ep.03 篤史の真実
視線の先で、笠松さんが浮かべた表情をどう言えば良いだろう。怯え、怒り、そして僅かばかりの嬉しさ。その全てがない交ぜになった表情だった。
でも、そんな表情は直ぐに怒り一色へと染め上がる。
「何しに、来たの」
笠松さんはごろごろとした感情と共に言葉を吐き出した。
「今更、私の前に何しに来たの……ッ」
込められた突き刺すような思いが痛い。彼女の言うことは何の曇りもない正論だ。どの面下げて、なんて糾弾された僕でも思う。
僕が彼女にしたことは、どう考えても最低最悪で許してもらえないようなことだ。二度と顔向け出来ない。そういう類のことをしてきた。
でも、それを分かったうえで此処にいる。独りぼっちの彼女がいるこの屋上に。
だから、言う。厚顔無恥と言われたって良い。僕と笠松さんの間に今必要なことを告げる。
怒りに染まる瞳のさらに奥を、真っすぐ見据えて。
「仲直りしに来た」
単文。だけど、僕の目的の半分を端的に示す音の羅列に、笠松さんの時が止まる。
やがて僕の言葉を飲み込んだ彼女は、こう発した。
「は……?」
籠るのは、信じられないものを見るような怒り。それはさながら自分を殺した殺人者の命乞いを見ている幽霊のような感情だった。
うん、そりゃそうだよね。僕だって立場逆だったらそうすると思う。
「貴方、自分がしたこと分かってるの?」
「うん、分かってるよ」
「分かってて、仲直りなんて言えるの……?」
それでも、探るような物言いに笠松さんの揺らぎが見て取れる。
彼女の心にあるのは怒りだけじゃない。なら届く。届かせる。
「言うよ」
「最低」
「自分でも思う」
素直に認めて、それが彼女の癇に障ったのか更に笠松さんは眦を上げた。
「貴方は私が抱える虚しさの正体を知ってる」
「私は、私はただ愛して欲しかった。私を誰よりも優先してくれる誰かが欲しかった」
「それを知っていながら、貴方は私を利用し続けた……っ」
語気を段々と荒げる。荒々しさを増すごとに、留めきれない感情が涙となって現れる。
それでも悲しみにへこたれることなく、笠松さんは僕を鋭く睨みつけると激情のままに叫んだ。
「貴方が抱える虚しさを解消するための都合の良い誰かとして――ッ!」
あぁ、そうだ。つまり、そういうことだ。
僕が笠松さんにしてきた最低最悪なことは、唯一を求める笠松さんの思いを踏みにじって代替可能な誰かとして扱ったこと、僕の虚しさを紛らわすための都合の良い人間として利用したことだ。
“佐渡川高校のヒーロー”なんて渾名がある。僕が人助けをしている内に勝手につけられた不適切な渾名が。
は。ヒーローだなんてとんでもない。助けられていたのは、僕の方だったんだ。
助けられる人は僕を素直に受け入れてくれる。だって、自分じゃどうにもならないから僕を頼ってきた。僕の助言や助力を拒絶なんてしない。僕を蔑ろになんて、しない。僕の虚しさを慰撫するために、心地よさを得るためだけに人助けをしてきた。
だから、僕は僕から去ろうとする人は追わない。だって去ろうとした人は僕を拒絶した人だ。そんな無価値な人はいなくて良い。
これが僕の真実、僕の真意。こんな人間がヒーロー? 笑わせる。自分のためだけに人を助ける人間が、どうしてヒーローだなんて呼べる?
僕はヒーローなんかじゃない。自分勝手で、自分のために誰かを利用する最低で最悪なクソ野郎だ。
笠松さんの場合だってそうだった。僕の虚しさを紛らわす、絶好の相手としか思っていなかった。
にも関わらず、僕は笠松さんを大事にしてるように扱って、笠松さんの虚しさを失くせるような誰かとして振る舞って、彼女を騙し続けた。
笠松さんの虚しさを失くせるものを探そうだなんてふざけた提案だ。だって、笠松さんは解答を用意してくれていた。水族館、あのイルカショーで、笠松さんは心の内を明かしてくれた。本気で笠松さんを助けたいなら、そんな笠松さんに応えて求める解答を用意すれば良かった。
でも、僕はそうしなかったんだ。笠松さんが抱える虚しさは僕にとって都合の良いものだったから。笠松さんの虚しさは簡単に無くせるようなものじゃなくて、僕の虚しさを紛らわし続けるのに好都合だったから。
「人助け、なんておかしな話。貴方は人を助けるつもりなんてなかった。自分しか助けるつもりしかなかったのよね」
僕の虚しさは、すなわち、
「『自分自身を受け入れてもらえない』という虚しさ。それが貴方の虚しさ、そうでしょ?」
笠松さんが笑う。諦めたように、僕を嘲るように笑う。
そんな寂しそうな表情で、笑う彼女を見たくなかった。
だけど、それが僕の罪で、僕の過ちだから、まずは此処から認めなくちゃならない。
もう一度、2人で歩むために。
短く、しかし確かな力強さを持って僕は言い切る。
「そうだよ」
認めた瞬間、笠松さんは目を見開いて、傷ついた様子で目を伏せた。
僕から距離を取るように後ずさりながら震える唇で口を開く。
「最初に違和感を持ったのは、水族館の帰りで貴方の父親と会った時だった。何を言っても父親にまともに話を聞いてもらえなかった貴方は、諦めと現実を嘲るような
一歩、下がる。
「次に不思議に思ったのが、カラオケに行く前、失敗を責められたのに何も言い返さなかったこと。貴方が言ってた『去る者追わず』のスタンスにしたって無抵抗すぎるわよ。あれだけやられたのに何もしなかった。それがなんとなく気になった」
一歩、下がる。
「疑念を抱き始めたのは、カラオケ終わりにあの迷惑なヤツから話を聞いた時だった。アイツは貴方についてこう言っていたわ。心に穴が空いてるみたいだって。執着が薄いって。まるでいつかの、誰かみたいにっ」
一歩下がって、笠松さんの背中がフェンスとぶつかる。彼女は右手で金網を5本の指で握り掴むと、挑みかかるように吼える。その姿は誰にも理解されない悲しみを癇癪で表している子供のようだった。
そうだ。まるでいつかの誰かみたいに。
僕みたいに。
「そして決定的だったのが2日前の出来事よ。例えわざとじゃなかったとしても、貴方は私を選ばなかった。それだけで十分だった」
「……………………」
「結局、貴方は私じゃなくて良かった。私以外の誰かでも良かった。自分の虚しさを慰められるなら、誰だって良かったっ」
「……………………」
「誰だって良かったなら、私じゃなくて良かったじゃない。私にこだわる必要なんてないじゃない。私以外の誰かを助けて、自分の虚しさを紛らせば良いじゃない――ッ!!」
「ねぇ」と笠松さんは秋の終わりに吹く風のような声色で言う。
「――優しくなんて、しないでよ」
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