第4話 魔法への誘い

 時は流れ、ギルは幼稚園の年中生になっていた。


 この頃になると、孤児院でのギルに対する嫌がらせはすっかりなくなっていた。トーレスを撃退した一件以来、ムサネコが常にギルと行動を共にするようになったからだ。


 ムサネコとはいつも一緒だった。夏は森へ昆虫を探しに行き、秋は庭で落ち葉を集めて焼き芋。冬はギルが作った雪だるまの周りをぐるぐる走り回って、帰ってきたらお風呂に一緒に入り、毎日同じ布団で寝た。


 ここまでムサネコがギルのそばを離れない状況だと、悪ガキたちは手を出せない。その巨大さゆえに、最近では「王国一の化け猫」なんてありがたくない称号で近隣の人々から呼ばれるようになっていたムサネコに挑もうとする子供などいるはずもない。


 一度だけ、悪ガキのボスのトーレスが懲りずに、罠を張ってムサネコを捕まえようとしたが、あっさり見破られて、ムサネコのネコパンチを喰らって普通に泣かされたということがあったくらいだ。


 子供では全く話にならない。もしかしたら、大人でも敵わないんじゃ? そんな噂が立つほどの存在感があった。



 孤児院でムサネコに、幼稚園ではミーナに守られながら、穏やかな日々を過ごしていたギルだが、常にモヤモヤした思いを抱えたまま過ごしていた。


 原因は明らか。運動能力が全く向上していないからだ。


 鍛えるために腕立て伏せをしても一度もできず。ダッシュをしたら一歩目で必ず転ぶ。鉄棒には1秒もぶら下がっていられない。


 運動力学もその原理も理解しているのに体が全くついてこない。これには理論派のギルもお手上げだった。どう考えても理屈に合わないのだ。


 ダッシュなんて、素早く足を交互に繰り出せば理論上はそれっぽい動作にはなるはずだ。なのに、ギルがやってみると必ず一歩目で転ぶ。この理由がどう考えても分からないのだ。ギルは途方に暮れるしかなかった。



 剣術や体術ができる子というのは幼稚園内でも何人か存在していた。彼らは貴族などの上流階級の子供たちで、貴族の稽古場に習いに行っているようだった。


 一方で魔法が使える子は園内に一人だけ存在した。ギルの唯一の友達であるミーナだ。


 ミーナは、すでに剣術、体術、魔術の指南を幼稚園に入った四歳から受け始めてからおり、その甲斐もあってか、同年代の中ではずば抜けた強さを身に着けていた。


 元々適正が高いのだろう。ギルがミーナの家に遊びに行くと、帰ってすぐに二時間以上は稽古をしているのだが、指南役たちも手放しで彼女を褒めている様子だった。



「ミナちゃんすごい。強いお姫様なんてかっこいいな。冒険小説の主人公みたい」


 ギルが褒めるとミーナは満更でもなさそうな表情を浮かべ、「ギルくんはアタシが守るんだから、もっと強くならなきゃ」と言って、額の汗を拭うことなく剣を振るのだった。



 年中生も終わりに近づいて、すっかり春めいた陽気に包まれたある日。ギルはいつものようにラバンのお屋敷に遊びに行っていた。


 彼女の一つ年下の弟であるヴィンセント・ラバンも幼稚園に入った時から指南を受けるようになっていた。いつも姉について回っているシスコン全開の彼は、ギルの存在がとにかく気に入らない様子なのだが、もちろんその事実をギルは知る由もない。


 ギルはラバンの屋敷の広大な庭の端にある、ひと際大きな木の陰で図書館から借りてきた本を読もうと布製のカバンを開いて中を覗いていた。中を漁っていると、背後からヴィンセントに声をかけられる。



「おいギル。お前、本なら自分のボロ家で読めよ。小汚い庶民がいると稽古の邪魔になるってわかんねーの?」


 ビンスは四歳。ギルやミーナの一つ下。この辺りを治める貴族の孫。ギルには両親はおらず、今は孤児院で暮らしている。もちろん、身分の差は歴然なのだが、普通に嫌な感じだなぁと内心思う。



