第87話 未曽有の危機

 すっかり夜も更けていた。旅の疲れと空腹もあり、朱雀大路から1本入った道の奥にある小さな宿屋で一行は食事をとっていた。

 

「ねぇ、今日はもう疲れたしこのままここに泊っていこうよ」


 食事の注文を終えたあと、クロベエがいつものようにわがままを言い出す。

 

「……」


「みんなで無視ッ!?」


 お茶をフーフーと30回以上息を掛けて冷ました後、器用に両の前足で湯呑を挟んですすりながらムサネコが言う。


「あちっ! あー、うるせぇな。全員疲れてるんだから何の役にも立たねぇヤツは黙ってろ」


(ガーーーン!)


「そんな……ひどいよ、父上……。ボクだって一生懸命頑張ってるのに……」


 クロベエが涙目で言うと、ギルがあっさりと言い放つ。


「クロベエってばずっと俺の後ろに隠れたり、バイケンの背中に乗ってただけじゃん」


「……だって、ボクは探索魔法しか使えないし、戦闘向きのアビリティは1つも持ってないし……」


 珍しくクロベエが落ち込む様子を見せた。何だか言い過ぎた気がしてギルがフォローしようとすると、察したムサネコが前足を横に広げてそれを制した。


「おい、クロベエ。お前、〈変化メタモルフォーゼ〉と〈浮遊〉くらいなら割とすぐに覚えられるんじゃねぇか?」


「えっ?」


「最初から思っていたんだけどよ、お前にはやたらとセンスを感じる。やる気があるならバイケンに教えるよう頼んでやっても構わねぇぞ」


「え? オイラそんなこと一つも聞いてねぇ――」


「ち、父上ッ! やっぱりそうだよね! ボクは父上の息子なんだ。そのボクが戦闘に向いてない訳がないよね」


 クロベエはさっきまでの沈んだ表情とは打って変わって踊って喜びを表現した。ギルはこの猫は嬉しいとすぐに踊り出すことを思い出した。



 踊るクロベエを横目にギルはムサネコの側へと移動し耳打ちする。


「ねぇ、どういうこと? クロベエに戦闘のセンスなんて――」


「あぁ、アイツはそっち系の適性はほぼ皆無だな」


「じゃあなんで?」


「いや、ああ言えばアイツの性格的にすぐに調子に乗りそうな気がしてよ。それに戦闘で役立つアビリティやスキルは何も武術や魔法だけじゃねぇからな。アイツはサポーターとしてなら見込みがあるかもしれねぇと思ったのは本当だ」


「うわー、あんなに無邪気に喜んでるのに……親って怖いな……」


 その後、食事が運ばれてくるまでクロベエの謎の踊りは続いた。



 運ばれてきた食事は質素なものであった。麦飯に漬物、野菜の煮びたしが少々、そしてお椀。ご馳走を期待していたギルたちは明らかにテンションが下がっている。ラヴィアンもギル同様に楽しみにしていたのか、心なしか肩を落としているようだ。


「ちょっと、ムサネコさん。源頼光って有名な武士じゃなかったの? 何なのこの寂しい食事は? 貧乏か!」


「文句言うんじゃねぇ。今はどこだってこんなもんなんだよ。肉や魚が食えてるのなんて、皇族や独りよがりの貴族くらいしかいねぇはずだ」


「え? どうして?」


「そりゃもちろん鬼のせいだ。人さらいが続発していてみやこの流通も麻痺してんだよ。考えてもみろ、今は京の町を歩いていたらいつ鬼に襲われるかわかんねぇ世の中になっちまってる。そんな状況でも普段と変わらぬ仕事をしていられる人の方がよっぽど珍しいってことだ。だから、この飯だって店主が必死の思いで今できる精一杯で作ってくれた料理なんだぜ。そんなこともわかんねぇとは、しばらく見ねぇ間に随分と薄っぺらい野郎になっちまったもんじゃねぇか」


「……」



 思慮が足りなかった。もちろん返す言葉は見つからない。

 今この国は未曽有の危機にある。それは、鬼の存在によって生み出された、耐えがたき現実。


「わかりゃあいい。それよりも、とりあえずちゃんと食っとけ。のんびり飯食ってるヒマなんて、もうないかもしれねぇんだからな」


「うん……」


 ギルは様々な思いを噛み締めながら食材を噛み締めた。何だか少ししょっぱい気がした。

 食事を終え、すっかり冷めたお茶をすすりながらムサネコが言う。


「時間がねぇから要点だけ整理しておくぞ。まず俺たちに残された時間はいくらもない。理由はお前らも分かっている通り、お嬢の呪印が発動するまでのタイムリミットが八日を切っちまっているってことだ」


 正座をして聞いていたラヴィアンがそろりと手を挙げる。


「それは最優先でなくても構いません……。私は固有アビリティを2つ持っていますから、酒呑童子の言うことが正しいのであれば猶予はもう少しあります。八日、九日でアビリティを1つずつ失った後で鬼化するのは十日後……」


「何言ってるの! そんなのダメに決まっている! 大体俺を助けようとして呪印を受けてしまったんじゃないか。絶対に助ける! だってキミの固有アビリティの最初に記されているものは――」


「薬士の……アビリティです」


「そうだろ? なら、それだけは絶対に守らないとダメだ。だって、キミは『立派な薬士になりたい』ってずっと言ってたじゃないか! 俺のせいなんだ。この命に代えても必ずキミは守る!」


「ギル……」


 立ち上がって拳を握りしめるギル。周りは何も言えずにしばらく沈黙の時間が続いた。


「……お前に言われるまでもねぇぞ。はなから俺たちゃお嬢を犠牲にするなんて微塵も考えてねぇ。だが、八日以内に酒呑童子を倒すってのも至難の業だ。大体、まともにやっても勝てる見込みが見当たらねぇ相手だしな」


 ムサネコの言葉に一行は再び押し黙る。その様子を見かねたのか、じろきちが沈黙を破った。


「晴明ちゃんに相談してみるのじゃ」


 不殺の聖約の対象者になっている安倍晴明と言う名の少女。

 現状を打破するには彼女の力がきっと必要になる。


 じろきちは切り出すタイミングをうかがっていたのだった。

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