第16話 王国随一の名門校

「天誅! 天誅ーッ!」


 子供は時として残酷だ。意味も分からないのに、本や人伝ひとづてで耳に残った言葉を乱発し、自分が賢くなったような錯覚を覚えて自分勝手に気持ち良くなる。


 そして、その言葉は意味を知る者には苦痛でしかないのもよくあること――なのかもしれない。


 初等部に入学してから三週間が過ぎた。ギルは下校時に決まって「天誅!」と叫びながらゴミや石をぶつけられるようになっていた。


 周りで見ている子供たちはただ薄ら笑いを浮かべるだけで、もちろん誰も助けることはない。



「こらー! あなたたち! やめなさいって言ってるでしょ! 次に見つけたら親に連絡するわよ!」


 しかし、確実に変化も訪れていた。担任のブランカがギルに目をかけてくれるようになったのだ。



「大丈夫、ギルくん?」


 小走りでギルのもとへとやってきたブランカが声を掛ける。



「平気です。なんだかすっかり耐性がついちゃったみたいで」


 目の前の少年はそう言って薄っすらと笑ってみせたが、その笑顔がブランカを余計に苦しめる。



(こんな状況にしてしまった一因は確実に私にある)


 ブランカがギルを気にかけるようになったのは、自分自身が楽になりたいという思いも確かに含まれてはいた。それでも、少年を救いたい気持ちに噓はない。



「こんなことに慣れちゃダメ。キミには信念がある。高い目標がある。私はキミが卒業試験に集中できるようにフォローすることくらいしかできないけど、心から応援しているわ。困ったことがあったら何でも相談するのよ」


 ギルはブランカに頭を下げると、いつものように図書館へと向かった。途中の道すがら、さっきとは別の初等部の生徒にゴミや石をぶつけられるが、ギルの意識はもう全く別次元に向いていて全く気にならない。


 もし怪我をしたら回復魔法で治療すればいいだけの話、それは何もなかったのと同じことだ――と。短期間で様々なことを経験したギルの精神力は明らかな成長を見せていた。





 そして時は流れ、四月最後の日曜日。

 前日に引き続き、ギルは人気ひとけのない初等部の校舎に足を踏み入れる。


 昨日は初等部の卒業試験が行われ、特に問題なく終了していた。ギルにとって本番と言えるのは、本日行われる中等部の卒業試験だった。


 正面玄関を入ってすぐ目に付く掲示板の前で足を止める。本日、試験が行われる会場は六年A組のようであった。不正がないように、どの教室で受験することになっているのかは当日まで伏せられていた。


 係の若い女性教師によって教室に案内されると、黒板に本日のスケジュールがチョークで書かれてあった。


 自然とそこに目をやると、予想していなかった言葉が飛び込んできた。昨日は存在しなかったにギルは言葉を失った。



【一限目 現代言語 二限目 数学 三限目 現代科学 四限目 大陸歴史 五・六時限目 戦術一般(剣術・体術・魔術)】



 ギルが呆然としていると本日の試験官の先生が二人、教室へ入ってきた。たまらずギルは彼らに質問をした。



「先生、あの……、昨日の初等部の卒業試験にはなかったのですが、〈戦術一般〉というのは?」


 試験官の二人は顔を見合わせると、年配の男性教師が説明をしてくれる。



「あぁ、初等部は安全性を考慮して学術試験のみだが、今日は中等部の試験だからな。戦術一般試験だって規定通りにもちろん実施するぞ」


(聞いていない! 校長先生はそんなことは一言も言っていなかった。ボクは騙されたのか? いや、そもそも知らなかったボクがいけないのか……?)


 試験を目前にギルは激しく動揺した。もうこの試験は中止だ。受かるわけがない。


 先天性の運動発達障害があるだけでも合格は不可能と断言できるレベルだったが、そもそもギルは剣術や体術の訓練を受けたことがこれまでの人生で一度もなかったのだ。



「どうかしたのか? 顔色が優れないようだが」


 試験官の言葉も耳には残らない。必死に状況の打開策に考えを巡らすが、答えがない問題に答えが出るはずもなかった。


 そうこうしているうちに一時限目の試験が始まった。ハッと我に返り、裏返しに配られていた問題用紙をヒラッとひっくり返す。真っ白な答案用紙を目の前にしてもギルはまだ思案に暮れていた。



(どうせ受かるはずのない試験だ。となれば、受けても時間の無駄。でも……)


 考えた結果、ギルは試験を続けることにした。



(今日の試験は間違いなく落ちるだろう。でも、普通なら学期末ごとに実施される卒業試験を特別な手続きを取って実現させてくれた校長先生。担任のブランカ先生やカロランさん。彼らに無理を言って実現させてもらったんだ。それに、落ちたとしても試験を一度経験しておくこと自体、次に受けるときの大きなアドバンテージにつながるはず。結論、この試験は受ける。そしてボクは落ちる)


