第91話 不思議な植樹

 首からぶら下げた瓢箪ひょうたんに入った酒が中でぴちゃぴちゃと音を立てていた。


 クロベエを背に乗せたバイケンが堀川通りから西へ空を駆けていくと、急に身体にまとわりつくような、ベタっとした湿気を突然感じた。

 

 同じタイミングでクロベエも感じたようで思わず声が漏れる。



「ねぇ、気持ち悪いほど湿気が凄いね。この違和感ってきっと……」


「あぁ、ちょっと降りてみるんだぜぇ」



 翁が言った通り、そこは山の入口。

 なだらかな斜面が奥へと続き、鬱蒼と生い茂る樹木に囲まれた、人が踏み込んだ形跡がほとんど見当たらない原生林という印象を受ける。



【キィエェェッ!】


「ぎゃー!」


「……おいおい、ただの鳥だって。いちいちビビッてでけぇ声を出すんじゃねぇぜぇ」


「そ、そんなこと言ったって、おじいさんたちが脅かすようなことを言ってたし」



 二人はとりあえず斜面を登っていくことにした。

 道がないため、バイケンが肘の鎌で樹木を刈りながら進んでいく。



「便利だねぇバイケン。キミ、こういう仕事をすればいいのに」


「うるせぇんだぜぇ。お前、さっきまでビビってたくせに余裕出てきてんじゃ……」


 その時、左の方向から唸り声が聞こえてきた。



【グゥガァァァアッ】


「ひゃっ! な、なに今の……」


「わかんねぇ……とりあえず拓けた場所を探すぞぉ。こんな視界が悪い場所じゃ対処に困っちまう」



 バイケンはクロベエの首根っこを掴むとすぐに空へと駆けていく。上空からさっきいた辺りを見下ろすが、生い茂る樹木に遮られて下の様子が分からない。



「う~んと、あ! あそこ見てバイケン。あの辺りちょっと拓けてない?」


「おぉ、ちょっと行ってみるんだぜぇ」



 斜面を奥に百メートルほど進んだところに行ってみると、そこには小さな滝が流れており、手前には小さな滝つぼとその周りをむき出しの岩が囲んだ場所があった。



「よし、降りてみようよ」


「だなぁ、そんなに広くはねぇけど、贅沢は言ってらんねぇ。ここが不思議な植樹が生えているエリアなら凶暴化した草食動物がいるって話だがよぉ……」



 二人は滝つぼの手前の地面に降り立つと、周囲に気を配りながら別々に歩き回る。



「なぁ、チビスケぇ。そっちはどう――」


 バイケンが振り返ると滝つぼで全力で顔を洗っているクロベエの姿が目に入った。

 

「ぷはぁー気持ちいい。さっきからずっと湿気が凄くてベトベトして気持ち悪かったんだ」


「てめぇ……人が真面目にやってんのによぉ……何なんだその緊張感のなさは……」


 すると……



【グゥゴァァァアッ……】


「ぎゃー、出たー!」


「だからうるせぇっての! ここなら視界も拓けてるし、凶暴なヤツが出てきたって……」



 茂みの中から現れたのは、3mはありそうな巨大な熊……を口にくわえた巨大なウサギだった。



「ばばば、バイケン! 何なのあのウサギさんはっ!?」


「だからあれがじいさんたちが言ってた凶暴化した草食動物なんだろうぜぇ。それにしても思ったよりでけぇ。熊の倍近くの大きさがあるんじゃねぇかぁ」



 5m級のウサギは、ペッと熊を吐き出すとびょんと大ジャンプで手前にいたバイケンに突然襲い掛かってきた。


 バイケンは素早い身のこなしで避けると同時に低空飛行。地面すれすれを樹木を交わしながらうねるように駆け抜け、巨大ウサギの後ろへと回り込む。



「いただきだぜぇーっ!」


 上空へと飛び上がり、左右の鎌を天から振り下ろす。

 その瞬間、巨大ウサギは振り向くと、鎌を前歯ではじき返した。


【ガキィィィン】


 と、低い金属音が周囲に響くと同時に火花が散る。バイケンはその反動で大きく後退してしまう。



「はぁ? 何だこのウサギはよぉ。デカい割には身のこなしも速ぇし、耐久力も……」


「来るよ、バイケンっ!」



 クロベエが叫ぶよりも早く巨大ウサギはバイケンに向かって一気に距離を詰めてきた。左右のパンチを繰り出してくるとバイケンは宙でひらりと舞って交わすが、木や岩をも砕く破壊力を目の当たりにして思わずつぶやいた。



