六話 別れと過去と
『私の父親はね、護衛師——というよりは用心棒かな、なの。だから私も、父につられて小さい頃からいろんなとこを巡ってた』
だから、あなたが王太子様だって気づいたの、とミユナはあの日、そう言った。そもそも最初から、ただの平民の子だとは思っていなかったらしい。
そして彼女は、何気ないように己の過去を語り始めた。
——私が小さい頃に、父は母と別れたみたい。でも、あんまり覚えてないかな。少しだけ思い出せるのは、私とは違う黒くて長い髪くらい?その後は、ずっと父と一緒。
だけど、護衛の後ろにくっついてると、どうしたって襲われてしまう時があるの。母さんが別れたのはそれもあったみたい。
自分だけならまだしも、子供まで巻き込むわけにはいかないって。
だけど、母さんは私を置いていった。乳飲み子だった幼い弟は連れていったのにね。
父さんは私が用心棒の後ろにいても襲われないよう、殺されないように私を鍛えた。
自慢じゃ無いけど、元々運動神経良かったから。だけど、大きくなるにつれて無理も出てきたし——体力は増えたけど、やっぱり女の子はね。それに、父さんも今がいい状況とは思っていなくて、十三の時に私は、この村に住むことになった。
私にとって……
いや、違うか。
護衛師の娘としての私にとって、この村は最後の村だった。ただの少女としては、最初の村だけどね。
ミユナは一度、言葉を切った。カシルが見ると、ミユナの頬の涙の跡は、ほとんど見えないほどにまで乾いていた。
『父さんに最初私言ったんだよ。一緒に行きたいって。なんか嫌なことされても、私なら強い。自分のことは自分で守れるって』
『父親はなんて?』
カシルが尋ねると、こちらを見ないまま、ミユナは答えた。
『自分は父親なんだって言われた』
『………?』
怪訝な顔をしたカシルを、ようやく、ミユナは振り返った。
『親は、子供を守るための力がある。その力は、使わなきゃいけないんだ、って。そして、他も同じだと』
再び、ミユナは前を向く。
二人はどこかに向かって歩いていたが、行き先を決め先を歩いているのはミユナだ。一年近くの日をこの村で過ごしたカシルだが、森の中まで行ったことはあまりなく、どこに向かっているのかは分からなかった。
ミユナは、今までの流暢さを少しなくして、語り始める。
『守る力を持った人がいる。守られるしかすべのない人がいる。赤子と親のように』
二人の歩く道は、未だ茂みと木々に囲まれた薄暗いものだった。
『当たり前に加護を受ける人がいる。幸せに加護を与える人がいる。恋人のように』
しかし、次第に日差しが差し込み始めていった。
『人々の使命を背負う一族がいる。誰かも知らない人に、自分を預ける人々がいる。長と万民のように』
茂みを抜けた二人は、風景を見下ろせる小さな崖の上に立っていた。二人の下に広がるのは、村とは真逆の方向に広がる森だった。
この森の先にも、草原があり村がある。そしてその先には、王城がある。
『私が行けるのは、ここまで。昔はもっとどこにでも行けたけど、今の私は、この村に住む娘だったミユナだから』
遠い、遠すぎて見えない城を本当に見つめているかのように、ミユナは森の先を見る。
『カシルが生きるのは、この先。もっと先。広くて、賑やかな反面、暗いところもある場所でしょ』
カシルは思った。ミユナはきっと、城下町にいたこともあるのだろう、と。そうでなければ、こんな風に当たり前でありながら知らぬ人が多い一面を、知っているわけがない。
『私だって……カシルみたいな力があれば、父さんと一緒に行けたのかな』
ポツリと、ミユナがつぶやいた言葉はあまりにも小さく、カシルには聞き取ることができなかった。
『ミユナは、どんな俺が……俺だと思う?』
カシルが初めて——王太子とミユナになってから初めて尋ねた問いに、ミユナは笑って答えた。
『その答えを自分で悩んで、でも結局分からなくて友達に聞くカシルが好きだよ!』
『んー?真面目に答えろ!』
『いいじゃなーい』
いつものように二人ははしゃいだ。村の方からは、人のざわめきが聞こえていた。波の合間に響く砂の音のように、微かな声だった。
ふとミユナは、真剣な答えを返した。
『私に難しいことは分からないけど、自分で考えて、それに向かえるうちは、平気なんじゃないかな。王になっても忘れなければ大丈夫』
『何を?』
『この村のこと。私のこと。ライハのこと。カルのこと。それに、今のあなた自身のことを』
その言葉を頭で反芻させ、振り返った時には、ミユナはいなかった。さして長時間経っていたわけではないはずだが。幸いなことにカシルが覚えていた道を一人で歩くと、人の輪の中に、ミユナがいた。
それをみて、カシルはふっと笑う。
(ミユナは、俺に何も言っていない。あれは、過去の、あちこちを自分で歩いていた少女だ)
もちろんそんなわけはない。どのミユナも、同じミユナである。しかし、カシルが思ったことも、あながち間違いではない。
ただの村娘は、あんなことは言わない。
こうして、平民として暮らしたカシルは消えた。たった一人の少女以外の、人知れずして。
そしてその少女もまた、消えたのだ。
「ジャユンは、何がしたいんだろうな」
「僕には、まるで攻め入りたいかの様に見えるけど」
そんなわけないよね、と、ユラは笑った。しかしその笑みは明るくなく、真剣だった。
アラクトに、これほど他国の干渉があるのは珍しい。前例が少ない分、警戒も募った。
城へ戻る道中。答えの出ないはずの問いに、四人は頭を悩ませる。
テム達は、有事の際に駆けつけられるよう、どちらか片方は必ず別邸にいた。今日城へ帰ると聞いて、外に出ていたザナは慌てて帰ってきたらしい。
「……王妃殺害。第一姫誘拐。王太子が滞在する村の放火……」
突然言葉を並べ始めたセノに、しかし、なんだそれはと尋ねるものはなかった。それが何の羅列かが、分かりきっていたからだ。
「この並びを見ると、やはり、この国に野心があるようにしか思えないな」
ユラの言葉に頷いたザナは、一つの報告をする。
「ジャユンの商人が言っていましたが……彼の国では今、兵を育てているとか」
噂かも知れないので真偽はわからないとザナは付け足す。もし本当ならば、それはジャユンの戦支度だ。
つまり、アラクトに攻め入る予定があるのだ。
セノは相変わらずの無表情だが、ユラとカシルは言葉が出ないほど驚いていた。驚愕と言っていい。
二人が異様なほど驚くのには訳がある。
この国アラクトに攻め入ろうとする国など、ここ何百年もいなかった。
では、それはなぜなのか?
ここで一つ、昔語りをしよう。
とある国の……英雄となった王子と魔王の話を。
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