一目散に駆け寄った。



「猫ちゃん、ここまでよく来たわね」


「うん、怖かったけど頑張った。だって、ボクがいないとギルたちは何にもできないんだから」


「そう……ギルも近くまで来ているのね」


 茨木は肘をついた右手に頭をあずけると、複雑な心中が口から零れ落ちる。その表情を見たからかはわからないが、気落ちしそうなタイミングを見計らうようにクロベエが声を掛けてきた。



「茨木のおねーちゃん」


「……え? うん、何だい?」


「おねーちゃんはどうしたいの?」


 茨木は身体を前のめりに起こすが、クロベエの質問の意図が分からず首を傾げた。



「どうしたいって、どういう意味?」


「そのままの意味だよ。おねーちゃんはボクたちとってこと」


 その言葉に茨木は思わず息を呑む。いつからか心の中にあったさざなみ大時化おおしけに変わっていくような感覚があった。


 一条戻橋での戦い。特にギルとまみえた一戦では心と頭を峻烈にかき乱された。あれがいにしえの記憶によるとすれば、どちらにつくべきなのかを明示してくれていたのだろうか。



「……そんなこと最初から望んじゃいないよ。――あたしが最初に目指した世界はこんな歪んだ醜いところじゃなかった。一条戻橋でお前さんたちと戦ってから、今の今までずっと思案に暮れていたのさ。正しいと思った行動をしてきたはずが、どうして間違えちゃったんだろう、ってね……」


 茨木の美しい顔が口惜しさからか、渋面に歪んでいる。その表情を見て何かを察したクロベエは、ふわりと浮いて茨木の肩に手を置くと、事も無げに言い切った。



「ならまた世界を作り直せばいいじゃない」


「猫ちゃん……」


「おねーちゃんならできる。だって、あんなに凄いんだもの。大江山四天王なんて足元にも及ばなかったよね」


 すると、それまで静かに聞いていたデンが口を挟む。



「アタイもその猫の言うことに賛成ですねん。このまま人間を滅ぼすことが正しいとは思えないですのん。そうなったら今度は間違いなく鬼の中で殺し合いが始まるのですねん」


 二人の言葉を聞いても茨木の表情は険しいままだ。



「そうね……でもさ、酒呑童子しゅてんどうじをあんなにしてしまったのはあたしなの。それを今さら『気に入らないからやっぱりやめた』ってのは虫が良すぎるとは思わないかい」


 悲し気な表情を伴って茨木が言うと、クロベエはつぶらな目を吊り上げて声を上げた。



「おねーちゃんのバカぁ! 誰だって間違いは犯すんだよ。それはきっと神さまだってそうだ。だって、そもそも神さまが間違わなかったら、こんな世界になんてなっていないじゃないか」


「神さま……か」


 茨木の脳裏にアマテラスとスサノオの顔が浮かぶ。三貴子と呼ばれた神たちだ。


 それに邪神カグツチ。ヤツもまた神であるにもかかわらず、この世を手中に収めようと謀り、そして地中深くに封印された。


 あの時は神同士が争っていたのだ。確かに神は過ちを犯した。だから世界は今も争いが絶えないでいる。



「茨木さまに向かってバカとは何ですのん、このマヌケ猫!」


「何をー! 自分だってチビのくせにぃ!」


 どうにもクロベエとデンは相性が悪いらしい。テーブルの上で互いにほっぺたを両手でつねり合う、悲しいほど低レベルな喧嘩が繰り広げられていた。



「猫ちゃん」


「ふぁい?」


 茨木の呼びかけにつねられたままのクロベエは間の抜けた声で返事をする。



「……間違いを認めるわ。あたしは違う世界を目指したい。人と鬼が共存できる世界。そこを諦めるべきじゃなかったということに、ようやく気付くことができた。お前さんのおかげね」


「おねーちゃん……」


「とは言え、酒呑童子に謀反を起こすにしても圧倒的に戦力が不足しているわ。物見遊山ものみゆさんを気取って、あんまり城には寄り付かなかったから、あたしに付いてくれるのはせいぜい二割程度かな。それも確証がないし、何よりもこのことが酒呑童子にバレたら城にいる全ての鬼を敵に回す可能性だってある」


