第3話 ヴィルヘルミーナ・アルヴェスタ・ラバン

 ルナ王国は人口約三千万人を誇る、かつて大陸統一を成し遂げた大国。


 文明も発達しており、大陸の数ある国々の中でも生活水準は上位。この大陸統一の年は王国暦として制定されており、現在は王国暦1009年である。


 ギルの通うオーラミラ幼稚園は、王国の東、大海に面する貿易都市アルヴェスタの中でも海沿いに広がる坂の多い街オーラミラの長閑のどかな場所にあった。


 アルヴェスタの地は盟主、ラバン辺境伯によって治められており、街には古い西洋建築が立ち並び、その景観と相まって観光地としても人気のエリアで、特に昼間は賑わいをみせている。



 幼稚園に入園して二ヶ月が過ぎた頃。そこはギルにとってすっかり退屈な場所となっていた。


 この頃にはすでに図書館の本で初等部の高学年までの知識を学習済みのギルにとっては学習系は簡単すぎたし、一方の運動系はと言えばこちらは全くついていけず、ただ苦痛でしかなかった。


 これほど両極端な児童は見たことがないと保育士の先生たちは戸惑うばかり。ただ、長所がずば抜けているのも事実だったため、運動の不出来に関しては何も言われることがなかった。先生たちからは。


 幼稚園は学年ごとに二クラス、一クラスは約二十人で、運動系のカリキュラムを実施する際は二クラス合同で行われる。


 ギルの所属する〈ローズ組〉では、先生たちのフォローもあって、浮いた存在ではありつつも、特にいじめの対象になるようなことはなかった。


 しかし、隣の〈ブロッサム組〉の子たちはことあるごとにギルにちょっかいを出してくる。それが運動の時間がさらに苦痛に感じる大きな要因となっていた。


 足を踏みつけたり、転ばせるところから始まり、数人で囲み、先生たちの死角を作って頭や体を叩かれたりしたことも一度や二度ではなかった。


 

「おい、捨て子。お前いつも同じ服着てんな。ダッセー。きったねぇ」


 また絡んできた。憂鬱な気分になるが今は外での運動の時間。一人で教室に戻ることはできないし、戻ったとしても彼らは追いかけてくるに違いなかった。



「同じ服だけど、毎日洗ってもらっているし、下着は変えているから汚くないよ。だからそんなことを言わないで」


 ギルが言うと、ブロッサム組のリーダー格と思われるマーガスは、目を細め、蔑んだ視線をギルに向けた。



「はぁ? 毎日同じ服なんだから汚ねぇに決まってんだろ。それに何だこれ。ツギハギだらけじゃん。だっせーの。やっぱコイツ、すっげぇ貧乏じゃね? うちのママが言ってたぜ。貧乏人は一生貧乏のままだから、生きていても辛いだけだって」


「マジ? じゃあ、こいつもう終わってんじゃん」

「確かにこのツギハギだらけの服はダサすぎ」

「俺貧乏じゃなくてよかったー。こんなの着せられたら泣いちゃうぜ」

「ギャハハ!」



(いい加減腹が立ってきた。なぜこの人たちは見た目だけでここまで罵ることができるのだろう。それにこのツギハギだって、カロランさんが夜通し縫い付けてくれたものだ。そんな彼女の優しさも知らないくせに)


 

「うわぁーッ!」


 ギルはマーガスに掴みかかった。そのままの勢いでマーガスの顔を殴ろうとして、人生初のパンチを繰り出すが全然手前で空振ってしまう。



「きったねえな、触んじゃねぇよ。この捨て子の貧乏人が!」


 マーガスは語気を強めると、襟首を掴み返し、足をかけてギルを無理やり地面に倒した。


 あっという間に五人に囲まれて、ギルは全員からひたすらに蹴られたり踏みつけられる。苦痛に耐えながら体を丸め、頭を両腕で必死に守る。ギルにできるのはただそれだけだった。


