二話 再会

 城に着き、カシルは東塔へと案内された。東塔とは王太子が住む、複数ある王城の塔のうちの一つだ。荷物は既に、主な自室となる二階と、物置である四階に運び込まれている。


 ユラが丁寧に、カシルを着替えさせる。

 本来ならばカシルは自身で身の回りのことができるのだが、ここは自由のきく別邸ではない。

 ただでさえ平民から貴族までの話題の的となっているのに、これ以上目立つのは得策ではないだろう、という二人の判断だ。


 襟のついた服にマント。足を膝下まで覆うブーツ。そして胸元には、王位継承者だけが持つブローチが飾られていた。

「仕方ないのは分かっていて言うんだが、相変わらずこの服は好けないな」

 軽いとはいえ動くたびに揺れるマントも、わざと細めに作られた靴も、慣れないと案外邪魔なものなのである。

 おまけに、カシルはこの類の衣装を好まなかった。

「僕は好きなんだけどね」

 ああ、と、カシルは思い出しながら言った。

「ユラはいつも服をキチッと着るもんな。おまけに夏以外はローブまで羽織る。髪もめんどくさがらず手を入れる。それに比べ俺は常に抜けた格好。どっちが本当の王家らしいんだか」

「人の向き不向きの問題だからね。まあ、仕方ないかな」

 ユラの服装もまた、別邸とは違う。今は、染めていない上衣を羽織り、靴も長いブーツではない。ユラの立場は、現王太子の従者候補。では位で比較すると、メイドや侍従長と並ぶ程度でしかない。召使い同然の者が、袖に草葉模様の入ったローブやら宝石やらを身につけられるわけがなかった。


 二人の、カツカツという靴音が廊下に響く。

 この主従の足音は、いつもピタリと合っている。同時なわけではないのに、テンポが揃っている。お互いの間に、寸分も狂わないようなリズムがあるのだ。


 いつもと違うのは、その周りに多くの人が付き従っていること。


「いよいよだね」

「実感はあるようでないけどな」

 足音が止まったのは、一つの大きな扉の前だった。木製のそれには、中心に彫り物が施されている。


 狼と薔薇だ。

 黒茶の木を削り生み出された美しい彫りと似た飾りは、カシルの胸元にもある。


 薔薇と黒い狼は、王家を表す。それがいつからでなぜなのかは、分かっていないが。


「父上、ただいま帰城いたしました」

 カシルが呼びかけると、内側から声が返された。

「入れ」

 カシルには、これが己の父の声なのか分からなかった。なにせ最後に聞いたのすら三年以上前なのだから。覚えていろと言うのが無理な話だ。


 内側から戸が開けられる。部屋がやけに広く何もないのは、ここが王の執務室だからなのだろう。その正面には、書類を積み上げた長机に座る男の姿があった。

「久しぶりだな、カシル。とは言っても、お互い長らく会っていなかったが」

 長い髪は深く濃い、滑らかでほとんど黒に近いような茶。瞳も一見すれば黒か茶のように見えたが、そうではない。窓から差し込む光は、その瞳が僅かに紫を含んでいることを教えるように照らしている。


 黒に近い茶や黒、濃紺などの髪や目を持つ者が多い中で、紫混じりの瞳を持つ者は珍しい。

 一方で、王家の血を引く者は必ずこの色の混じった瞳だった。


 もちろんユラのような例外もあるにはある。だが、それは本当に一握りで珍しい。


 目の前の男の瞳が紫混じりで、自分のことをカシル、と名で呼ぶのなら、この男こそが父なのだろう。

 カシルはそう思った。

 そう思う程度しか、カシルは父を思えないのだ。これもまた、仕方のないことである。


 小さい頃こそ父はよくカシルをかまい、別邸に移ってからも時折訪ねてはいたが、最近はそれもほとんどなかった。

「お久しぶりです、父上」

 礼をしながら言って、カシルは目線を横側に座る女性に向けた。

 珍しい明るめの茶の髪をふんわりと巻いて背に垂らした、美しさよりも愛らしさの勝る女性だ。

 彼女に向かっても、カシルは一礼する。

「ご出産おめでとうございます、リウネ様」


 リウネ、とは、王の側室を意味する三名みつなだ。妃は、嬉しそうに、楽しげに微笑む。

 笑うと、より幼く見える人だな、と、カシルは思った。


 父子の間に世間話や、たわいもない話が花を咲かせることなどないまま、今後の見立てなどを僅かに話し、二人は部屋を去ろうとした。

 本音を言えば、二人とも少しばかり居心地が悪かったのだ。


 カシルは、父とその二人目の妻と面会しているのであり、不快ではなかったが途方に暮れてはいた。


 そしてユラは、わざと王の隣にひっそりと佇む人物から目を逸らしていた。


 細くきつく三つ編みに結われた髪は、澄んだ濃紺だ。瞳の色は、深い黒紫。その顔立ちは、目元を除き優しげで、しかし目つきだけは厳しい。


 ヨハラである。


 今まで影のように口を開かなかった彼は、二人が去る前に声をかけた。

「この後、お時間はございますでしょうか」

 ヨハラは、カシルに問うた。——カシルだけを、見ていた。

「特に用はなかったはずだが。何か話したいことでもあるのか」

 カシルはやや偉そうに、言い方を変え低く見られぬよう態度を大きくして言った。だが、ガタイがいいと言うよりは引き締まった細身のヨハラには、猫の爪とぎ以下のようだ。

 特に表情も動かさずに、「夕暮れ時に、裏の門へお越しくだされば、あなたに贈り物を差し上げます」と言って去ってしまった。


 もちろんカシルは怪しんだ。王の側近など、次期王の自分にとっては警戒対象だったからだ。しかし、ユラは大丈夫だと言い切った。


 カシルが共に暮らしていて、ユラの言葉が嘘になったことはほとんどなかった。そこにあるのは、確かな信頼だ。頷いて、森の影の濃くなる夕暮れに裏の門に着く。


 そこには二人の人影をつれたヨハラが立っていた。

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