第161話 鬼切と童子切

 茨木童子はその場にいた全ての鬼を従えて一条戻橋を後にし、大江山へと引き上げていった。

 

 一方のギルはというと、釈然としない表情を浮かべながら仲間の待つ自陣へと土手を登って戻っていく。


 橋のたもとにある陣地ではクロベエが前足を揃え、キレイな姿勢で先頭にちょこんと座っている。その後ろにラヴィアン。その左右にバイケンとムサネコ。


 仲間たちは何も言わずにギルの言葉を待っているようだった。



「一応は勝ったことにはなったけど、俺――」


 そう切り出すと、クロベエが待ちきれないとばかりに走ってきて、ぴょんとギルの頭の上に飛び乗った。



「このぉ。ギルのくせにやるじゃないかー。どんな手を使ったのかは知らないけど、あの茨木のおねーちゃんを退しりぞかせるなんて」


 ギルの頭を両手の肉球でぷにぷにと叩きながらクロベエが言う。



「そうですよ! この勝利で未来に繋がったんですから!」


 ラヴィアンは胸の前で握りこぶしを作って興奮気味に言った。



(未来に?)


 そうだ。過去じゃない。未来。

 俺たちが目指しているのはそこなんだ。



「とにかくお疲れぇって言ってやりてぇところだけどよぉ、あんまり時間がねぇ。もうすぐ日が暮れる。覚悟はできてるんだぜぇ?」


 バイケンの言葉に身が一層引き締まる。ギルはしっかりと頷いてみせた。



「茨木のヤツ、だいぶ様子がおかしかったじゃねぇか」

 

 最後に声を掛けてきたのはムサネコだ。



「あ、うん」とギルはまだぼんやりした頭で生返事をした。


「でも、過程なんざどうだっていい。俺たちの目的は酒呑童子の首一つ。最後にお前が勝ってくれた。俺たちで茨木と四天王を退けた。そして次に進める。今はこれで十分じゃねぇか、なぁ」


「あぁ、そうだね。でも……」


 そこでギルは言葉を切った。自分の中に渦巻く気持ちの正体に引っ掛かりを覚えていたからだ。


 茨木童子。彼女は一体何者なのか。どうしてあっさり引き下がってくれたのだろうか。どうして俺は彼女を傷つけなくないと思ってしまったのか。そして俺の母親……ラプラスとは。


 頭の中の霧は濃く、一向に晴れる気配を見せなかった。



(次に会った時、俺はこの手で茨木を傷つけることができるのか)


 ギルの中に迷いが生まれていた。時間が経てば経つほど様々な思いがギルの中に浸食してきて、意識の大半が持って行かれていたのだ。



「どうしたギル? お前、何だか様子が……」


 ムサネコが心配そうに下から顔を覗いてくる。ギルがはっと我に返って、「あぁうん、大丈夫――」と無理やり作った笑顔で返そうとした時、ギルの頭の上でクロベエが甲高い声をあげた。



「あー、あっち見て! ほら!」


 クロベエがあっちあっちと前足を向ける。ギルは頭の上にクロベエがいるのでわからなかったけど、仲間たちの目線を追いかけてその正体に気づく。



「じろきち!」


 銀色の美しい毛並みの狐が夕焼けに照らされて、ふわふわと宙を浮いてこちらに近づいてくる。


「わーい! じろきちー!」と、勢い余って飛びついたクロベエの額を前足でがっちり押さえつけながら橋に足を下ろすと、じろきちは皆を見渡してゆっくりと口を開く。



「アチシが最後か。揃いも揃ってその傷……おヌシら、ここで何があった?」


 ギルたちは互いに視線を送り合ったが、最初から四天王との戦いに参加していたラヴィアンが名乗り出て、起こった出来事をじろきちに伝えた。



「なんと、大江山四天王とは。おヌシら、よくぞ持ちこたえてくれた。もっともアチシがいたところで大した戦力にはなれなかったじゃろうが」


 その正体は歴史に残る大妖怪、九尾の狐〈玉藻前たまものまえ〉。だが、長い間殺生石に封印されていたため、今の力は全盛期の十分の一にも届かないという。じろきち自身が一番歯がゆいに違いない。



「もう終わったことだし、じろきちが気にする必要はないよ。それよりもじろきちは今までどこで何をしていたの?」


 ギルがトーンを抑えた優し気な調子で尋ねる。



「うむ、ちょっと思うところがあったので、そこに賭けてみようと思って動いていたのじゃが、残念ながら上手くはいかんかった。アチシの能力の解放にはまだまだ時間がかかるし、5日ではどうにもならんのでな」