 しばらく続いたその状況に飽きたのか、マーガスがギルの頭を力一杯踏みつけようとしたその時。


 これには、ギルにバレないように遠くからその様子を見つめていたムサネコも助けに入ろうとした(ムサネコは基本的には施設以外で目立つ行動は避けていた)のだが、彼は何かに気づき途中で足を止めた。



「やめなさいー! この卑怯者ぉぉッ!」


 踏みつけようとするマーガスの後方から声が聞こえたかと思うと、その声の主であろう女の子の全力ダッシュからの華麗な飛び蹴りがマーガスの後頭部に直撃し、ギルの真上を超えて飛んでいった。



「やべーぞ、ミーナだ! 逃げろー!」


 マーガスの取り巻きたちが一斉に散る。



「大丈夫かい? 少年」


 女の子はギルに手を差し伸べた。


 キミだって同い年じゃないかと思ったが、この状況でそんなことを言うのは無粋な気がして、「ありがとう」と伝えて、素直に彼女の手を取った。



「アタシはヴィルヘルミーナ・アルヴェスタ・ラバン。ブロッサム組だよ」


 ヴィルヘルミーナ・アルヴェスタ・ラバンは誰もが知る有名人だった。


 この元気で快活な女の子は、この地域を治める貴族、ラバン辺境伯の孫にあたるいわゆるお姫様。


 彼女自身、勉強も運動も同世代の中ではずば抜けているが、それよりもとにかく気が強いことで知られていて、「ラバンのじゃじゃ馬姫」と陰では呼ばれている。



「助けてくれてありがとうございます、ヴィルヘルミーナさま。ボクはギルガメス・オルティアです」

 

 ペコリと頭を下げるギル。



「もー、敬語は苦手だしやめて欲しいなー。そうそう、私のことはみんな〈ミーナ〉とか〈ミナ〉って呼ぶからキミもよかったらそう呼んでよ、


 目の前の女の子は、さっき男子に容赦ない飛び蹴りを喰らわせたとは思えない、キラキラした笑みを浮かべていた。



「うん、わかり、わ、わかったよ。改めましてさっきはありがとう、あの、えと、ミナちゃん」


 気づけば、まだ手を握ったままだった。正面から初めてちゃんと見た少女はギルよりも少し背が高く、薄青のワンピースによく似合う金髪が幅広で編み込まれたツインテール。少し目尻が上がった切れ長の紺青色の瞳が印象的な綺麗な顔立ちをしていた。



「そういえば、ギルくんって頭いいんだよね? 初等部の高学年まで勉強し終わったって聞いたことがあるよ。そうだ、アタシも色々教えてほしいし、今度うちで一緒に勉強しよーぜ」


(貴族のお嬢さまなのに、なんだこのフランクさは。コミュニケーション力も行動力も凄すぎるんだけど……)



「あのぉ、お誘いは嬉しいけど、ボク、その……孤児院に住んでるし、こんな身なりだし、ミナちゃんのおうちにお邪魔するとご迷惑じゃ」


 モジモジしながら時折ミーナのほうに目をやり、様子を伺いながら話すギル。少し意地悪そうに下から覗き込むような仕草を見せて、口元に笑みを軽く浮かべてミーナは言う。



「それはキミの本心なのかい?」


 意外な言葉だった。噂に聞くこの子の気性からすると、怒られるんじゃないかって思ったから。



「……ううん、全然本心じゃない。ミナちゃんのおうち、ぜひ遊びに行ってみたいな」


「おうっ、毎日来てもいいぜー」


「いや、それはさすがにちょっと……」



 ギルにとっての初めてのは、辺りを治める貴族のお嬢様。勝ち気で親切で気さくな人柄。困っている人を放っておけないなんてヒーローみたい。いや、女の子だからヒロインか。そんな風にギルは思った。


 しかし、二人はまだ幼かった。

 この先に待ち受ける数奇な運命に立ち向かえるだけの力はまだ足りない。



次回予告:「魔法への誘い」

――――

★作者のひとり言


やっとヒロインっぽい女の子が登場です。

ただ、この話はテンプレとは無縁なのでどうなることやら……

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