ep.08 対話

 暗闇に消えていった彼の背中を見て、私は聞こえるように舌打ちを打つ。

 まったく一体何を考えているのか、アイツは。私を置いてけぼりにして、コイツと2人きりにするなんて。

 まったく、つくづく気が回らない男だ。私がコイツを苦手としていることなんて重々分かっているだろうに。

 それに、


(ゲストをほっぽり出してくのはどうなのよ)


 アイツの目的は私のはず。その私を置いていくとはどう言う了見なのか。首根っこを捕まえて問い質したい。

 

「置いてかれて拗ねる程度に情はあるのか」


 揶揄うような声色でソイツは言った。

 ナントカ修二。大井の幼馴染。

 ムカつく言い様に、私は目の前の男を睨みつける。けれど、修二は怯むどころか追撃してきた。


「篤史みたいに殴らないのか?」

「……気分が乗らないだけ」

「そっか、そっか」


 訳知り顔で納得された。ちょっと待て、今何を納得した? 何か特別な意味を勝手に付与されたようで気分が悪い。

 だけど、詰めたところで答えは来ないんだろう。少なくとも私では、このひょうきん者から言葉を引き出せないことはわかる。

 だから、話を先に進めることにした。


?」

「それでって?」

「とぼけないで。分かってるんでしょ」


 わざわざ無茶な我儘でアイツを遠ざけてまで、私と2人っきりになったのは校門でするはずだった会話をしたかったから以外にあり得ない。

 あの時、ニヤニヤ笑いの同学年はこう聞いてきた。

 『ぶっちゃけ、お前と修二ってどんな関係なの?』と。

 ほんとの本当にくだらない質問。私と大井は――


「――


 敢えて分かりやすく言うなら、ストーカーと被害者の関係に近いかもしれない。私の意志を無視して付き纏われているという点が……!


「優等生なアイツが、私のことを憐れんでありがたい救いの手を差し伸べてくれてるってわけ」

「やたら攻撃的な口ぶりだな。酷く突っぱねるのは、特別視することを恐れているサインに俺には見えるけど」

「……そのふざけたことを言う口を問答無用で黙らせてやろうかしら?」


 私の脅しに、しかし修二は肩をすくめるだけだった。まったくキいてやいない。二重の意味で。


「ち――っ」


 この2人は本当にやりにくい。なんというか強固な自分の世界を持っていて、それ以外を踏みつぶすだけの力強さがある。だから私の威嚇に簡単に揺らがずに、ここまで私に付き纏ってくる。

 私が悔しさに歯噛みしている間にも、修二は自分のペースで話を進める。


「ま、お前と修二の関係は今日のやり取りで何となく分かった」

「その納得を徹底的に否定したいんだけど」

「なんか良い感じだな、お前ら」

「どこをどう見たら、そうなるわけ?」

「そういうところ」


 どういうところよ。もう少し会話をしなさいよ、会話を。


「大体、貴方、私のことなんか大して知らないでしょ? なのに何でそんな自信満々に一人合点出来るわけ?」

「俺は別に笠松の視点で話してないからな」

「…………?」


 どういうこと? 意味が分からない言葉に首を傾げる。


「修二にとって今の2人の関係が良いものだって思ったんだよ」

「……ん、あぁ、そういうこと。変な言い回しをするわね」


 分かりにくい。そのくせ本人はなんとなくかっこつけてる感あるのが、ムカつく。何処から湧いて来るのかしら、その自信。言葉はね、伝わらないと意味がないのよ。

 だけど、私との関係が大井にとって良いものというのはどう言うこと? 別にあいつは私なんかいなくたって良いはずだ。

 優等生で、私と正反対な場所にいるアイツになんて。

 私の怪訝が表情に出ていたのか、修二は訳を語り出した。


「篤史はさ、今日楽しそうだったんだ。珍しく」

「楽しそうだった? いや、まぁ、確かに盛り上がってたけど……アイツもアイツでらしくもなく」

「違う違う、そっちじゃない」


 じゃあ、何よ。アイツが楽しそうにしてた場面なんてあったっけ?


「アイツさ、俺とお前が2人っきりになったら、不機嫌になってたんだぜ」

「は?」

「それに、カラオケの順番で俺に怒っただろ」

「……悪いんだけど、どういう意味なのかがまったく分からない」


 聞いてる限り、楽しそうどころか悪いようにしか捉えられないんだけど。それじゃ楽しそうどころか、楽しくない思い出でしょうが。

 修二は続ける。


「篤史は物事に頓着しないんだ。執着が薄くて、全てを――こう言っちゃなんだけど――どーでも良いものと思ってる」

「…………」

 