「そんなこと言われても……。ボクはミナちゃんに声かけてもらって来ているのであって、ビンスに言われる筋合いはないっていうか……」


 ギルとしては正論を言っているつもりだが、貴族のお坊ちゃま&シスコンのヴィンセントには通じる訳もなく、顔を真っ赤にして手足をバタつかせる。



じゃねー! だろっ! 馴れ馴れしく呼ぶなし、さま付けろし!」


 語尾が独特すぎて何を言っているかよくわからなかったが、普通に怒っているのはわかる。でも、ギルがなんて言おうものなら……。



「コラぁー、ビンスぅーッ!」


 ミーナの全力ダッシュからの飛び蹴りがやってくる。真横から飛び蹴りを喰らったビンスは吹っ飛んで花壇に頭から突っ込んだ。



「うぅ、何すんだよぉ、おねーちゃん」


 花壇の中で泣き崩れるヴィンセント。



「アンタこそ、ギルくんに何してんの? アタシはアンタのお姉さま。ギルくんはアタシの大切なお友達。なんで弟ごとき分際のアンタにギルくんが付けしなきゃいけないのよ。何度も言わせてバカなの? 次にやったら、一生アンタとは口を利かないから。わかった?」


 すごい迫力で一息にまくし立てる。号泣していたヴィンセントもいつの間にか泣き止んで、目を点にして首を縦にカクカク振っている。姉には絶対服従ヴィンセント。



「ギルくん、バカな弟がいつもごめんね」


 すっかり慣れてしまったが、他人には凶暴なミーナがギルにだけに見せる過保護な態度ははたから見れば謎である。


 けれど、初めて出会った時からそうだったので、ギルは何の疑問も抱いていない。他に友達がいないので、友達とはこういうものだと思い込んでいる節さえあった。



「いいんだ。確かにボクはミナちゃんのお稽古の邪魔になっているかもしれないし」


 ギルがそう言うと、ミーナは慌てふためいた様子で言葉を続けた。



「ばば、バカなこと言わないでよ。ギルくんが邪魔になるわけないじゃない。あ、そうだ! それなら、ギルくんも一緒にやろうぜ、魔法のお稽古」


 突然の誘いに驚く。



「魔法? ボクが?」


 考えもしなかった。ギルは運動神経皆無で戦闘適性というものを持ち合わせていないと思い込んでいたから、主に戦闘に使用する用途である魔法も適正無しだと、どこかで決めつけていた。



「うん。ギルくん頭いいし、きっと向いてると思うよ」


 運動ができないために戦いに関する一切を諦めかけていたギルだったが、この時ばかりは気持ちの高ぶりを感じずにはいられなかった。



(そうだ。魔法なら運動ができなくても関係ない。どうして今までその可能性を思考から外してしまっていたのだろう。もしかしたら、ボクにも……)


「ボクやってみたいな。うん、ぜひお願い! ミナちゃん!」


 普段冷静なギルにしては珍しく興奮を露わにする。両手で握りこぶしを作って、前かがみにミーナの次の言葉を待った。



「あぁ、一緒にやろうぜ。ギルくん!」


 ミーナは満面の笑みを浮かべていた。勉強以外でギルと何か一緒にできることはなかったので、心底嬉しかったのだろう。その思いが表情に溢れていた。



「やったぁ! ありがとうミナちゃん!」


 そう言って、ミーナの手を自分の両手で包み込むと上下にブンブンと振って感謝の意を表すギル。


 初めはただ呆気にとられていたミーナだったが、それから「あわわわ」と言葉にならない声を発し、すぐに顔は真っ赤に。まるで長風呂にでも入っていたかのようにのぼせてしまい、芝生の上に仰向けにひっくり返ってしまう。



「どうしたのミナちゃん、大丈夫!? ねぇビンス、誰か家の人を呼んできて! 早くー!」


 ギルは慌てて辺りをぐるぐる見渡し、一番近くにいたヴィンセントに声を掛けた。



(おねーちゃんをたぶらかしやがってこのクソ庶民が。そのうち絶対ぶっ飛ばす……)


 ブツブツ言いながら、しぶしぶ小走りで使用人のところに向かうヴィンセント。姉が突然倒れたにもかかわらず、冷静な様子に見えたのがギルには信じられなかった。何なのだろう、一体。


 使用人のお姉さんを連れてくる間に、ヴィンセントは状況を彼女に説明していたようだった。


 ほどなくして、ミーナは介抱されるとすぐに目を覚ました。使用人のお姉さんがクスクスと笑いながら介抱していた様子がギルには何とも不思議な光景に思えた。


 ホッとして空を見上げると、陽が長くなっているのが感じられた。未知の世界に飛びこむのってこんなにワクワクするものなんだと思う。


 その日はミーナの体調を考慮して、普段よりも少し遅れて魔術の稽古が始まった。



次回予告:「新しい家族」

――――

★作者のひとり言


幼少期における、あの兄や姉との絶対的な力の差って一体何なんでしょうね。

「1分以内に取ってこーい!」とか理不尽なセリフが溢れていた気がする。。


まぁ、自分は兄なので弟は大変だったと思われ。。

弟よ、あの頃は苦労を掛けたな(;・∀・)スマヌ

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