「ウサギ……なんだよなぁ?」



 巨大ウサギは空に逃げて難を逃れたバイケンを見上げると、紅い眼をギラリと光らせて大ジャンプ。すぐさま空中でバイケンにパンチに蹴りを混ぜた連撃コンビネーションを繰り出してきた。



「ちょ……なんだコイツ! ウサギの動きじゃねーっ!」


 攻撃はどんどん速度を増して行く。これはまずいと、バイケンはさらに高く空へと駆け上がって避難した。


「ハァハァ……思った以上にやるじゃねぇかぁ」



 息を整えるバイケン。地上を見下ろすと、ウサギの標的ロックオンがクロベエに向かっていることに気づく。地上まではまだ少し距離があった。



「クー! クーッ!」



 独特の泣き声をあげながら巨大ウサギはクロベエに向かって一直線。クロベエはぎょっとして一瞬固まるが、一瞬目を閉じてすぐに見開き声を出す。



変化メタモルフォーゼッ!」【ボンッ】



 クロベエの周りにモヤがかかり、晴れていくと同時に姿を現したのは巨大ウサギをも超える大きさのドラゴンであった。まぁ、見た目はまんまるおめめがキュートな、かなり可愛くデフォルメされたものだったのだが。


 巨大ウサギはその姿を見て驚き、急停止。

 クロベエが変化したドラゴン(でも可愛い)に威圧感たっぷりに見下ろされ、今度は逆にウサギの方が固まった。


 すると……



【しゅぅぅぅぅぅぅ】



 と空気が抜けるような音がしたと思ったら、ウサギの身体がみるみる通常サイズへと戻っていく。ウサギはガクガクと震え出し、一目散にその場から逃走。


 しかし、戻ってきたバイケンがウサギの前に立ちふさがる。



「よぉ、さっきはよくもやってくれたじゃねぇかぁ」



 ウサギは目を真っ赤にして泣きそうだ。いや、すでにちょっと泣いていた。

 目をウルウルと滲ませて、「くーくー」と鳴いている。



「バイケン、その子謝ってるみたい。珍しい草を食べたら急に訳が分からなくなって、自分を抑えきれなくて暴れてたって」


「チビスケ、お前コイツの言ってることがわかんのかぁ?」


「うん、大体はわかるよ。同じ動物同士だからかなぁ」



 そう言うと、クロベエは身振り手振りを交えながらウサギと話し始めた。バイケンはそんなクロベエを見て思う。



(オイラは全然わかんなかったけどなぁ。コイツにはまだまだオイラの知らねぇ才能みたいなものが隠れているってことかぁ)



 ウサギと話し終えたクロベエがバイケンの方へ振り返る。



「この子、食べた草の場所がわかるって。すぐに採りに行こうよ。のんびりしている時間もないし」


「お、おぉ、そうだなぁ」



 こうしてクロベエとバイケンは〈不思議な植樹〉をゲットすることに成功。それは太い茎が水色で、葉の部分がピンク色をした、見た目からして何とも奇妙な植物だった。



「これだけ採れば十分じゃない?」


「でも、これをどうやって持って行くかだよなぁ」


「え? 〈四次元収納4Dストレージ〉で収納すればいいじゃん」


「は? なんだそれぇ?」


「何ってアビリティだよ。持ち物をいつでもどこでも呼び出した空間に収納できて取り出すことができるんだ。前にパウルに教えてもらったら使えるようになったんだよ」


(あの小人の精霊かぁ……。まぁアイツも少しは役に立つことがあるってことかぁ。て言うか、そんな便利なアビリティを使えるんなら最初から言うんだぜぇ)



 そう思いながらバイケンは無言で首にぶら下げていた瓢箪をクロベエに差し出した。


 クロベエは〈四次元収納4Dストレージ〉で大量の〈不思議な植樹〉と金色の瓢箪を収納した。目的達成ミッションコンプリートである。



「じゃあ一条戻橋に向かうかぁ。もう結構陽も暮れてきたしよォ」


「うん。でも、戻りながらでいいから浮遊も教えてよ。変化メタモルフォーゼは結構できるようになったし」


変化メタモルフォーゼもまだまだ甘ぇけどなぁ。まぁ時間もねぇしやるだけやってみるかぁ」


「おうっ!」



 二人は来た道を引き返す。

 クロベエにとっては浮遊の方が取得難易度が高いようで全然上手くはいかなかったのだが。


 一条戻橋に着く頃にはすっかり陽が落ちて、辺りは再び深い藍色の闇に染まっていた。

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