「そうなんだ。でも、またこうして無事に再会することができて嬉しいよ」


「あぁ、それはアチシもじゃ。でも、時間はないだろう? じゃから、ほれ」


 そう言って、じろきちは宙に手を突っ込んで、四次元収納4Dストレージからいくつかの武器を取り出して、橋のたもとに並べた。



「おい、こりゃあ鍛冶屋の郡司ぐんじに頼んでた俺たちの武器じゃねぇか」


 ムサネコがずいと前に出てきて並べられた武器を屈んで手に取る。ムサネコの爪とギルの鎌。夕闇のオレンジに反射して刀身が怪しい光を放っている。


 ギルも己のために作られた鎌を手にしてみる。ギルのオーダー通りに刀身が柄の中に収められるように作られており、握り心地も完璧と言える出来だった。



「ここに来る前に立ち寄ってきたのじゃ。それと、郡司ちゃんからおヌシらへの言伝ことづても預かっておるぞ」


「郡司さんは何て?」


「うむ、『外道丸の首を落とす武器を魂を込めて鍛えました。どうかこれであの子を暗闇の中から解放してやってください』と――」


 鍛冶屋の郡司は外道丸こと酒呑童子の育ての親だ。

 

 ――彼はこの武器をどんな気持ちで砥いでいたのだろう。息子を殺すための武器を自らの手で作る。どんな罪を犯したらそこまでの罰が与えられるのだろう。


 その時、ギルは柄に刻まれた刻印に視線を落とす。



「『雲外蒼天うんがいそうてん』、雲外に蒼天あり、か。そうだよな、ここまでやってきたんだもの。最後には蒼い空を見れなきゃ、郡司さんにも申し訳が立たないよね」


 そうギルは独りごちた。



「それは郡司がおヌシに託した願いじゃろうて。ギリギリの精神状態で生み出したことは想像に難くない。だがほれ、刀身にはちゃんと刀銘かたなめいも刻まれておるぞ」


 じろきちに言われてギルは柄の中に収められた鎌の刀身を開き、そこに刻まれた文字を読み上げた。



「『鬼切おにきり』。これは何と言うか……そのままだね。あ、ムサネコさんの爪には何て刻まれてるの?」


 ギルに言われてムサネコは手に装着していた爪を外して中を覗き込む。



「あぁ、俺の方にも刻印があるな。こっちはえっと、『童子切どうじぎり』。子供を斬る刀って訳か。……この戦いが終わったら郡司にはちゃんと礼を言わなきゃな。でなけりゃ、神も仏もあったもんじゃねぇ」


「……うん、そうだよね。俺たちは郡司さんの想いに応えないと」


 鬼切と童子切。酒呑童子と外道丸。そのどちらも斬り捨ててこい。そんな強い想いがこの二振りには込められているのだと誰もが思う。


 辺りがしんと静まり返る。郡司の胸中を想えば察するに余りある。誰もが心にのしかかる重圧に口を開くことができなかったのだ。彼を除いては。



「ねぇ、そしたら今からその郡司さんって人にお礼を言いに行けばいいんじゃない。そんなに遠回りでもないでしょ?」


(またコイツは空気が読めねぇな……)と、皆の視線が一斉にクロベエに集まる。「お前は人の心を持たないモンスターか!」とギルはツッコみそうになるが、元々猫だし感受性は大いにバグっているのかもしれないと思いとどまる。



「それは無理な相談じゃな」と、オレンジの隈取の中の眼でクロベエに一瞥をくれてじろきちが言う。


「え、なんでー?」


「なぜなら郡司のヤツ、アチシにこの二振りを渡した瞬間に気絶しおったからな。週5日で120時間労働。アチシが尋ねるまでずっとこの業物を細部まで磨いておった。ギリギリまで魂を注ぎ込んでおったんじゃな」


 じろきちの言葉を聞いてギルは呆然とした。



「完全に晴明が郡司さんにかけたバフのせいじゃん。週に120時間労働。月に20日労働なら480時間労働……だと。世が世なら完全にブラックすぎて捕まるって……」


「いや、そんなに働けば普通に死ぬじゃろう。それを可能にするとはさすがは晴明ちゃんじゃな。大したものじゃ」


「じろきちも感覚がバグってんじゃん……」



 何はともあれ、じろきちも戻ってきたことで全員が再び終結した。


 残すは大江山に城を構える酒呑童子。

 一条戻橋のたもとから、全員が遠くにそびえる大江山をしっかりと見据えていた。

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