二話 麓の村で
「カっシルー!」
村の少女が、カシルに向かって駆けていく。
「ミユナ、おはよう。また随分とたくさん背負っているな」
「でしょ!今日はたくさん採れたの。少しいる?」
少女——ミユナが背負っている籠には、たくさんの赤いリンゴが入っていた。
見ているだけでほのかな香りがしてくるような、つややかで見事なリンゴだ。採れたてだからか、まだ雫がついている。それもまた美味しそうに見えた。
いかにも甘そうで、それでいて後味のサッパリしていそうなリンゴを食べるかと聞かれて、断る必要はない。理由もない。
「ああ、いる」
カシルがそう言うと、ミユナは嬉しそうに笑って、懐から小さなナイフを取り出す。
カシルはミユナから聞いて初めて知ったが、果物用のナイフはみな小ぶりらしい。ミユナのナイフは、その中でもさらに小さいのだそうだ。長さは、持ち手を入れても手のひらほどしかない。
丸いリンゴに切れ込みを二つ入れ、器用に少し薄めに切り取る。
受け取ったカシルが食べてみるとやはり甘く、僅かな酸味がとても美味しかった。
「ありがとう、ミユナ」
「いえいえー、お安い御用よ!」
ふざけた調子でミユナは胸を張る。
なぜ王太子と村娘が一緒にいて、親しく話しているのか。
それは、カシルの希望と、ジウナの支えによるものだ。
カシルは、ジウナが聞いたことに対して、こう答えたのだ。
『村人たちの暮らしを知りたい。どんな人々がこの国の根底を支えていて、どんなふうに生活しているのか知りたい。…できるか?』
カシルがそう言うと、ユラとジウナは顔を見合わせて微かに笑った。
ユラは面白そうに、愉快そうに。
ジウナは…
何故だか苦笑いに近い笑い方で。
『ユラ殿には、驚かされてばかりです…』
『いえ、たまたまだと思いますよ。あとはまあ、僕はカシルといる時間も長いので』
二人はそんなことを話すが、カシルにはてんで分からない。
聞けばどうやら、ユラが先にこの話を教えられた時のことで笑っていたらしかった。
ジウナに話を聞かされたあと、ユラは、
『カシルはおそらく、平民たちのことを頼むと思いますよ。確信はないですが、麓に交渉をしてみては?』などと言ったのだそうだ。
さすがカシルも、ジウナと同じく苦笑するしかなかった。
とまあ、こんなことがあり、カシルは二月前から、麓の村に住んでいる。
元々北部は、周囲を森に囲まれた地域だ。閉鎖的で、伝統や伝承が他と比べれば多く残る一方、若者にはいささか狭い。
そのため、少しづつ、僅かづつ、しかし確かに人口は減っていた。特に、北部中央ならまだしも、森の麓の辺境の村など、空き家が四、五軒あるのが常となっている。
カシルはそんな空き家の一軒に、訳ありの放浪少年として、かなり無理を通して住まわせてもらっていた。
——その後ろに、ジウナが動いたのは言うまでもない。
カシルはまだ十五歳であるし、あと一年で成人であるユラも、カシルと同じく
平民は大体十八歳が、大人と子供の境目である。成人は二十一歳だが、それとは別に、地方でばらつきのある年の境があるのだ。この北部では主に十八になると、大人の一員として認められる。子供だった少年少女からすると、それはとても嬉しいことなのだ。
もちろん、成長を見守ってきた大人も。
この村の、決して多くはない子供の中で、最も年長なのがミユナだ。
彼女は十七歳で、常に姉役として振る舞っている。また、子供の中の年長者ということで、半ば大人のようでもあった。その考えに子供らしさは少なく、彼女の思考の根は、十分大人びているのだ。
そのためか、ミユナはあっさりとカシルを受け入れた。
村の子供は、ミユナを慕っている。
それが幸いして、いつのまにか他の子供からも、カシルは仲間として認められ始めていた。
「よお、カシル。俺のもいるか?」
カシルにそう声をかけたのは、同い年ほどに見える少年だ。
縦に伸びたような体つきに、短く結んだ癖っ毛と猫のような目が親しみやすそうな印象の少年。彼が手に下げる、布を敷いたカゴの中にも、やはり赤く艶やかなリンゴが入っている。さらには、貝殻や椿までもがあった。
だがそれを見て、いや、見もせずに、カシルとミユナは言う。
「ライハ。それ、偽物だろ」
「そーよ、変なもんを仲間に売りつけない」
かなり鋭い言葉だったが、カシルとミユナから、なんの躊躇いも遠慮もない返事を食らっても、ライハは笑う。
言われた時の「うっ」と言わんばかりの表情も、全てがおふざけである。
「酷いなあ。こういうのは偽物じゃなくて、模造品とか細工とか芸術っていうんだよー」
ミユナがりんご売りであるのに対し、ライハは家で作られたガラス細工を売っている。男子の中では一番、子供全体だと二番目に年上ということで、ミユナとは仲が良かった。
「ウルサイ。食べらんない食べ物なんかいるか」
「うわ、ひでー。カシルは?」
いきなり話を振られて、カシルは取り敢えず苦笑いする。なんとも言えないというような微妙な表情で、カシルは言った。
「うん、まあ……ガラスは食べられないからな……」
言い切られこそしなかったものの、カシルからもやんわり見捨てられたライハは、さらにわざとらしいため息をつく。
「お前なあ。年上に向かってー」
呆れながら文句を言う……かと思うのだが、ライハはそのままカシルの頭をぐりぐりと撫でる。
「うわっ、やめろよ」
「そーよライハ。あんた、カシルより一つ上とは思えないほど子供じゃない」
それを聞くとライハは、ムッとした顔で答えた。
「いや、違うだろ。こいつが大人びすぎなんだろ」
おそらく子供らしいと言われる原因であろう言い返しをして、ライハはまた笑う。
つられて二人も笑う。
朝が終わり、小さな子供も三人の周りに来て、はしゃぐ。
森の麓の村で、いつもと変わらない一日が始まった。
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