第58話 黒猫と森の精霊

 モンスターと対峙したまま、蒸し返った洞窟内で汗だけが頬を絶え間なく伝っている。

 光る首飾りを手に持ったままギルは言葉を発した。

 

「……バルトサール」


 すると、ギルの腕はメキメキと巨大化し、それは身体よりも大きくなった。マスピア渓谷を発ってから一度も発動することができなかった暗黒属性に切り替えることができたのだ。その様子を見てクロベエが言う。



「ギルのその腕ってさー。この間同じようなやつ見たよ」


「え?」


「ほら、川辺でよく見る……あぁ、思い出した、カニだよ。カニの片方のハサミが大きいやつみたいだよね」


「……」



 口を開けばロクなこと言わないなこの猫。どうしよう。この先もずっとこうなのだろうか。ギルが頭を抱えていると、魔人化した〈亡者の右腕〉を見て、ラヴィアンが尋ねる。



「ギル……なにそれ? それがあなたのアビリティ?」


「え? あぁ、うん。そうだね。ちょっと色々あって、まだ自分でもわかっていないことがたくさんあるんだけど。だから、俺もステータスはしっかり確認しておきたいんだ。だから、早くこのモンスターを倒して……」



 そう言って正面を向き直すと、視線の先の狼型モンスターは思いっきり震えていた。


「ちょっと! 何なんスかアンタ? そんな世にも恐ろしいものをこんなチンケな祠の中で振り回したら、アッシが死んじまうでしょうが!」


「は、はい?」


 モンスターはさっきまでの重低音ボイスをどこかに忘れてきたかのように、か細い高い声で一気に巻くしててきた。肩透かしを食らったギルは思わず気の抜けた返答をしてしまう。


「えっと、キミ。俺たちとやる気あるの……?」


「はぁぁ!? あるわけないでしょうが! もう帰ってください、いやマジで! もう心の底からお願いするっス!」


 そう言いながら、狼型モンスターは姿を消すと、奥から緑色の肌をした黒い着衣の小人が姿を現した。髪の毛はクリーム色で、木の靴を履いている。鼻は小さくて高くとがっており、目の色は新緑のような鮮やかな緑色をしていた。


「キミがこの祠の精霊?」


 ギルが尋ねると小人は目の前で両手を拝むように組んでガクガクと縦に何度も首を振り、ハッと我に返った様子で今度は横にブルブルと首を振った。


「いやあの……一体どっちなの?」


「はっ! ごめんなさいごめんなさい! マジ殺さないでください! アッシは森の精霊〈ドリュアス〉さまに命じられて、ここにいるだけなんス! 今の狼型モンスターも冒険者を追っ払うための〈まやかし〉を出現させただけのクソみたいなアビリティなんスよ! アッシは何の力もコネもない、ただのクソチンケなクソザコ精霊っス」


 なんだろ。卑屈っぷりが凄いな……、一体どうやったらこんな卑屈になれるのだろうか。それに聞けば聞くほど何だか不憫に思えてきた。


「精霊さん。俺たちはキミと戦う意思はないんだよ。ただ、そこにある石板でステータスを見せてもらえないかと思ってここにやってきただけなんだ」


「え? マジっスか?」


「うん、本当だよ。だから、よかったらキミの名前を教えてくれないかな。俺はギルガメス。ギルって呼んで」


「私はラヴィです」


「ボクはクロベエだよー」


 ギルたちは次々と自己紹介した。3人の視線は小人の精霊に向けられる。


「あ……、アッシの名はパウルっス。あの……皆さん、マジでステータス見たら帰ってくれるんスよね?」


 パウルはいぶかしげな表情で問いかけてくる。3人は顔を見合わせると、ラヴィアンが颯爽と口を開いた。


「それはどうかわからないですね。ステータスを見たらすぐに立ち去らなければならない決まりなんて聞いたことがありませんし。用が済めば出ていきますが、それまではあなたに指図されるいわれはありません」


 空気を読まないで真顔で斬り込みまくるラヴィアン。出会った頃は大人しくて人見知りな印象だったのに、どうやらこっちの気の強い方が彼女の本性だとギルは確信めいた気持ちを抱いていた。


 パウルはラヴィアンの発言があまりにも予想外だったためか、声にならず、涙目でギルに助けを求める表情を浮かべている。ギルはうなづき、この場に最適と思える発言を試みる。


「あー、その、すぐに帰るとは言ってないかな、うん」


「いや、アンタ! さっきの口ぶりだと用が済んだら普通に帰ってくれる感じだったじゃないっスか! その女の子の発言に寄せてるのがバレバレっスよ! マジひでぇっス!」


 涙目で荒ぶるパウル。なんだか悪いことをした気になってきた……。確かにラヴィの意見に思いっきり寄せたし。


「大丈夫だよパウルぅ。ボクたちがそんなに怖そうに見える? いや、見えないでしょー? よーく見てよ、子供が二人と可愛い猫が1匹だよ。怖い要素なんてどこにもないじゃない。大丈夫大丈夫。キミの身の安全はボクが保証してあげるから」


 クロベエがパウルの肩にトンと前足を置きなだめ始めた。なんだか怪しい洗脳をかけるために、取り込もうとしているように見えなくもない。


「ほんとっスか……? クロベエの兄さん……」


(この精霊、猫にあっさり取り込まれてるじゃん! それでいいのか、パウルよ……)


 それからしばらくすると、クロベエの洗脳……じゃなくて、説得が効いたのか、パウルは落ち着きを取り戻したようだった。

 

「わかったっス。じゃあ、ここは自由に使ってもらって構わないっス」


 祠の主の許可も取ったことだし、これで心置きなくステータスの確認ができる。

 

 ギルたちの様子を青い光を発しながら見守っていた石板。

 久しぶりのステータス確認にギルの心は高鳴っていた。

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