第94話 親のつとめ
静かな時間が流れる。
誰かの唾を飲み込む音、息遣いさえも聞こえてきそうな沈黙が続いた後で、
「あの子は、道丸は……外道丸は、先ほどムサシ様が仰った通り、酒呑童子の幼名でございます」
誰も言葉を発しない。郡司は続けた。
「とても不思議な子でした。そして優しい子でした――」
「……優しい? 酒呑童子が?」
ギルの言葉に郡司は目を見て、すっと頭を下げた。
「ええ、それはもう。いつも誰かの世話をしていないと落ち着かないような、気の利く優しい子でしてな」
「……そんな優しかった子がどうして鬼に?」
「それは……誰もが心根に持っている鬼の部分が……あの子を喰らい尽くしてしまったからでしょうな……」
郡司は急に言葉を濁した。その目には後悔が宿っているようにも見える。
「おい、
じろきちは強い口調で郡司を問い詰める。
「滅相もございませぬ。もしそうであるならば、どうしてこの場にお招きなどいたしましょう」
「……むぅ、おヌシは晴明ちゃんの手つきには間違いあるまい。張られていた結界が何よりの
「左様です。ですから、私は道丸……酒呑童子を斬るための刀の仕立てを安倍晴明様より受けております」
「ほぉ、そこまで手を回しておったか。さすがは晴明ちゃんじゃ」
「ただ……」
「何じゃ?」
じろきちはオレンジの隈取の中の眼を鋭く光らせる。
「まだ足りませぬ」
「ぬ?」
「道丸を斬る刀をこしらえるためには、材料が1つ足りぬのです」
その言葉に一番に反応したのはムサネコだった。
「材料なんて俺がすぐに採ってきてやる。何が必要なのか言ってみろ」
「それが……〈
「何だそりゃ? 聞いたことがねぇな」
「えぇ、とても貴重な鉱物にございますゆえ、採れる場所が限られておりまする」
「貴重なのはわかったから、どこに行けばいいんだって」
ムサネコが苛立ちを孕んだ調子で言うと、郡司は棚の奥まった場所から埃をかぶった麻の紙を持ってくると床に広げてみせた。
「これは朱の玉鋼の場所が描かれた絵図でございます」
麻の紙に墨で描かれたその地図は、ところどころ文字が霞んでいたり染みになっていたりして正直わかりやすいものではなかった。
全員が覗き込むようにして見ていると、宙にふわふわと浮いていたじろきちが艶のある声で注目を集めた。
「その地なら知っておる。ムサシちゃんよ、おヌシの〈
「あ? そうだなぁ、俺の結界の中に入れるだけ連れて行けると思うぜ。MP消費が激しいから、あんまりやりたくはねぇんだが」
「そうか、この人数ならば問題あるまい。今は一刻を争そうからの。皆で今すぐに向かおうぞ」
それなら今までも
じろきちの言葉にラヴィアンが手を挙げて待ったをかけた。
「ちょっと待ってください。その地へ行ったとしてすぐに採取できたりするものなのでしょうか? クロベエたちとの待ち合わせまでには戻ってこないと。郡司さん、どうなのでしょう?」
郡司は何も言わずに店の奥へと一人で行ってしまった。その場に残された一行がそれぞれ首をかしげていると、すぐに奥から小さな箱を持って戻ってきた。
「お待たせ申した。これをご覧くだされ」
箱を開けて中身を見せると、そこには深い翡翠色をした見慣れない形をした玉が対になって収められていた。
「これは
じろきちが言うと、郡司はうなづき、勾玉を手に持って各自の前に見せて回った。
「この勾玉はただの勾玉ではございませぬ。晴明様よりお預かりした〈
「名前はわかったけどよ、この玉が一体何だってんだ?」
ムサネコはあまり興味を示してはいないようである。
「この勾玉には不思議な力が封印されておりましてな。何でも能力同士を掛け合わせることができる〈融合〉と言う力だそうで」
「そりゃまぁ確かに凄そうだが、それと朱の玉鋼を採りに行くのと何の関係がある?」
「ええ、朱の玉鋼が取れる〈
「……やっぱそうなるよな。てことは、身に着けて持ち主と承認されればアビリティが追加される、いわゆる〈装具アビリティ〉がこの玉には
ムサネコは自然とギルの深紅の首飾りに目をやった。視線に気づいたギルが口を開く。
「え、なに? この首飾りがどうかした?」
「ギルよぉ。お前も気づいてんだろうけど、その首飾りも装具アビリティが付与されてんぞ。ただ、お前のそれは特注みたいで、お前と過ごした時期に実は調べたことがあったんだが、結局誰がどんなアビリティを付与したとか、そういうのは全く分からないままだったけどな」
「うん、俺の属性はこの首飾りで切り替えができるようになってるからね。何かしらのアビリティが付いているとは思っていたけど、今までステータスを見ても何もわからなかったから結局謎のままなんだ」
ギルが首飾りを握ると、それに呼応するかのように勾玉が光を放った。
「おぉ、勾玉が自ら光を放つとは……。どうやらその首飾りに反応をしているようですな。どうですかな、その首飾りに勾玉を付けてみては」
「あ、うん。俺は構わないけど。大丈夫だよね、ムサネコさん」
「いいんじゃねぇか。元は晴明が持っていたものなら強い力を持っているだろうしよ」
ムサネコの言葉を聞いたギルは首飾りを外した。郡司に差し出すと、いくつかの黒い天然石を深紅の首飾り《ペンダントトップ》に連ねて、さらに二つの勾玉を左右対称に黒い革紐に通した。
「これでよし。付けてみてくだされ」
「わぁ、ペンダントトップも勾玉もさっきよりも強い光を放っているね。郡司さん、どうもありがとう」
「いいのです。あと、私にできることは道丸の首を斬り落とす刀を作ることだけ……。朱の玉鋼の採取、よろしく頼みましたぞ」
「うん、必ず採ってくるよ。急ごう、ムサネコさん」
「あ、ちょっと待ってください」
ラヴィアンが慌てて言葉を発した。
「どうしたのラヴィ?」
「あの、郡司さん。あそこにある弓矢ってお借りすることはできますか?」
指さしたのは、部屋の一角にある武器が置かれた場所に飾られていた大きな弓矢。
「もちろんですとも、使う者がいて初めて武器は価値が生まれる。あの弓矢はあなた様に差し上げます」
「そんな、ちゃんと返します」
「いいのですよ。命さえあればまたいつでも作れるのですから」
そう言って、郡司は大弓を壁から外すと平棚に置き、さらに奥から肩からたすきで掛ける弓の上端部を収納する弓入れを持って来た。
「普段はこれに入れて肩から掛けておけば戦闘時にもすぐに使えて便利でしょう。矢筒も弓入れの中に――」
「ありがとうございます! 弓矢はここにあるものをいただければ私のアビリティ〈
「おぉ、なんと……」
ラヴィアンは郡司から受け取った弓と矢を〈
「おし! じゃあ行くか。すぐに採って戻ってくるから待ってろよ、郡司」
ムサネコの呼びかけで一行が周り身を寄せる。「〈
「頼みましたぞ、皆さま方。あれを……道丸を止めてやれるのは、もうあなたたち以外にはおりますまい」
一人残された郡司は頬に涙を流し、神に祈った。
これが最後の親の務めなのだと自らに言い聞かせながら。
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