ep.04 これが良いのか

「それじゃあね、えー、皆さん。最近は寒くなってきたのでね、えー、風邪を引かないように注意してすごしてくださいね」

 

 11月16日。欠伸が出るくらいに退屈なおじいちゃん先生の話が終わり、放課後が訪れる。先生が手元のバインダーを閉じると、自由を待ちきれないクラスメイト達は鞄を持って一目散に各々の行きたいところへと駆け出して行った。

 明日にもテスト週間に入る。最後の自由時間を満喫したいんだろう。教室から去っていくみんなは生き急いでいるようで、なんというか目一杯日々を楽しんでいるように見えた。


(みんな余裕あるなぁ。テスト勉強って普通2週間前から始めるものじゃないの?)


 心の中で飛び出して行ったみんなのことをと刺す。呑気なものだ。もう少し危機感を持って、学生生活を送ればよいのに。

 忙しい彼ら彼女らの背中を見送って、特に急ぐ用事もない僕はゆったりと荷物をまとめる。テスト勉強のために普段は教室に置いている分厚い資料集とかもリュックの中に入れておく。


「少し入れすぎたかも?」


 気が付けば、リュックのふくらみがだいぶ大きくなっていた。持たずとも伝わってくる重みに少し辟易とする。持って帰るペースを間違えたかもしれない。

 ま、急いで全部持ち帰る必要もないし、少し減らしておこう。背負う荷物なんて軽い方が良い。

 改めてリュックの中身を詰め直していると、


「おい、篤史」

「ん……何、修二」


 少し刺々しい雰囲気を纏って、幼馴染が声を掛けてくる。


「一体何の用?」

「少し、話がある」

「でも、今日は――」


 今日は、えーと、草むしりの手伝いがある。あんまり彼女を待たせたくはないんだけど。

 言い淀んだ僕に、眉間の皺を更に険しくすると修二は有無を言わせない様子で先に行ってしまった。少しくらいは人の話を聞いてほしい。

 どうしようか。このまま無視しても僕は言いわけだけど、でもそれをしたところで修二は僕を放っておいてはくれないだろう。

 僕は知ってる。こういう時の修二が頑固だっていうことは。



 人気のない校舎に僕らが歩くスリッパの音だけが響く。校舎に残っている生徒はほとんどいない。いつも校舎を満たしている生徒たちの声はなく、人気のない校舎は不気味で、異世界感が溢れていた。

 誰もいない、誰をも感じさせることのない空間。まるで自分が現実から切り離されているような感覚がする。時折思い出したかのように聞こえてくる運動部の掛け声と吹奏楽部の金管楽器の音だけだけが、僕らが地続きの現実にいることに気づかせてくれた。

 

「何処に行くのさ」

「適当な空き教室だ。文化部の連中も使ってないような、そんなところだよ」


 修二はそう投げやりに言った。そんなところ本当にあるんだろうか。そんな疑問が首をもたげたが、口にはしなかった。答えてくれそうにも、ないわけだし。

 窓の外を見れば、冬の始まりらしい早い日没が空を描いていた。重たくて暗い雲と突き刺すような夕陽。世界は段々と明るさを失い、夜の到来を待ちかねている。

 1日が終わる。誰にとってもありふれて、誰にとってもどうでも良いようなくだらない1日が。

 そんなことを思っていると、修二が突然立ち止まってつんのめる。どうやら目的地に着いたらしい。

 横開きの扉に沿って視線を上に向けると『多目的室C』と書かれた案内板がある。授業でほとんど使わない、いやまったく使わない教室だ。半ば物置と化しているような教室で、中にはイベントごとで使いそうな設置物とかが置いてあったりする。

 埃が舞ってそう。そんな僕の気持ちなんか露知らず、幼馴染はがたつくドアをスライドさせて躊躇いなく入っていった。

 僕も後に続くものの、普段使わない教室に入るせいか何となく居心地が悪くて「失礼しま~す」なんて恐る恐る言ってみる。

 多目的室に入ってみると、やっぱり埃が空気中を舞っていた。呼吸をすると、咽かえるような埃臭さに息が詰まる。正直言って、長居はしたくない場所だった。今すぐにでも出ていきたい気分だ。

 とはいえ、今日の修二はそう簡単に離してはくれなさそうだけど。


「で、全体的に何してるんだお前」


 修二は怒気すら籠った声で僕に詰め寄った。

 

