第37話 声の向こう側

 川のさらさらという音と、闇夜を飛び交う鳥の鳴き声だけが辺りに響く、夜もすっかり更けた頃。ギルは息を切らして祠へと戻ってきた。


 この日、暗黒属性による黒魔法の発動をニンフに封じられていたギルだが、日課となっていた修練は継続中。


 腕立て伏せ一万回にスライムの谷を往復半、およそ三十kmの超長距離の全力ダッシュ。常に限界の状態で動き、動けなくなったら回復魔法で筋肉の超回復。それは、ニンフによって張り巡らされた特殊な結界の中でしか実現し得ない、無限のMP量のなせる業であった。


 動いているほうが気が紛れていい。今日、ギルは初めて手にした直接攻撃の手段を封印された。そのショックは決して小さいものではなかったが、魔法の威力が大きすぎること、そして、その魔法を制御できないことは確かに致命的とも思えた。


 ニンフは〈殺戮兵器〉と称したが、それも自分の中に消化できつつあった。もし仮に、罪の無い人にあの威力の魔法がかすりでもしてしまえば……。敵に当たるかどうかもわからない魔法など打てたとしてもまるで意味はない。ギルは体を動かし続けて少しずつ心を落ち着けて行ったのだった。



「戻ったよぉ……」


 石板の前でギルが言う。いつもならニンフが奥から出てきて、明るく出迎えてくれるのだが。


 今日初めてニンフと言い争いをしてしまった。正直かなり気まずい。直接顔を合わせたら何を言えばいいのだろうか? ギルが浮かない顔をしていると、奥の部屋からニンフが現れた。



「おかえりー。ご飯にするー? お風呂にするー? それともボクにするー?」

 

「え? あぁ、うん」


 予想外のニンフの振る舞いに戸惑うギル。



「きゃー、ボクがいいのかい? しょうがないなー。じゃあ早速始めようかー」


 そう言うと、おもむろに服を脱ぎ始めるニンフ。



「ちょ、ちょっと待って! あのさ、ニンフ。今日のことだけどさ、その……」


 ギルは両手を突き出しながら、ニンフの脱衣を制止する。



「んー、あぁ。暗黒属性の黒魔法の発動を封じちゃったことかなー? そりゃまだ気にしてるよねー。でも、あれはああするしか他に方法がなかったって言うかー」


 人差し指を立てて口に当て、宙を見上げながらニンフが言う。



「うん……わかってる。俺がどうかしてた。あんな凄い魔法が打てたもんだから、嬉しくて舞い上がってしまったんだと思う。でも、困っている人を助けたいと願って修練を続けているのに、人に危害を加えるかもしれない魔法しか打てないんだったら、きっとそれは封印されるべきなんだって、今は思ってるんだ」


「ふ~ん、相変わらずキミは子供っぽさがゼロだねー。辛いときは泣いたっていいんだよ。ほら、おねーさんの胸を貸してあげるから思いっきり飛び込んでおいでー」


 これはわざと? それとも天然? ともかく、ニンフがいつものニンフで振る舞ってくれたことにギルは感謝した。


 ニンフの誘いを華麗にスルーして風呂に入るギル。祠に帰ってくると、身体を動かし続けて汗だらけなので、いつも先に風呂に入るのが習慣になっていたのだ。ニンフもいつものように一緒に湯船に浸かり、水魔法で頭や身体を洗ってくれる。


 風呂から上がると日付が変わっていた。そのまま眠ろうとするが、「子供はしっかり食べて、それから寝るー。そのほうが身体は大きくなるよー」とニンフに言われたので、確かに身体は大きくなりたいと、その言葉にギルは頷いた。


 並べられたいつもの焼き魚ときのこ料理。魚の頭と尻尾を手でつかみ、身をもぐもぐと食べながら、ギルは言う。



「ニンフ、ありがとね」


「なんだい、急にー」


 ニンフは、きのこの頭をかじりながら返事をする。



「いや、だってさ。短期間でこれだけ身体が動かせるようになったり魔法が上達したのだって全部ニンフのおかげだしさ。今までちゃんとお礼を言っていなかったなって」


「ちょっと、これから何かが起こるみたいな言い方はやめてよー」


「え? どういうこと?」


 ニンフの言っていることが理解できなかったギルが聞き返す。



「あー、うん、まぁいいや。でも、ステータスが上がったのは完全にキミ自身の努力の賜物だよー。ボクはきっかけしか与えていないからねー」


 そう言って、ニンフは「ニシシ」と笑った。あぁ、やっぱりこういう時間が好きだなとギルは思う。



「あとねー、ボクが感心しているのは、キミが回復魔法による無限修練を思いついたことでも、もちろん地形を利用してスライムを倒せるようになったことでもない。


 自分に言い訳をしないで、毎日限界を超えてまで修練して、その結果、運動発達障害にアビリティを上書きして克服してしまったことだよー。


 その疾患は言うほど簡単に克服できるものじゃないよね。でも、キミは言い訳をせず、下を向かず、前を向いて信じ続けた。それって凄いことだと思うんだー」


「ありがとう、俺……頑張るから」


 そうギルが伝えると、突然ニンフの表情が一変する。それは、今までに見たことも無い、焦りと困惑が入り混じったような、険しい表情だった。



「あの、どうしたの……?」

「待って! 今切り替えるから!」


 ニンフは普段聞いたことがない大きな声でギルに言う。宙に、見慣れない魔法陣を素早く描くと、そこから声が聞こえてきた。



「ギルー! ニンフー! 聞こえるかーい!? 今……目の前にヤツらがいる! 首に髑髏ドクロの目玉を通り抜ける蛇の刺青が入った男たち。ギルが探していた連中が!」


 少し声がこもっているが間違いない。クロベエの声だ。突然の連絡にギルは戸惑いを隠せない。大きく波打つ心臓の音が周りに漏れているんじゃないかと思うくらい、ギルは激しい動悸に見舞われた。



「この声の向こうに、奴らが、いる……?」


 祠は一瞬の静寂に包まれた。

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