 八対二。確かに圧倒的な戦力差だとクロベエは思う。ギルたちが加わったとしても、そうそうひっくり返せるとは思えない。


 しかし……何かがあったはず。ボクは何をしにここへ来たんだっけ。



「そうだ、これ」


 そう言って、クロベエは四次元収納4Dストレージから、金の瓢箪を取り出した。



「これは?」


「確か、神変鬼毒酒じんぺんきどくしゅってお酒だよ。人が呑むと美味しいんだけど、鬼が呑むと毒になるんだって」


「それって特級呪物じゃない。どうしてお前さんがこんなものを?」


「へへん。これはね、神社のお爺さんに『これで鬼を倒してくれ』って託されたんだよ」


「そう……お前さんたちはここに辿り着くために、色んな場所を駆けずり回ってきたんだね。あたしが外道丸を鬼にしてしまったばかりに」


 自分の知らないところで多くの人が苦しんでいる。多くの人が抗おうとしている。クロベエたちの辛苦を想像すると胸が詰まりそうになる。



「そんなことはどうだっていいよ。ボクたちは父上が元の世界に戻るため、そしてラヴィアンの呪いを解くためにやっているんだ。おねーちゃんが気に病むことじゃない」


 小さな猫は平然と言い放つ。茨木はクロベエにギルたち一行の強い決意を見た気がした。



「わかったわ。それじゃその呪物はあたしが預からせてもらうわね。お前さんじゃ酒呑童子にそれを飲ませるのは難しいでしょ?」


「そうなんだよー。実はボクも困ってて――」


 そう言ってクロベエが神変鬼毒酒を茨木に手渡そうとした時、部屋のどこかから、城の石壁を震わせるような、ドスの利いた強く低い声が聞こえてきた。



『茨木。そこに城に紛れ込んだ不届きな輩がいるな』


「酒呑ッ!? どうして?」


『城に戻ったお前の様子がおかしかったのでな。お前の部屋の周りに結界を仕込んでおいたまで』


「クッ……油断した」


 茨木の顔からみるみる血の気が引いていく。その時、デンは慌ててクロベエから神変鬼毒酒を取り上げた。



「あっ! 何するんだよ」


「いいからマヌケ猫はここから早く逃げるのねん!」


 デンの表情も見たことがないほど険しいものだった。



「そうよ猫ちゃん。すぐに酒呑がこの部屋にやってくる」


「へ?」


「あとはあたしたちが何とかするから。お前さんは仲間の元へお行きなさい」


「そんな……元はと言えばボクがのこのこやってきたから――」


「いいからッ!」


 茨木はクロベエの言葉を語気を荒げて遮ると、天に向かって手を掲げ、天井に空間を作り出した。



「あ、あぁ……ご、ごめんなさい……」


「大丈夫よ。そう心配しなさんな。あたしは簡単にやられはしないから。――お前さんの仲間に……ギルに待っているって伝えてちょうだい」


「おねーちゃん! ボク――」


 茨木はクロベエを天井に開けた空間から外へ避難させた。その直後、クロベエの言葉を残した部屋に【バンッ】と威勢よく扉が開かれる音が上書きされると、酒呑童子の怒りを帯びた声がその場をすぐさま支配した。



「やってくれたなぁ、茨木ぃ。託言かごとはあとでゆっくり聞いてやろうぞ。貴様ら、コイツを地下牢に連れていけ。脱獄できないように魔縄まじょうで吊るし上げるのを忘れるな」


「わかりました! それと……コイツはどうしましょう?」


 部下が差した方に酒呑童子が目をやると鬼の精霊デンが、部屋の隅でカタカタと震えていた。



「そいつはいい。どうせ何もできない人畜無害な小鬼ザコだからな。わざわざそんなヤツのために監視に負担をかけることもないだろう」


「はっ!」


 酒呑童子の部下に連行され、茨木は部屋をあとにする。その時、一瞬デンと目が合い、目配せをした。



(わかったのですねん。アタイが突破口を切り拓くですのん)


 デンは決意を強く固める。酒呑童子よりもずっと前から茨木と行動を共にしていたのは紛れもなくデンだった。自身に力はないが、それでも何か茨木の役に立てる方法はある。


 デンは酒呑童子たちが部屋から出て行ったことを確認すると、自身の行動を開始する。



 こうして、クロベエの潜入調査は最悪の形となって失敗に終わる。魔城から放り出され、とぼとぼと空を浮遊しながら仲間たちの元へ戻るクロベエは泣きそうになっていた。



(ごめんよ、おねーちゃん。――でも待ってて。必ず助けに行くから)


 眼下ではさっきまで走り回っていた鬼たちが、立ち止まりざわついている。おそらく茨木の裏切りの噂が広まっているのだろう。


 クロベエは涙で滲む視界の中を力なく進むのであった。

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