第2話 白い猫
孤児院ではムサシという名の白い猫を飼っていた。東の国の英雄譚に出てくる人物の名前を拝借したらしい。
猫としては規格外と言える大きさで、体長が約一・二m。立ち上がると一・五mもあり、体重は約四十kg。
およそ、平均的なサイズのネコの十倍ほどの大きさだ。ちなみに、年齢は十四歳というからギルより十歳も年上。
そして、さらに驚きなのが尻尾が二本あるということ。猫の尾が二本あるなんて普通はあり得ないのだが、生まれつきなので誰も気にしていないらしい。
施設の子供も初めは物珍しい猫に近づこうとするが、ムサシは一向に関心を示さない。そのうち子供たちは苛立ってちょっかいを出すのだが、そうするとほぼ確実に返り討ちにあった。
そんじょそこらの猫とは違うのだ。大人たちは冗談交じりに、「あれは化け猫だから近づいたらいけないよ」と怖がらせては、子供たちを遠ざけていた。
ギルはと言うと、もちろん怖くて近づくことさえできなかった。
ムサシは大きいのにとにかく素早くて力も強い。実際にギルの四つ年上で施設のボスであるトーレスが何もさせてもらえずに泣かされた姿を目撃した時には強い衝撃を受けた。
そんなある日、ギルがいつものように図書館から施設に帰ってくると、トーレスたち悪ガキグループと門を入ったところで出くわした。
現在、施設には男の子が七人、女の子が五人おり、そのうち悪ガキグループは四人で男が三人、女が一人という構成。
他の子たちとはたまに話すけど、このグループは相性が悪いというか、運動ができないことをからかわれたり、意地悪なことをされたりするために距離を取ることが多かった。
普段なら悪態の一つをつかれればそれで終わるのだが、この日はいつもとは違った。
「ガリ勉のギルじゃん。お前、また一人で図書館か。本なんて何が面白ぇの? あんなもん、字ばっかりでクソつまんねーじゃん」
トーレスの言い方にいつもより明らかに棘がある。おそらく、また悪さをしてカロランさんに叱られたのだろう。
いつものギルなら当たり障りのないことを言ってその場をやり過ごすのだが、好きな本をバカにされたことが妙に引っかかっていた。
「キミは字が読めないもんね。それなら本の面白さがわかる訳ないよ」
ギルはほとんど反射的に言い返してしまった。しかも悪いことに、字が読めないことはトーレスのコンプレックスだったようで、仲間の前でバカにされたことは彼が顔を真っ赤にして怒り狂うには十分な理由だったようだ。
「うるせぇ、ガリ勉のくせに生意気なんだよ」
そう言うと、トーレスはギルの胸を両手でドンと強く押してきた。その衝撃でギルは尻もちをついてしまい、次の瞬間にはトーレスがギルの上に馬乗りになっていたのだった。
「字なんか読めたって、ケンカが弱かったら偉くはなれねーんだよ。お前は一生本を読んでろ、バーカ」
目の前の状況が恐ろしくて言葉が喉から出てこない。だが、一発殴られたところでギルは決意を固め、ギリッと歯を食いしばり叫んだ。
「本を読めない奴が本を悪く言うな!」
それが気に障ったのか、火に油。トーレスが目で合図を送ると、仲間たちも加わってギルは彼らに体中を蹴られまくった。
彼らは薄ら笑いを浮かべていた。怖くて痛くて、でも誰も助けに来てはくれない。
(やっぱりボクは何もできない弱者なんだ。トーレスの言う通り、本なんて読んだって無意味なのかもしれない)
どうにもならない現実を打破する手段を持たない自分の無力さが悲しかった。空を見上げる目に涙が溢れて、謝って許してもらおうと思ったその時、白い何かがトーレスの顔の前を通過した。
物体の方向を見ると、そこには大きな白い塊。
「ムサシ……?」
そこには、毛を逆立てたムサシがいた。夕暮れに輝く眼が一層迫力を感じされる。
「いてぇーッ」
ムサシに気を取られて気付くのが遅れたが、さっきまで馬乗りになっていたはずのトーレスが、左の頬を押さえて地面で転げ回っている。
「血が、血が出てる……。畜生、このクソ猫、殺すぞ!」
トーレスは怯えと怒りが入り混じった表情で立ち上がったが、すぐにムサシが飛び掛かり、今度は右の頬をひと掻きした。
「いってぇーッ! ひ、ひぃぃっ! だめだ、殺されるぅ!」
焦ってダッシュしたため、靴が地面をズルッと上滑って転倒する。それでも手足をバタつかせてすぐに立ち上がり、一目散に逃げ去っていくトーレス。仲間も叫びながらその後を追いかける。誰がどう見てもムサシの圧勝だった。
これまでに読んだどんな小説にもただの猫が子供とはいえ人間に勝つなんて話は書かれていなかった。目の前の〈圧倒的な強者〉にギルの心は震えた。
「ボクを助けてくれたんだね。ありがとうムサシ」
テクテクと真横にやってきたムサシにお礼を言う。しかし、ムサシは無表情のまま、自分の前足を舐めたあと、その足で顔をこすり始めた。
「そりゃ伝わらないよね。でもいいんだ。本当にありがとうムサシ」
改めてお礼を言う。しかし次の瞬間、ムサシはプイと横を向いてしまう。
「あれ、ひょっとして反応してる? それなら、何か言い方が悪かったのかな」
しばし考え込むギル。
「じゃあ、キミはボクよりもだいぶ年上だから、〈ムサシさん〉ってのはどうかな? なんて」
クイっとムサシがギルのほうを向く。
「え……正解っぽい? でも、ムサシさんって何だか言いづらいな。う~んと、ならムサネコさんでもいい?」
「ニャー」
オッケーのようだ。
なぜ助けてくれたのはわからないが、ムサシは……ムサネコはギルにとって怖い存在どころか、何物にも代えがたい心強い味方だったのだ。
施設内で友達と呼べる存在のいなかったギルに初めて心を許せる相手ができた。それはギルにとっての初めての高揚感であり、心を温かいもので包まれたような感覚であった。
ギルとムサネコ。
この出会いはちょっと不思議な出来事で終わる話ではなかった。
世界を破滅から救える可能性。
その輪郭が見えてくるのはまだまだ先の話。
次回予告:「ヴィルヘルミーナ・ラバン」
――――
★作者のひとり言
作者の月本です!
小さな世界の中だからこそ、人間関係は大変そうです。
ムサネコさんがいてくれて助かりました。
そんなギルくんに次の回でも新しい出会いが待っている?
よければ次回もよろしくお願いします(,,>᎑<,,)
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