第17話 揺るがない想い

 アルバーンがレイアガーデンを卒業したのはもう三十年以上も前の話であった。

 

 しかし、その遥か昔より〈ある伝統〉が設立当初から存在しており、それこそがレイアガーデンを王国随一の名門校と呼ばれるまでにのし上げた要因であることに疑いの余地はない。


 アルバーンは教壇の上から、レイアガーデンの概要について説明する。



――

【王国立レイアガーデンアカデミー】


生徒数 およそ千~千二百人(一学年三百~四百人 ※年度によって入学者数は異なる)

全国から学術、剣術、体術、魔術など、各分野の成績優秀者のみが集まる超難関校。

校則は様々あるが、その中でも独特と言えるのが、〈エンブレム〉と言われる制度。これは生徒同士で褒章エンブレムを奪い合い、その数によって成績の順位が決定されるというものである

――



 説明を一通り聞き終えたギルは、すぐに疑問を口にする。



「あの……〈褒章エンブレム〉って具体的にはどんな内容なんですか?」


 アルバーンは待ってましたとばかりに、エンブレムの詳細を語り出す。



「エンブレムには私も苦労したものだ。各テストやイベントの成績でも褒章エンブレムは与えられるが、〈決闘デュエル〉という生徒同士の直接対決、つまり戦闘による褒章の奪い合いがこの制度の真の狙いなのは間違いない。


 なぜなら、テストは回数が決まっているが、生徒同士、互いが合意すれば成立するデュエルはが定められていない。


 よって、大きく褒章の移動が起こるのはデュエルだと言える。デュエルには細かなルールが設定されているが、賭ける褒章によって敗者は勝者にごっそり持っていかれるしな」


 ギルはごくりと生唾を飲み込んだ。



(王国随一と言われている名門校の中ではそんな制度で成績が決められているなんて……。それじゃ、王国が本当に求めている人材が、戦術に優れている者か学術に優れている者かの、どちらであるかなんて明白じゃないか)


 今のアルバーンの説明を聞けば誰だってそう思うだろう。アルバーンはギルの考えを見透かすかのように話を続ける。



「ただし……だ。今のキミでもデュエルを避けていけば、テストの成績だけで褒章を十分に貯めることができるだろうし、成績上位で卒業することも不可能ではない。レイアガーデンを成績上位で卒業できれば、キミの将来は安泰と言っていいだろう。一生生活に困ることはないとさえ断言できる」


 それは確かに、一聴いっちょうした感じでは魅力的な話に聞こえる。でも――。



「でも、それはデュエルを卒業まで避け続けるのが前提ってことですよね? ボク、それはとても嫌だな。逃げ回って手に入れた成績上位なんてものに誇りを持つことはできない」


 ギルはこれまでもずっと、戦いから避け続けていたのだ。孤児院や幼稚園でいじめられていた時。いつだって、ムサネコやミーナが助けてくれた。ギルは何もできなかった。


 ミーナが暴漢に襲われた時だってそうだ。あの時はムサネコが助けてくれなかったらギルは間違いなく殺されていた。


 変わりたいとずっと思っていた。強くなってムサネコを殺した暴漢を見つけ出して復讐すると誓ったあの日からその思いは変わらない。



「冷静になりたまえ。キミは戦闘においては大きすぎるハンデを抱えている。呪いのアビリティによって〈戦闘自体ができない身体〉なのはキミが一番わかっているのではないかね」


 その発言にギルは思う。



(そんなことは今まで何万回と自分自身に言い聞かせてきた。それでも、生きているだけで心がざわついて仕方がない。生きているだけで悔しくて仕方がないんだ。そして、その原因はわかり切っている。ならば、じゃないか)