「何の話?」

「分かってんだろ、言わなくても」

「分かんないよ、言ってくれないと」


 残念ながら僕には人の心を読む能力は持ってない。きちんと言葉にしてくれないと、何が言いたいのかなんて通じないんだ。

 だけど、修二は僕に言葉を突きつける。


「自分の表情が分からない癖に惚けようとしてんじゃねーよ」

「…………」


 前にも似たようなことを笠松さんに言われた。水族館の帰り道。最悪な水の差され方をされたあの夜に。


「お前は、お前自身が思ってるより器用な人間じゃない。分かりやすいんだよ、お前は」


 呆れた様子で、修二は息を吐く。

 そんなに分かりやすいかな。自分では、器用に誤魔化せていると思ってるんだけど。

 全く納得していない僕に、更に修二はうんざりした様子で深い、深い溜息を吐く。それから仕方がなさそうに修二は言ってくれた。


「笠松葵とのことだよ。お前、何やってんだよ」


 ……本当に容赦なく突いてくるな、この幼馴染は。

 一番触れてほしくないところに、ずかずかと土足で踏み込んでくる。

 

「アイツのところにはもう行ったのか?」

「……行ってないけど」

「何でだよ」

「いや、なんでだよって」


 だって、もう合わせる顔がない。

 僕のやったことは笠松さんの傷を深く抉り取るような行為だ。抉り取るような行為と、分かっていてやり続けた。

 そんな僕が笠松さんの前に再び顔を出す? 出来るわけがない。


「これで良いのかよ」

「良いも悪いもないよ。修二は僕のスタンスを分かってるよね。来るもの拒まず、去る者追わず。僕の前から自主的に去ったんだから、彼女を引き止める理由なんてないよ」


 何度も繰り返してきたその言葉。レコードをかけるみたいに、すらすらと口から飛び出してくる僕の大原則。

 だけど、いやだからこそ僕のお題目なんて幼馴染には通じない。僕が築いた拒絶の壁を真正面から殴り壊すように、修二は核心をついて来る。


「篤史さ」

「……何?」

?」


 …………っ。

 「なぁ」と修二は、僕を呼ぶ。


「カラオケに行ったとき。お前、マジで怒ってたよな、珍しく」

「――――」

「俺と笠松が2人で話してた時、情けないくらい独占欲出してて嫉妬してたよな」

「――――っ」

「なぁ、篤史」

 

 2度目の呼びかけ。血が出るくらいに、僕は唇を噛み締める。

 うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさいっ。

 分かってるんだよ、お前の言いたいことは。

 分かってるんだよ、お前の言いたいことは――ッ。


「これが良い――」

「――良い訳ないだろっ」


 修二の耳障りな言葉を遮って僕は胸倉を掴んだ。


「良い訳ないだろうがっ。僕の失敗のせいで、彼女はまた1人になった。胸にを抱えながらまた1人になったッ! ただ冷たい季節を待ち望む死にたがりの女の子に戻ってしまったッ!! 認められるか、こんな結末っ。認めたくないんだよ僕は、こんな終わりを! あぁ、そうだよ。最初はいつもの通りだったよ。いつも通りに誰かを助けて、そういう嘘だらけのやり方で僕は彼女は利用したッ。僕はくそったれのクズ野郎だ!! 救いのないぐらいどうしようもない最低野郎だ! 何が“ヒーロー”だくだらない。こんな自分本位で、自分勝手なヤツがヒーローなわけないだろうがっ。誰も彼もが上っ面だけで判断しやがる。勝手に助けられた気になって崇めやがる。ふざけんな、ふざけんなよクソがっ。ひとりぼっちで誰にも理解されないと思い込んでる悩みを抱えながら、助けてすら言えない臆病者をで切り捨てられるような人間をヒーローなんて誰が呼べるんだっ。ちくしょう、なんで僕だったんだよ、なんで僕以外の誰かが彼女を見つけてやらなかったんだ。僕以外の誰かだったら、きちんと正しく完全無欠にはずなのに。なんで僕だったんだ、なんで足りない僕だったんだ……っ。僕じゃなければ、彼女はまた世界の片隅で縮こまらせなかったっ。彼女はきちんと笑っていられたはずなんだっ。何処にでもいる、ありふれた少女みたいに……ッ!!」


 言い切って、肩で息をする僕は修二を押し飛ばした。

 そして、最後に残った泣き言を絞り出す。

 震える声で、堪えきれない悲しみが籠った声で。


「嫌だよ、こんなの」


 彼女と喧嘩して、いや喧嘩にすらなかった決別から2日。たった2日だけで、もううんざりだった。

 寂しかった。つまらなかった。昨日なんか誰に話しかけられても反応できないくらい上の空だった。

 居なくなれば、そんな思いを抱くくらい、僕にとって笠松葵は大切な存在になっていたんだ。

 

