第48話 【サキソマ編 壱】蛇の過去
サキソマは恵まれない幼少期を過ごしていた。
肌は物心つく前から鱗のように厚くざらざらで、色も所どころくすんだ緑色を帯びていた。
糸のような細い目で、緑色の髪の毛はいつもぼさぼさ。
服は季節を問わず、いつも袖なしのシャツと半ズボン、靴は与えてもらえず常に裸足。
家で洗濯をしてもらうことは無かったので、近くの川に服のまま入っては、身体ごと洗うのが日課となっていた。
サキソマにはずっと友達はいなかった。それどころか、見知らぬ誰もがサキソマを見ると怪訝な表情を浮かべ、「クッセェ」「気味わりぃ」と言っては唾を吐きかけられたり、突然背中を蹴られて肥溜めに突き落とされる日々。
まるで害虫のように扱われていたため、人がまともに近づいてくることは一切なかった。物心がついた頃からイジメが当たり前の環境で育ったのだ。
人目につくところに行くと、大小はあれど理不尽な中傷や暴力を受けるのが日常と化していた。サキソマは自分の心と体を守るために、常に人目を避けて、川で身体と服を洗い、その後は誰にも見つからないように木に登って夕暮れまで過ごし、暗くなってから家に帰るようになっていた。
その幼少期を生み出していた要因は親にあった。特に父親が暴力的な男で、定職に就かず、母親が日雇いで稼いできた金を巻き上げては、博打、酒、女に使うと言う、絵に描いたような下衆な男であった。
サキソマは家に戻ってくるといつも母親に「お母さん、お腹空いたよ」とだけ口にする。母親は決まってサキソマのぼさぼさの頭を優しくなでると、「用意するから少しだけいい子にして待っていてね」と言っては外に出ていき、二から三時間ほどで食材を持って帰ってきては料理を作ってくれるのだった。
父親は毎夜食事が終わった頃合いを見計らったように、同じ時刻に家に戻ってくる。ほとんど会話はせず、黙って母親から金を巻き上げて、次の日の夜までは帰ってこない。そんな生活が何年にも渡りずっと続いていた。
サキソマが十歳の頃。夜中に目が覚めてトイレに行こうとして母親がいつも寝ている隣の部屋のふすまを母親を起こさないようにそっと開けた時。彼はそれまでの人生で受けたことのない衝撃を受けた。彼の視界に母親が父親と裸で抱き合っている光景が目に飛び込んできたのだ。
母親は父親に首を絞められたり、髪の毛を後ろから両手で掴まれたりしながらも体を重ねていた。母親はその行為の最中ずっと声が漏れないように口を押えながら涙を流していて、父親は愉悦の表情を浮かべている。
サキソマはそれまでに感じたことのない罪悪感とそれと同時に興奮に滾っている自分に気づく。サキソマにとってはとても長い時間に感じたが、実際に見ていた時間は数分であった。それでも、その光景はサキソマの脳裏にはっきりと焼き付けられた。
ある日、サキソマがいつものように川で寝そべって風呂と洗濯を兼ねた水浴びをしていると、突然声を掛けられた。
「ねぇ、そこの君。何をしているのー?」
声の方を向くと、そこには同じ年くらいの女の子が土手に立ってサキソマのほうを見ていた。隣にはやはり同じ年くらいの男の子もいる。サキソマは生まれて初めて見知らぬ同じ年くらいの子から、悪意の混じっていない声を掛けられたことで舞い上がるが、とっさに(何か言わないと)と思って口を開く。
「ぼ……僕はいつも……この辺で一人で遊んでて……」
サキソマの様子が物珍しく映ったのだろうか、女の子は走って近くまでやってくる。
「ねぇ、それって楽しいの? 私も入って大丈夫かな? 溺れない?」
「あ……う、うん、大丈夫。こ、ここは浅いし流れもゆっくりだから……」
サキソマが言うと、女の子はスカートをめくり上げてゆっくりと川へ入ってきた。
「これ気持ちがいいね。楽しい! そうだ、君の名前は? 私はレイリオって名前だよ」
「あの……僕は……サキソマ……」
サキソマが名乗ると、後から男の子も川にじゃぶじゃぶと入ってきた。
「よぉ。俺はウルマー。こいつの兄ちゃんだ。よろしくな」
最初はもちろんぎこちなかったが、しばらく一緒に遊んでいるうちにサキソマは二人と自然と打ち解けていった。二人はそれまでに会った誰よりも、と言うよりも母親以外で初めてサキソマに悪意を向けることがない人間だった。
結局その日は夕暮れまで遊び、次の日もまた次の日も三人は一緒に遊んだ。
サキソマは生まれて初めてできた友人との時間を心から楽しんでいた。
レイリオは優しくておてんば。少しおっちょこちょいなところがあったけど、そんなところも可愛く思えた。兄のウルマーのことが大好きで、信頼しきっている様子が伺える。
ウルマーは妹思いで心優しい兄。正義感が強くて、サキソマがいじめられているところに出くわしても見てみぬ振りをすることなく、いじめっ子を追い払ってくれた。
そんな二人と過ごす光景は毎日夢にも出てくるほどで、中傷も暴力もない優しい世界にサキソマは感謝の言葉も見つからないほどであった。
その時が来るまでは。
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