第64話 体術最強説

 目の前には身長3mはありそうな大男のヘイデンがそびえ立っていた。頭の位置が高いところにあり過ぎて、時折表情が見えないことがあるほど。


 この時もヘイデンの表情は見えなかったが、ギルは相当やる気になっていた。顔色を窺っている場合じゃない。


 ギルは見よう見まねで、「シュッシュッ」と、シャドーボクシングの動きを実践してみせる。下手すぎて見ていられないレベルではあったが。動きを止めるとキリッと表情を引き締めてヘイデンに言う。


「それはよかったです。なら、俺は何からすればいいですか? 強くならないとラヴィアンを救えないのなら、俺なんだってやりますよ。体術は本で読んだことがあるから知識はちょっとありますし。武闘家の立ち技ならジャブとかストレートとかワンツーとかでしょ。さぁ、何でもやるんで教えてください」


「そう焦んな。ラヴィアンの呪縛は強くなったからと言ってすぐには解決できん。だから、きたるべき時に備えてこれからじっくり鍛えてやる」


「じゃあ、俺はどうしたら?」


「そうだな。まずは体術の素晴らしさをお前に教えてやろう」


「え……はぃ?」



 ヘイデンは、いつも腰ベルトに引っかけて持ち歩いているウェストバッグからペンとノートを取り出した。うわ、この人ってやっぱり何だか面倒くさいタイプだな、とギルは思う。


 そんなことを思われているとは微塵も思わず、ヘイデンは地面にどーんとあぐらをかき、ノートを開いて準備万端とばかりに説明を始めた。ちなみにノートもバカでかいサイズで、こんなのどこに売っているんだろう? と思うレベル。A1サイズとかなのか。


「いいか小僧。まず大前提として、体術はある条件下では最強だ。身体が武器である以上、いつ戦いが起こっても対応ができる。武器持ちは手元に武器がなけりゃ戦闘力はガタ落ちだが、体術はそうじゃねぇ。寝ていようが、風呂に入っていようが、どんな時だって一瞬で最大攻撃力の状態で戦闘に入れる」


 そうだ。まさにそれが体術が剣術なとどはもっとも性質の異なる点だ。そう考えると、いつでも戦える体術はギルの理想に近い戦闘スタイルであると言えた。


「それにもう一つ利点がある。それは、与ダメージの調整がしやすいってことだ。手を開くか握るかだけでもダメージ量は変わるし、攻撃時の指の数を変えることでもダメージは変わる」


(ん? 与ダメージ?)


 ギルは疑問を抱く。ダメージなんて多く与えるに越したことはないのでは、と。ただ、矢継ぎ早にヘイデンが続きを語るのでまずはそれを聞くことに。


「調整が効くってことの恩恵は戦時下では大きくてな。殺さずに拷問が必要な時だったり、相手を戦意喪失に追い込む時だったりと状況に応じて与えるダメージを変えられることは思いのほか利点が多い」


「いや、あのぉ……言ってることはわかりますけど、俺、拷問なんてしないですよ」


「……お前はガキだからわからないだろうが、戦争になったらそう言う場面に出くわすことだってあるんだよ。誰だって好き好んでやりたい訳じゃないが、大事なものを守るためにはやるしかない時だって出てくる。世の中から争いが無くならない以上は、自分が生き抜くためのあらゆる場面を想定しておけ」


 戦争と言われても正直なところ想像が湧かない。ただ、発言から重みは感じていた。先人に学べることは多い。それをないがしろにすべきではないことも理解していた。


「はぁ……なんと言うか、イメージはまだ浮かびませんけど、体術が大切だってことはわかりました。だからこそ、早く教えてください。俺は時間を無駄にはしたくないんです」


「そう焦るな。では、次に体術の歴史とその種類について教えてやろう」


「てか、俺の話を聞けよ……。口下手だと思ったら、この人めちゃくちゃ話好きか……」




 それから、ヘイデンの長話を何とか巻きに巻いて、ようやく修練が始まった。


「おーい小僧。お前、ヒューマンにしてはまぁまぁの基礎体力はあるようだなぁ。ここに来る前はどんな鍛錬を積んできたー?」


 ギルはとりあえずとばかりに1周およそ2kmほどの原っぱの外周をぐるぐると何週も走らされていた。遠目からでもあまりにも目立つ大男のヘイデンに声を掛けられ、ギルは走りながら大声で返す。


「前にいたスライムの谷ってところで毎日30kmほど走っていたりしてましたー」


「……ほぅ」


 ヘイデンは実際のところ感心していた。初めはラヴィアンの優しさに甘えているだけのいけ好かない小僧だと思っていたが、旅の道中で時間があれば山道を走ったり、大きな石を持ち上げたりして、常に何かしらの鍛錬している姿を見せつけられていたからだ。


 それに、出会う前からそれだけの鍛錬を積んできているのだとすれば、根性だけはありそうだ。久しぶりにちゃんとした稽古をつけられる相手に出会えたのかもしれん。ヘイデンに自然と笑みがこぼれていた。その表情を遠くで走りながら見ていたギルは思わず口にした。


「うわ……何だあれ。何で笑ってんだろ。不気味過ぎる……」


 その後も約1時間ほどランニングをさせられた後、それが終わったら休憩なしで逆立ち歩きだったり、木に足を引っかけてぶら下がった状態で腹筋をやらされたりと、地味な鍛錬が続いて行った。


 来る日も来る日も同じような鍛錬が夜明けから日没まで続く。


 鍛錬を開始して10日が過ぎた頃。ギルはロープの両端を大きな石に巻き付けた謎の重しを口にくわえた状態で木にぶら下がっての腹筋をさせられていた。何とか連続で10回をやり切ると、ギルは身体に力が入らずに木から落ちてしまった。見下ろすヘイデンに向かって仰向けのギルが言う。


「はぁはぁはぁ……なにこれ、全然面白くない……。早く体術を教えて欲しいのに……。いつになったら体術を指導してもらえるんですか?」


「う~む、そうだな……。この原っぱの端から端まで連続バック転で行けたら体術の実践訓練に入ってもいい」


「はい? バック転ってあの後ろに手をついてクルッと身体が起き上がるあのバック転ですか?」


「そうだ。それが連続でできる柔軟性と体幹があれば実践訓練にも耐えられるだろうからな」


「まぁ、言ってることはちょっと分かる気もするけど。にしても……俺、やったことないですよ。だったら初めからバック転の訓練から始めればよかったじゃないですか」


「こういうのは、ある程度基礎体力をつけてからの方が上達は早いからな。急がば回れってやつだ。それに柔軟性と体幹に加えて筋持久力も必要になるぞ。なんせこの距離だしな」


 ヘイデンの見つめる方向をギルも目線で追う。原っぱの端まではかなりの距離があるように見える。


「……これって、直線で500mくらいあるんじゃないですか。バック転で500m連続で進むって、すでに人間業じゃないと思うんですけど」



 先に理屈で考えてしまうのがギルの悪い癖だ。それでは己の限界はいつまで経っても超えられない。



「なら別にやめてもいい。そうなったらラヴィアンは俺が何とかするだけだしな」


「……やりますよ。ラヴィは俺の命の恩人だ! 俺はもう人間やめる覚悟でやってやりますよ!」


「……あぁ、それくらいになってもらわなきゃ、きっとラヴィアンは救えねぇ……」



 その日も日没まで鍛錬は続いた。ギルは夕食後もクロベエと祠を飛び出して、山道をひたすら駆け回る。何かに憑りつかれたかのように走り続けたのだった。

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