ep.07 ワガママ

 騒がしい店の外に出ると、もう日はすっかり暮れていた。目の前の通りを、ライトを付けた自動車が通り過ぎていく。エンジン音と排気ガスの臭いが途端に僕を現実へと引き戻した。

 隔離されたカラオケの店内は内装も相まって非日常的だ。だからこそ過ごした思い出というのは一時の夢のようで、過ぎてしまえば現実感が薄れていく。あの時間が本当にあったものなのか、なんて疑心が首をもたげていた。

 「ほぅ」と隣に立つ笠松さんが息を体に溜まった熱を外に出すように息を吐く。柄にもなくテンションを上げていた彼女は、ややくたびれた様子で呟く。


「……してやられたわ」

「あはは……」


 声に滲むのは悔しさ。どうやら笠松さん的には、テンション上げてしまったのが悔しいらしい。

 でも、


「楽しくなかった?」


 なんだかんだ言いながら、笠松さんだってハイテンションで合いの手入れてたわけで、楽しかったんじゃないだろうか。

 しかし、僕の予想に反してこんな感想を返される。


「びみょー」

「あんなに盛り上がってたのに?」

「盛り上がらされていただけよ。無理強いされた楽しさは、逆に苦痛」


 中々手厳しい。完璧主義な彼女には、生半可な楽しさでは満足出来ないらしい。

 それから、ぼそりと言う。


「正直、今日より貴方と2人で行った水族館の方がずっと楽しかった」

「…………へ?」


 い、ま、なん、て言った……?

 僕が彼女の言葉に混乱する中、笠松さんの頬はみるみるうちに紅潮していく。


「な、ばっ、今のは違っ、そういうわけじゃなくて……っ。貴方と一緒の方がマシってだけでっ」

「落ち着いて笠松さん。言ってる意味は変わってない……!」

「〜〜〜〜っ!!!!」

「えぅ……ぐ……ぅ」


 笠松さんの拳が腹に飛んだ。躊躇いなしのクリティカルヒット。これまでにない衝撃に胃袋の中のものが逆流しそうになる。

 けれど、結構赤信号な自分のことなんか気に掛けず、笠松さんは僕に畳みかける。


「このっ、この……っ。この、馬鹿っ……!」

「ま、待って、笠松さん……、今はっ、ほんとの本気で不味いっ」

「うるさいっ、うるっさい……!」


 なんて可愛いものじゃない。なんて暴力的な音が体内に響く。やたらめったらに振り回される笠松さんの腕の動きは予測出来ない。下手に止めることも出来ずに、僕は為すがままに殴られる。

 

「ふぅー、ふぅー、ふうー」


 やがて笠松さんは肩で息をして、その拳を止めた。

 それでも満足しきれなかったのか。笠松さんは叩きつけるように告げる。


「絶対に、そういう意味じゃ、ないっ」


 分かった。分かったから。


「とりあえず落ち着こ? ね?」

「ふんっ、分かれば良いのよ、分かれば」


 鼻を鳴らす笠松さん。とりあえず満足してくれたようで何より。

 叩かれた腹を摩る。結構鈍い痛みが残ってる。顔をしかめる僕を、笠松さんは少し申し訳なさそうにしていた。

 若干気まずい空気が僕らの間で流れる。ううむ……どうしようか。

 そんな風に悩んでいるうちに、僕らの空気を破るように背後で自動ドアが開く。


「よぉ、悪い。待たせたな」


 修二だ。そういえば、ジュースの飲みすぎでトイレに行っていたんだった。

 

「あー、喉痛い」

「はしゃぎすぎたんだよ」

「加減をしなさいよね、加減を」

「なんだよ、お前らだって盛り上がってたくせに」


 口を尖らせ、分かりやすく修二は拗ねる。だが、何かを思い出したかのような顔をすると、唇の端を釣り上げた。

 あ、これヤバい奴だ。


「おい、篤史。お前、あれ買ってきてくれよ」

「あれって?」

「アディマのコラボ商品」

「えぇ……」


 アディマというのはアディションマートというコンビニエンスストアの略称だ。今そこではコラボスイーツを売っている。

 

「嫌だよ、これから帰るんだから自分で買いに行ってよ。帰りがけに」

「やだ。腹減って動けない」

「えぇ……」


 どれくらい遠いと思ってるんだ。アディマ、県内に結構あるけど、なんでかここら辺にはないんだよね。自転車でもそこそこ時間かかる。


「……なぁ、頼むよ。奢るからさ」

「いや、でも……」


 パシリのようだし、それに何より……笠松さんと修二を2人っきりにしたくない。

 ただ、こういう風にごねた時の修二は中々しぶとい。無駄に時間が食われることは必至だろう。

 はぁ、仕方がない。


「わかったよ。行ってくる」

「おっ、サンキュ」


 そう言って修二は1000円札を渡してくる。遠慮なく受け取り、僕はさっさと自転車に乗る。

 面倒だけど行ってあげよう。さっさと済ませれば、それだけ2人の時間を減らせるのだし。

 ペダルに足を掛ける。力強く漕げば、深く冷たい秋の空気が僕の顔を打った。

 

 

 

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