 心を決めたギルは、一通り全ての問題に目を通した後、一気に回答を埋めていく。四時限目まで同じ調子で試験を続けた。そして昼休憩。



 一人、教室でカロランに用意してもらった弁当をリュックから取り出す。弁当のふたを開くとおにぎりが二つと卵焼き、そして孤児院の庭で栽培したと思われる野菜のピクルスが入っていた。


 早起きしてわざわざ弁当を作ってくれたカロランの顔を思い浮かべると心が痛む。



「ギルくん、調子はどうかね?」


 弁当を食べ終わって外を眺めていたギルは背後から声を掛けられた。この大きな声は校長だ。ギルは反射的に振り返ると、拳をぎゅっと握りしめて思いの丈をぶつけた。



「校長先生、酷いです! どうして中等部の卒業試験に剣術や体術が含まれていることを教えてくれなかったんですか!」


 ギルの言葉を表情の一切を変えず、黙って聞いていたアルバーン校長は、ゆっくりとギルの元へとやってきて、前の椅子に反対向きに腰かけると落ち着いた声で話し出した。



「酷い……か。確かにそう思われても仕方がないのかもしれん。それならついでに、少し意地の悪い質問をしよう。ギルくん、キミはあの時、私が剣術や体術の試験もあると言ったら、試験そのものを受けようと思ったかね?」


「それは……」


 言葉が淀んだ。ギルは再び頭の中を整理して口を開く。



「受けていないです。だってそうでしょう? 受かるはずのない試験なんて受ける意味がないじゃないですか」


「まぁ、そうだね。でも、私はさっき意地悪なことを口にしたが、意地悪な人間ではないと思っているよ」


「……どういうことですか?」


 少しの沈黙が降りた後、アルバーンはギルの肩をポンと軽くはたくと、すぐに黒板の前まで歩いていく。ぼんやりとギルが見つめる中、アルバーンは黒板にチョークで書かれていたスケジュールを消し始めた。



「何をやってるんですか! ボクが戦術一般試験なんて受けるだけ無駄だって言いたいのなら、はっきりそう言ってください!」


 ギルの言葉に振り返ることなく、アルバーンは黒板消しからチョークに持ち替え、何かを書き始めた。文字を書き終えると、チョークで黒板をカツッと叩く。



【一芸入試】


 黒板にはそう書かれていた。



「それってどういう……」


 アルバーンは振り返り、教卓に両手をついた。



「ギルくん、キミは〈レイアガーデン〉という学校を知っているかね?」


「もちろん知っています。王国随一と言われる合格最難関の高等部アカデミーです。全国から優秀な生徒しか集まらない超名門校だと」


 ふむふむと頷くアルバーン。



「では、これは知っているかね? レイアガーデンには推薦、一般試験、早期卒業試験、いわゆる飛び級制度のほかに、〈一芸入試〉があるということを」


「! まさか、一芸入試なら学術だけでも対象になる……?」


 知らなかった。入学式の後、卒業試験や飛び級のことをカロランに聞いたギルは、卒業試験の詳細も調べることもなく、入学条件についても全く調べてはいなかったのだ。


 さっきは校長を責めたが、それはまるでお門違いだったことに気づく。試験を受けようとする者が、そもそも試験について何も調べないということ自体、合格を自ら遠ざけていると言わざるを得ないのだ。


 ギルは己の浅はかな行動を恥じる。しかし、同時に可能性が一気に広がったのも事実だった。



「なるのだよ。一般のアカデミーで一芸入試を実施しているところはほとんどないのだが、レイアガーデンを筆頭に、この国の数校では一芸入試を実施していてね。キミの学力なら、一芸入試でも可能性があると私は思ったのだ。だから、特例での早期卒業試験を認めたし、手続きも行った」


 王国の人口は約三千万人。通称〈アカデミー〉と呼ばれる高等部の数は王国内におよそ千校だったはず。


 その中の数校で一芸入試を行っていて、その中に王国随一と呼び声の高い名門校〈レイアガーデン〉が含まれている……。ギルは押し寄せる好奇心を抑えることができずにいた。



「校長先生、レイアガーデンはどんな学校なんですか? 何か知っていることがあれば教えてください」


 アルバーンは眼鏡を指先で押し上げると、嬉しそうな表情を浮かべた。



「もちろんだとも。卒業したのは随分昔だが、実は私もレイアガーデンの卒業生でね。おそらく今もあの独特な校風や校則は変わっていないはずだから、詳しく教えてあげよう」


 ルナ王国では、高等部アカデミーが最高学府となる。すなわち、王国随一と名高い名門校〈レイアガーデン〉への入学、そしてその学舎を卒業することは、この国において〈一定の成功を確約された状態〉と言って差し支えなかった。


 ギルは固唾を飲んでアルバーンの次の言葉を待っていた。

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