 ギルには自分が本当に進まなければならない道が見えてきていた。



「校長。確か、レイアガーデンには推薦もあるんですよね? 推薦入学の条件は何ですか?」


「……レイアガーデンへの推薦入学の条件は、学術と戦術。つまり、学業科目に加えて、剣術・体術・魔術の〈戦術一般科目〉を含めた出身校の校内総合一位、且つその成績を持ってレイアガーデンの書類選考から推薦試験を通過すること。つまり、キミが推薦を希望した場合、レイアガーデンへの〈入学は不可能〉ということだ」


 ギルの真剣な眼差しに何かを察したアルバーンは語気を強めた。しかし、ギルは気圧されずに聞き返す。



「それはってことですよね? 確認ですが、推薦入学を希望した場合、学術の成績については今回の卒業試験の内容を適用してもらえるんですか?」


「それはもちろん可能だ。だが、戦術試験はどうする?」


「戦術はこれから自力で何とかします。ボクは先天性の運動障害があるから、他の生徒と同じようにやっていたら絶対に上位になんていけるわけないですし」


 ギルの悲壮な覚悟にアルバーンはかけるべき適切な言葉を見失っていた。



「そうは言っても具体的な策はあるのか……」


「試したみたいことならあります。心の中にずっと思い描いていたことが――。けど、それは学校に通いながらだとできないものだから、ボクはしばらく学校を休学します。今から中等部卒業の十五の歳まで九年。九年間毎日、死に物狂いで鍛えれば、さすがのボクだって変われると思うんです」


「……」


 突然の告白にアルバーンは言葉を失った。かけるべき言葉が見つからず。無言のまま話を聞いている。



「それだと単位は取れないけれど、ボクは推薦入学でレイアガーデンに入ることしか今は考えられません。鍛えて戻ってきて戦術の卒業試験を校内上位でクリアして、今回の学術試験の結果と合わせてその年の校内総合一位を取れば推薦をしてもらえるというお話でしたよね」


 ギルがそこまで思い詰めていたなど、アルバーンは考えもしなかった。今、この少年は極めて強い信念を持って、この先の人生を決めようとしていることは十分に伝わってくる。


 しかし、子供の一時的な思い込みで、道を間違えてはならない。生徒に道筋を照らしてやることも教師の大切な役目なのだとアルバーンは思う。



「……キミはレイアガーデンに飛び級の特待生で入学できる人生を棒に振るというのか。その理由がレイアガーデンで逃げずに戦い、胸を張って卒業するためだと言うのならそれはきっと間違っている。人には向き不向きというものが必ず存在する。それは、宿と言い換えてもいい。キミの宿命は、その類稀なる叡智で多くの人を幸せに導くことなのだ」


 アルバーンの言わんとすることは、幼いギルの心にも染み入ってくる。おそらく、他人から見たらそれが最適解なのだろう。


 でも、他人にはボクの気持はわからないとギルは思う。自分の人生を生きてきたのは自分だけなのだから。


 少し俯き、唇を噛み締めながら、ギルは胸の内を口にした。



「校長先生やブランカ先生もそうですけど、……特にカロランさん、孤児院長のカロランさんには本当に申し訳ないと思っています。本当は早くアカデミーを卒業して、お世話になった分、金銭的な面を含めて恩返しがしたかった。


 けど、逃げ回って卒業するような真似だけはどうしてもしたくないんです。ボクは弱いのはもう沢山だ。誰かの手を借りずとも、がどうしても欲しいんです。


 ボクは、本当は知力じゃなくて運動能力……戦術の才能が欲しかった。けど、諦めていたんです。呪いのアビリティや先天性運動発達障害疾患のせいにして。でも、校長に教えてもらった国内一の名門校であるレイアガーデンが実戦重視の学校だって知ってしまったら、もう逃げられないじゃないですか。


 だからボクは孤児院を出ます。そうすれば孤児院のお金の負担も少しは減るし、誰にも頼れないからボクは強くなるしかない」


 アルバートは言葉を失っていた。それは、とても六歳の子供が口にする台詞ではなかったからだ。発想自体が世間の常識から逸脱している。


 強くなりたいことや施設に金銭的な迷惑を掛けたくないこともよくわかる。だが、まだ初等部に上がったばかりの子が施設を出るなどと聞いて許容できるはずがない。アルバートはギルを説得しようと試みる。