 それについては私にも心当たりがあった。

 カラオケに行く前にやってきて、大井をぶっ叩いた女子。あの時、大井は何も、何にも言い返そうとしなかった。

 ちょっとくらい言い返してやっても良かったのに。


「そんな篤史が珍しく執着を見せたんだ。自分の大切なものに手を出されるのを嫌がるようにな」

「大切なものって……」


 表現が不快だ。心の中が不自然に泡立つくらいに。


「必死になって笠松を俺に取られまいとしてる姿は、俺にははしゃいでいるようにしか見えなかったよ。テンション上がって、攻撃的になってるところとか特にな」

「…………」


 立て続けにそういうこと言われると結構困る。なんて返せば良いのか、戸惑いの気持ちが自然と胸に湧く。

 自然と湧いてしまう自分が、どうしようもなく嫌になった。

 私は、私を振り払うように会話を次の話題に進めた。


「大井は、何で……その、執着が薄いの」

「思うに心から何かが欠落してるんだろう。ぽっかりと心に穴が空いてるみたいだ。普通の人が持っているありふれたものをアイツは持ってない」


 穴。その言い回しに思い当たる節がある。

 胸に引っかかる。まるで喉に刺さった魚の小骨のように、小さいけれど無視をするには大きすぎる何か。

 大井の心に穴が空いてるというなら、私と同じで虚しさを抱いてるみたい。

 そんな考えが、ふと脳裏に浮かぶ。

 まさか、有り得ない。浮かんだ考えを切って捨てる。

 私と全く正反対の場所にいる大井が、私と同類だなんてあり得ない。


「篤史の奴が熱心にやってることと言えば人助けだが……なんていうかな、アイツにとって人助けっていうのは、食事とか、睡眠とか、呼吸とか、そう言ったレベルのものなんじゃねーかな」

「大げさすぎない?」

「かもしれない」


 修二が珍しく自信なさげに笑う。自分のペースでごり押していくのが持ち味の修二の自信がないってことは、本当に自信がないんだろうし、ごり押さないところに大井と修二の間の友情の確かさを感じた。

 でも、そうか、アイツが私に付き纏ってくるのは何か思いがあるわけじゃ、そういうわけじゃないんだ。それは、少し……って、一体何を考えてるの、私は。これじゃ私が何かアイツに対して思う所があるみたいじゃない――! あの迷惑野郎にっ!


「ちっ」

「流石にその舌打ちは脈絡なさすぎて困るんだが」

「気にしないで、全部アイツのせいだから」

「ほんと篤史には本音を隠さないよな、お前な」

 

 またムカつくニヤニヤ笑いを浮かべる修二。よっぽど私をおちょくるのが楽しいらしい。

 それだけでも胃がむかむかするのに、何故か彼は距離を詰めてきて、

 

「なぁなぁ、ホントのところはどうなんだ? 篤史のことどう思ってんだ?」

「何とも思ってない、思ってないってば」

「必死に否定するところが怪しいなぁ」

「うっとうしいわね、ほんとっ、貴方達幼馴染コンビはっ」


 胸に手を添え、と押す。押すけど、えっ、何? この壁を相手にしてるような感覚は……っ。筋肉すごいわねコイツっ。全然動かないんだけと?!


「ちぃっ」

「舌打ちのバリエーションが増えたな。それ、少年漫画の登場人物がやる舌打ちじゃね?」


 いちいちうるさい。そして、力押しじゃ敵わないから私は物理的に距離を取る。

 距離は詰めてこなかった。変わりにふざけた表情を顔から消して、柔らかい顔でこう言った。


「ありがとな」


 なんて。


「お前にとっては鬱陶しいだけだろうけど、お前にとっては迷惑なだけだろうけど、それでももう少しだけアイツの我儘に付き合っちゃくれねえか」


 珍しく下手に出てきた。痛快だ。興に乗った私は鼻を鳴らして答える。


「生憎と約束はしかねるわね。貴方の言う通り、アイツは私にとって鬱陶しくて、迷惑なだけの存在なんだから」

「…………そうか、それならそれで良い。アイツの友達としては、お前みたいな奴が傍にいてくれるだけで安心するよ」

「付き合う、とは言ってないけど?」

「付き合わないとも言ってないからな」

「……ムカつく」

「おいおい、それは暗に認めてるようなものだぜ、暴力系ツンデレガール」

「変なカテゴリーに私を入れないで」


 いちいちムカつくことを言わないと会話が成り立たないのかしら。そういうところが嫌なのよ。そういうところが。

 飄々とした修二とのやり取りにもううんざりしてきたところで、自転車のライトがこちらに向けてやってくるのが見えた。

 運転しているのは、見慣れた高校生。大井が帰ってきたんだ。よほど急いでいたのか、彼は激しく息を切らせていた。


「はぁ、はぁ、はい、買ってきたよ」

「おう、ありがと。ご苦労さん」

「笠松さんに変なことしてないだろうね」

「してないしてない」「したわよ」

「修二――っ」

「そんな怒るなって。ちょっと揶揄っただけだっての」


 ヘラヘラと答える修二に謝意はない。もう少し真面目に取り合いなさいよ。

 あぁ、ほら、大井はどんどん不機嫌な顔になってるし。

 買ってきたものを修二に渡しながら、大井は険のある声で問うてきた。


「で、何の話してたの」


 何の話か。そう言われると、とても大切な話をしていたような気もするし、修二の身勝手に振り回されていただけのようにも思える。

 ただ真面目に答えるのは、少々癪で心がざわつく、躊躇ってしまう。

 だから、私はこう答えることにした。


「「別に何も」」

「示し合わせたように、はもるところが怪しいよね」


 

 それから。

 修二が笑い、大井が修二を眉根を寄せて咎める。そんな2人を私は呆れた目で見ていた。じゃれつく幼馴染のやり取りに、私の居場所はない。この2人の在り方は唯一無二で、とても満たされたものだと思うから。

 だから、だからやっぱり、私と大井は違うんだろう。

 びゅうお、と強い風が吹きつける。夕闇に吹く風の冷たさが私の体温を奪い去っていた。

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