「へっ、言えたじゃねえか」


 修二はせき込みながら、それでも満足げに笑う。


「そんな熱い思いを抱えてんなら、最初っからそう言えよ、馬鹿野郎」

「うるさい、色々あるんだよ、葛藤とか」


 後ろめたさ、とか。

 いつでも自分の道まっしぐらな修二には分からないだろうけど。


「で、どうするんだ」

「は? どうするって」

「そのまんまの意味だよ。そんな熱い思いを抱えてるお前はどうしたいんだって聞いてるんだ」


 どうしたいって、そんなの決まってる。

 また彼女と一緒に居たい。一緒に毎日を過ごしたい。

 そして、これは自分勝手で、ほんとの本当に何を言っている感じだけど。

 彼女が何の気兼ねもなく笑えるようになってほしい。

 胸にある虚しさなんて忘れて、心の底からの笑顔を浮かべるようになってほしい。

 でも、そんな願いを抱く権利すら僕にはない。

 僕は彼女を自分のために利用して傷つけた人間だ。そんな僕が彼女を求めることなんて許されるはずがない。

 逡巡して無言になる僕に、修二は呆れかえった様子で言った。


「この期に及んで何迷ってるんだよ」

「だって、僕は彼女を傷つけた」

「だったら謝るしかないだろ」

「もう許してもらえないかもしれない」

「そこは許してもらえるまで謝れよ。“狂犬”の笠松をあそこまで手懐けた時みたいに」


 手懐けたって……そんな言い方……。

 ジト目になる僕。だけど、それをどこ吹く風で無視した修二は笑う。


「だいたいお前、これまでだって笠松に対して散々好き勝手やってきただろうが、あっちからすれば正直何を今更って感じだろうよ」

「今回は程度が違うよ。良い? 修二。僕は彼女を痛めつけたDV野郎だ」

「DVって言葉選びがなんとなく先走ってんなと思うが……まぁ、それはそれとして、第三者の俺からするとただの喧嘩だっての」

「どうしてそんな風に思うの?」

「だって、お前は笠松の言い分を聞いてないから」

「いや、一昨日に聞いたけど」


 修二は知る由もないが、購買から笠松さんが飛び出して行った後に思いっきり罵声と共に彼女の思いを叩きつけられた。

 そのことを言うと、修二はあっけらかんと答える。


「あんな風に取り乱した状態の言葉だけで判断するのは、流石に浅はかだろ。きちんと話せよ」

「まぁ、それは、一理あるかもしれないけどさ……」

「っていうか怒るってことは、笠松はお前に期待してたってことだろ。つまり、それくらいお前は笠松から大事な存在って思われてたってことだ。だったら、お前がこれまでやってきた通りにやりたいようにやれば良いんだよ」


 笠松さんが、僕に期待。心当たりがない訳じゃなかった。

 確かに僕は笠松さんを自分のために利用して、彼女の虚しさを失くそうとしてきた。始まりは言い訳も出来ないくらい最悪だったけど、でもその中で笠松さんは僕に心を開いていた。

 だってそうじゃなかったら、自分の中の触れられたくない部分なんて教えない。

 だってそうじゃなかったら、素直な気持ちなんて言ってくれない。

 だってそうじゃなかったら、流した涙なんて見せるはずがない。

 笠松さんは誰をも寄せ付けない“狂犬”だったんだから。

 ほとんど独り言のような気分で、僕は零す。


「良いのかな、自分のやりたいようにやって」

「良いんだよ、自分のやりたいようにやって。俺を見てみろ、お前と笠松のデートに無理矢理割り込んで、1人で盛り上がるような奴だぞ」

「……あれは最悪だった。正直、今でも根に持ってる」

「はっ、それが言えるなら。資格は十分だろ。さっさと謝り倒して仲直りしてこい」


 幼馴染の力強い手が僕の背を押す。強く、強く。あんまりに強すぎて、前につんのめるくらい強く。

 でも、僕を肯定してくれる力強さのおかげで踏ん切りがついた。両の目でしっかりと前を見据える。

 もう迷わない。もう立ち止まらない。


「修二、悪いんだけど、彼女に今日は手伝えないって言ってくれる? 彼女っていうのは、えと」

「ボランティア部部長な。はいはい、了解。お前、いい加減、その周囲に目を向けない無関心さ直せよ」

「うん、分かってる。直すよ、これからは」


 彼女と仲直り出来たなら、必ず。

 建付けの悪い横開きの扉に手をかけて、僕は思いっきり開け放つ。


「行先は見えてるのか?」


 修二が僕の背中に問いかけた。

 僕は答える。


「うん、見えてる」


 行先は言うまでもない。彼女はあそこに居る。誰もいなくて、誰からも距離を取れて、自分を日常から切り離せる夕陽の残照が差し込むあの屋上に。

 肺を膨らませ、夕闇を抱いた空気を思いっきり吸い込む。冬の到来を感じさせる空気の冷たさは、もう気にならなかった。

 目前は、もう差し込む夕陽すらなくなった暗い廊下。夜闇が這い寄る先の見えなくなりつつある世界。

 それでも僕は決して躊躇うことなく。

 駆け出す。

 

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