第7話 解決に向けて奔走する。そして……
閉じた瞼の裏側から目に映る、薄ぼんやりとした光が、徐々に色味を帯びてくる。それを見て、先ほどまでいた真っ暗だった地獄の世界から飛び出し、元の世界に戻ってきたことを理解した。
過去の世界でやるべきこと。それは自分自身と、俺の責任で未来を閉ざされた三人もの命を助け出すこと。悪魔から託された使命を思い返し、急いで目を開いた。
最初に目に入ったのは、自分の体だった。手と足、胴体の全てが付いている。手を顔の前に掲げてみた。握ったり開いたりを繰り返し、筋肉が盛り上がるのを感じた。
思わず痛みを感じてしまうほどに手を握り込み、生を実感した。生きている。俺は生きているぞ。とうとう元の世界に戻ってきたんだ。
そこでふと、周りの風景を見渡してみた。自分の目を通して見る風景に、なぜだか懐かしさを覚える。未だそれほど経っていないというのに、何年もの時を眠っていたかのように思えた。
三人の死の映像を観て、生きることの大切さを少しでも知った今考えると、思わず感傷に浸ってしまい、本来の目的を忘れてしまいそうだった。
しかし、今はそのときではない。彼らを救い出すこと。その目的を達成すれば、いくらでも感傷に浸り涙を流すことだってできるはずだ。
俺は、その場で見える風景に目を凝らした。悪魔によれば、目の先には線路に突っ立っている自分の姿があるそうだ。ということは、ここからもある程度は見えるはず。それなのに、俺の姿がまるで見当たらない。
恐らくそこにいるのだろうという見当の付く場所はあった。しかし、多くの野次馬が集まっているために、何も手出しできそうにない。どうやら、無理矢理行くしかなさそうだ。
俺は人垣の中を潜り込むようにして、また、掻き分けるようにして進み始めた。
「通してください!」
しかし、何度もそう叫んで進もうとしたが、一向に前に進めない。緊急事態の人間の野次馬根性は凄いものだ。誰もが我先にと押し合っているため、身を押し込むことができない。
それでも全身に力を入れ、このままでは野次馬諸とも線路上に落ちるのではないかというほど強引に進んだ。
彼らの膝の高さまで態勢を低くして進み続けていると、中ほどに差し掛かった辺りで徐々に自分らしき人物の姿が見えてきた。もうすぐだろう。俺は再度進み続ける。
「通せ!」
最後の力を振り絞ると、ようやく最前列に辿り着いた。時間にしてそれほど長い苦労ではなかったはずだが、一生分の運動をした気分だった。体の凝りをほぐそうと思い、立ち上がると全身を伸ばした。そうして、真下に目を向ける。
いた。目の前に俺自身がいる。
そこで、今まで考えていなかった現象について思い当たった。タイムパラドックスはどうなっている。果たして自分自身と対面することで、何かしらの不都合は起こりえないのだろうか。
それに、自分を助け出したあとに残るこの意識はどこに行くのだろう。まさか二重で俺という存在があり続けるわけでもなかろう。助け出した方の意識に戻るのだろうか。
肝心なところを悪魔に確認し忘れていた。そもそも、あらかじめ言っておいて欲しかった。
「大丈夫じゃ。お前が心配せんでもなんとかなる。私は悪魔じゃぞ」
何やら全く説得力のない、信用できない天の声ならぬ地獄の声が聞こえたが、信じても良いだろう。まさかあの悪魔が無策で送るはずもなかろう。俺は無駄な心配を捨て、目の前のことに集中し始める。
横に目を向けると、電車がどんどん近づいているのが見える。急いだほうが良さそうだ。俺は右手を差し出すと、叫んだ。
「掴まってください!」
目の前にいる当の自分自身は、あまりの鬼気迫った俺の形相を見て驚いた様子だった。そして、俺の全身をなめまわすように見た。
なんて顔をしながら見ているんだろうか。お前が今目にしているのは、地獄を経験した自分自身の姿だよ。
しかし、目の前にいる自分は自信を失したのか、俺から目線を反らすと、電車へと顔を向けて目を閉じた。
「やれやれ」
自分のことは自分がよくわかっている。何せ、俺もその感情を経験しているから。だから、今考えていることもすべて理解している。お前に必要なものは、俺が一番理解しているのだ。
俺は目を閉じた自分の肩を、無理矢理にも引っ張った。
「誰か手を貸してください」
野次馬に向けて言うと、彼らは水を得た魚のように続々と動き始めた。やはり、彼らは何をすれば良いのかわからなかったのだ。だから動けなかった。でも、そういうものだろう。
皆で力を合わせ、遂に自分自身を引っ張り上げた。これで完了だというのなら、ずいぶんとあっけないものだった。
例えるなら、今から野次馬の中の一人が大声を上げて狂い出し、暴れ馬のように暴れ始めて俺を線路へと突き落としても、ああやはりそうなる運命なのか、こんなに上手くいかないよな、と思ってしまうほどに。
