第160話 撤退

「退けと言うのか……この茨木に?」


 語気を荒げることも無く、静かに茨木は反応した。



「うん。どうしてもって言うならやるしかないけど、それならこっちの代表を交代させてほしい」


「勝手なことばかり言ってくれるじゃないか」


「仕方ないよ。理由はわからないけど、俺は茨木に攻撃することができないみたいだし……」


「だが、代表は変えられない。元々そういうルールだったからな」


「え、そうなの? どうしよ、本気で困ったなぁ」


「……」


 茨木の胸中も複雑だった。ギルと戦いたくないと思う気持ちは同じ。いや、おそらくギル以上に茨木の方がその気持ちは強かろうとさえ思えた。だが、それだけの理由で刃を収めたら他の者に何と説明すればいい。

 

 考えれば考えるほど、頭の中では小間切れの残像が暴力的なまでに荒れ狂う。茨木はまた強烈な痛みが弾ける頭を両手で抱えた。これではいずれにしても戦うことなど……できそうにない。



「ねぇ」


「……う、な、なんだ?」


「やっぱり俺たち前にどこかで会ったことがあるんじゃない? じゃないとおかしいよ。俺、こんなこと今まで一度もなかったし」


「あたしはお前など知らないよ――」


「……うん。そっか、そうだよね」


「……ぐぅっ」


 茨木はついに両ひざを地面に落としてしまう。頭を抱えたままうずくまり、土下座のような格好になって、もがき苦しんでいる。

 

 

「ヒール!」


 ギルは即座に手を伸ばして回復を施す。茨木は両手を地面に当て下を向いたまま、「ゼェハァ」と荒い呼吸音が耳をつき、滴る汗がポタポタと頬を伝って流れ落ちる。



「大丈夫?」


「……なぜ何度も回復を! わかっているのか、あたしはお前の敵だぞ!」


「茨木は……本当に俺の敵なの?」


「……っ、バカな! 決まっている!」


 その時、茨木の頭の中に真っ黒なもやが入り込んできて、再び強烈な痛みが頭の中に生じた。


 あぁ、そうか。そう言うことか。ギルに向かって心の中で思っていることと真逆のこと……嘘をくと、この現象が生じるのか。


 それにもう一つ。あたしの過去だ。

 あたしの過去の起こった何かとギルが言葉にする何かが共鳴リンクする時。脳が、心がフラッシュバックを激しく拒絶して、頭の中が壊されそうになる。


 じゃあどうしろと?

 あたしにとってこの少年は相性最悪の敵なの?

 それとも――


 その時、ギルに首からぶら下がった六芒星の深紅の首飾りが茨木の目に留まった。



「おい……その紅い勾玉は?」


「勾玉? あぁ、この首飾りか。これは俺が捨てられていた時から付けられていたんだって。それからずっとこのままだけど、実は属性切り替えのトリガーになってて――」


「トリガー?」


「そう。左手で触って『サリー』って言うと聖属性。右手で触って『バルトサール』って言うと暗黒属性。凄いでしょ。この首飾りにそんな力が込められているなんてキレネーさんに教えてもらうまで知らなかったよ」


「『サリー』、『バルトサール』、それに『キレネー』……」


「うん、そうだよ。それがどうかした?」


 記憶の断片がパラパラと次々に頭の中に流れて込んでくる。あぁ、これか。また共鳴が起こっているのだ。


 地鳴りのように痛みが響く頭を抱えていると、ある言葉と共に記憶の中に映し出される光景がピタッと止まった。


 漏れ出た声は無意識の中で発せられていた。それは今の茨木に代わって、過去の茨木が言葉を繋いだかのようだった。



「サリー……サリー・ラプラス」


「サリー・ラプラス? 誰のことを言ってるの?」


「……お前の……母だ」


「!? 俺のお母さん? ちょっと待って。何で茨木がそんなことを知ってるの? 俺は……生まれた時から親がいなくて、施設に捨てられていたんだよ! いい加減なことを言わないでよ!」


「そうか、お前さんは……記憶が……ない、のだな……。あの後、ラプラスさまに一体何があったというのだ」


「だからさっきから誰のことを!?」


 射るような視線を向けてくるギルに、茨木は右手を差し出して制止するような仕草を取り、そして伝えた。



「ここはあたしの負けでいい」


「え、急にどうして?」


「あたしはこんな状態じゃ、もうさすがに戦えやしないさ。お前さんだって、あたしに攻撃することはできないって言ってたじゃないか」


「それはそうだけど」


「なら文句はあるまいさ。だが、それはこの場だけの話。あたしは鬼の茨木。酒呑童子と対を成すものなり。もう……過去には……あの頃には戻れないのだから」


 どんどん小さくなっていく消え入りそうな声を川のサラサラと流れていく音がかき消した。


 言葉を言い終えると、茨木は顔を背けて横を向いた。その目には涙が浮かんでいるようだった。見ているだけで涼やかなひとみに吸い込まれそうになる。



「わかった。なら遠慮なく勝ち名乗りはあげさせてもらうよ」


「あぁ……じゃあ、あたしは行くよ。大江山の羅生門を超えた魔城で酒呑童子は待っているはずだ」


「うん。すぐに行く。俺たちに残された時間は少ないからね」


「次は……こうはいかないよ」


「いや、俺は次もきっと茨木とは戦えないよ。だから――」


 茨木はギルの言葉を遮るようにぼそりとつぶやいた。



「どうして今頃になってあたしの前に現れた……。ずっと……何百年も待っていたのに……もう少し早くお前さんと、出会ってさえいれば――」


「え?」


「――いや、いいんだ。何でもない。次はこうはいかぬからな。お前さんたちに勝ちを譲ってやるのは今回だけだ」


「うん、ありがとう……茨木」


 この時、茨木の記憶の一部はギルから発せられたいくつかのキーワードが契機トリガーとなって蘇っていた。



 アマテラスの転生体、星天の魔女スターリースカイラプラス。

 その夫、バルトサール。

 三天魔術師が一人、狂想の魔女ファンタスティキャリティキレネー。


 そして――

 


 かくして、頼光四天王対大江山四天王の戦いは、頼光四天王の勝利という形で幕を閉じることとなる。


 茨木は自陣に戻り、残された石熊と星熊に一言二言声を掛けると、勝敗を見届けた決闘霊符によって解除された結界の外で待つ大勢の鬼たちを後ろに従えて、大江山へと退き帰していく。


 鬼の中にあって、ひと際華奢なその白い背中。

 その白い肌の向こうでは何を想っているのか。


 黄昏時。朱を含んだ夕空が京の街の上空に広がっていた。

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