「しかし、それはあまりにも危険すぎる発想だ。世の中そんなに甘くはないぞ。この国の治安だって決して良いとは言えない。危険な目に遭う可能性だって――」


「危険な目にならこれまでにも遭ってます。でもまだこうして生きてます」


 そう言って、ギルは右腕の袖をまくって、肩口にある結合部分の傷跡を見せる。



「……ボクはね、死にかけたことがあるんですよ。だからこれからも大丈夫ってことにはならないかもですけど、自分がそうしたいんです。だからそうします」


 この少年の肩口の生々しい傷跡。大怪我であることは一目でわかる。こんなあどけない顔をした少年の身の上に、一体何があったのか。


 少年の断固たる決意を前に、アルバーンは半ば呆れ、そして彼自身も決意を固める。眼鏡を外し、それに息を掛けてハンカチで拭きながらギルに言う。



「最後にキミに問う。このあとの採点で卒業試験の学術科目の結果が出て、その内容でレイアガーデンの一芸入試に受かるのだとしても……後悔はないのだな」


「ボクに二言はありません、校長」


「わかった。そこまで言うなら私から孤児院長に説明しよう」


 そう言うと、アルバーンはギルの元へとやってきて、荷物をまとめ始めた。その行動に驚いたギルが言う。



「なにやってるんですか。まだ午後の試験があるんですよ」


「そんなものはいい。どうせそっちは受からんのだからな。それよりも、キミは強くなりたいのだろう? だったら一分一秒時間を無駄にしてはいけないのではないか」


 その言葉を飲み込むとギルは強く頷いた。



 アルバーンと共に孤児院へ戻ると、庭で畑仕事をしていたカロランに声を掛ける。二人はいきさつを説明し、彼女の説得を試みた。


 説得の最中、カロランはずっと複雑な表情を浮かべていたが、最後はギルの決断を尊重してくれたようだった。カロランは静かに頬を濡らしていた。ギルの目にも涙が光る。


 部屋でカロランと孤児院の子供たちへの別れの手紙をしたためていると、一度初等部に戻っていたアルバーンが、大きなリュックサックを持って再びやってきた姿が窓から見えた。


 玄関に迎えに行くとアルバーンは手に持っていたリュックを開けて、中に入っているものを一つひとつ説明してくれる。


 どうやら初等部に常備されている緊急避難用の防災リュックの中身を旅用に整理してくれたものらしい。大陸の地図やコンパス、水筒にナイフセット。固いパンばかりだが、非常食も沢山詰まっていた。


 ギルはアルバーンを見上げながら、泣き出しそうになるのを必死で堪えていた。



「校長先生……どうして出会って間もないボクにここまでしてくれるんですか?」


 その言葉を受けて、アルバーンは屈み込むとギルの頭をポンとはたいた。



「それはね。私がキミから沢山の大事なことを教えてもらったからだよ。短い間ではあったが、こんなにも驚きに満ちた時間を過ごしたのはいつ以来だろうか」


「え? ボクは何も――」


「そうだな、今はわからなくてもいい。だが、これだけは約束してほしい。必ずまた会おう――」


 そう言って、アルバーンはギルを引き寄せると、背中を大きな手でトントンと叩いた。二人を見守るカロランの目には涙がとめどなく溢れていた。



 翌日の早朝。ギルは孤児院を出て旅に出る。


 それは、全てが突然決まったあまりにも急な出来事で、ギル自身も鼓動が高まりっぱなしだったのは言うまでもない。



 ここで一つだけ付け加えておこう。


 ギルは一人で旅に出たわけではない。

〈クロベエ〉と名付けたムサネコの子供の黒猫と共に旅に出たことを。




第一章【呪われた少年】 完

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