しかし、それは杞憂のようだ。決して野次馬が暴れ馬に変身することはないし、俺と目の前でうずくまっている自分の立場が入れ替わることはない。これで、目的は達成されたんだ。
俺は駅のホームにあるベンチに座っていた。なぜかポケットの中に入っていた五百円玉を取り出し、そばにあった自動販売機で買ってきたコーラを呷っていた。
これを飲むのもどれくらいぶりだろうか。懐かしさのあまり、思わず泣いてしまいそうな気持ちになった。コーラを飲んで泣く人間はきっと、俺くらいだろうな。そう思い、また涙ぐんでしまった。
まるで馬鹿みたいに涙が溢れてくる。これほど泣くのもどれくらいぶりだろうか、そう考えてまた涙ぐんだ。これでは堂々巡りだろう。
そう自身で突っ込み、少し笑った。よほど泣くことに飢えていたようだ。感情を露出させる機会がどれだけ少なかったんだろうか。やれやれ、そうして目元を服の袖で拭いた。
引っ張り上げられた自分はというと、駆け付けた駅員によって連れていかれ、事情聴取を受けているようだ。これならひとまず死ぬことはないし安心だろう。
ずいぶんと疲れたものだ。思えば、この短い間で色々なことを経験してしまった。一時は死線を彷徨っていた俺は、悪魔によって地獄に落とされた。
そこでいきなり三人もの人間がお前のせいで死ぬと言われ、想定される未来を視せられた。そうして今のように自分を助けることになった。
この経験を経て、俺の心持ちに大きな変化が現れたように感じる。今にして思うと、当時の自分とは比べ物にならないほど希望に満ち溢れている。
現実世界における境遇には、依然として変わりないだろうが、考えが変わればそれは大きな差異となるはずだ。これからの人生に希望を持てるというのは、なんて素晴らしいものだろう。
そうして感慨に浸っていると、ふと目の端に見覚えのある人物が現れた。本来であれば車に轢かれるはずだった、汐里の姿だ。後ろからは斎藤課長と思しきスーツを着た男がにじり寄ってきている。
「付いてこないでください!」
汐里はそう叫んだ。ここは駅の中である。よって人も多い。しかも先ほどの騒ぎからまもなくのことだ。野次馬もまだ去りきっていない。
すぐさま異常を察知した駅員が走り寄ってくるのが見えた。また、野次馬達も集まりだし、一種の人垣が作られた。
これならよほどのことがない限り、もう安心だろう。俺と汐里は面識がないはずなので、声を掛けるわけにはいかない。だから一安心の溜め息をする程度に抑えた。
二人組の男女が俺の前に近づいてきた。もちろん、彼らだろう。
「すみません」
沙紀はメイド服姿のままにそう言った。
「さっきの方ですよね。これ、財布落としてましたよ」
続けざま、前の威圧的な言動とは比べ物にならないほど軟化したりょーくんは、そう言うと財布を両手で支え、名刺を差し出すように渡してきた。
「ああ、ありがとう」
「あの、俺のこと覚えてますよね。さっき会ったんですけど」
「ああ、覚えてるよ。メイド喫茶の店長だろう?」
「え? ええ、そうです。先ほどは失礼なことをしてしまって、すいませんでした」
彼はなぜか役職を知っている俺に対し、驚きとともに怪訝な顔をしていたが、置いておくことにしたようでお辞儀を見せた。彼は本当のところ良い人間なのだろう。たまたまああいった流れになってしまっただけだ。
俺は彼らに別れの手向けとして、微笑みを見せた。
「やあ、悪魔」
俺は最後の挨拶をしようと思い、虚空に向けて話し掛ける。数刻すると、浮いた悪魔が目の前に現われた。
「なんじゃ」
「君とはお別れだな」
「そうじゃな。できれば二度と戻ってきて欲しくはないのじゃが」
「あはは、気を付けるよ」
「本当かのう。まあよい。これからお前の意識はあちら側のお前に戻るはずじゃ」
「そうか。というか先にそれを言ってくれていれば、途中無駄な不安を感じずに済んだのに」
「良かろうが。その方が燃えるじゃろう?」
なんだか色々いい加減で、いちいち不安を抱かせる悪魔だったが、こいつがいなければ俺と三人もの命は助かっていなかった。そして、俺の心持ちも晴れやかになることはなかったはずだ。
これほどまでに人生に希望を持てたことは初めてだろうな。彼女には感謝してもしきれないだろう。命の恩人ならぬ、命の恩悪魔だ。本当に良かった。
「ふんっ、じゃ」
悪魔はそう言うと、後ろに振り向いた。やれやれ、よくわからない悪魔だ。そうして俺は、背を見せる悪魔に向け、右手の親指を立てた。
死ねば異世界に転生できると聞いて電車に飛び込んだのに、なぜか地獄に堕とされた アホウドリ @albatross00
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