ep.02 ざらつき

 下駄箱から外に出る。11月の秋空には引き延ばされたような薄い雲が張っていて、日の光は何処かとぼけた感じがしていた。

 良いとも悪いとも言い難い、微妙な感じのする天気だと、気分もなんだか微妙な感じがする。放課後の喧騒に満ちた空気の中で、僕は何処か気持ちの悪さを感じていた。

 秋真っ盛りと言った風情。だけど着実に冬へと近づいている。『冬』がいつから冬と呼ばれるのか、その厳密な区切りは分からない。ただ遠くない時というのは確かだ。時間はあっという間に過ぎていく。やがて空気はよりとした冷たさを帯びて行き、吐いた息は白くなるんだろう。

 タイムリミットは間違いなく近づいてる。笠松さんが待ち望む季節は、もう目の前にある。

 怖い。背筋に走る冷たいものを僕は否定できない。ぞくぞく、と隙間風にでも吹かれたように体が震えた。

 水族館では、次の冬で自殺を選び取ることはなさそうだなんて思った。今でもそう思っている。正直を言えば、今の笠松さんは死を選び取るほど底なしの絶望を抱えているようには見えない。ただ、それでも恐怖は纏わり付いて来る。薄氷の上を歩いているような感覚がどうしても拭えないんだ。

 自分の試みに手応えはある。間違いなく出会った頃よりは、ましな状況になってる。だけど、彼女が表面上どんな風に振る舞っていても、それが本心を映しているとは限らない。

 誰だって人は本心を隠すものだから。


(いけない、いけない。しゃんとしないと)


 怖れで鈍る自分を振り払う。今日は、笠松さんの楽しい思い出作りのためにカラオケに行く日だ。僕が辛気臭い顔をしていたら、折角の機会が無意味になってしまう。もてなす側がこんなんじゃ、もてなされる側も晴れやかな気持ちで楽しめるわけがない。

 気分を切り替えようと、息を深く吸う。吸った空気には、枯草の匂いが少しばかり混じっていた。確かな秋の深まりに、また気持ちが沈みかける。なんだか気持ちがネガティブな方向に引っ張られてるようだ。


(前のことが足引っ張ってるのかな)


 脳裏によぎる水族館帰りの最悪な遭遇。こびりついた最悪な出来事は、これから始まる楽しい時間に間違いなく影を差していた。

 何もあんなタイミングで出くわさなくたって良いだろうに。水族館ではなんだか良い雰囲気だったからこそ悔やまれる。あれさえなければ、胸を張って楽しい思い出って言えたのに。

 そこまで思って、もう取り返せない過去に拘泥する自身を律するために頬を叩いた。過ぎ去ってしまったものは仕方がないんだから、未来に目を向けないと。過去にこだわり続けても、意味なんかないなんて分かり切ってる。ただ、だからといって、


(それが出来れば苦労はしないよね)


 簡単に過去を振りほどけたら、それこそ笠松さんは虚しさなんて抱いてないわけで。人間はそう簡単に、過去を過去と割り切れる生き物じゃないことは確かだった。

 だからそういう割り切りをするにも、過去を塗り潰すほど良い未来にしてかなきゃいけないんだと思う。


「よし」


 行こう。今日の待ち合わせ場所は校門だ。僕より早めにホームルームが終わる笠松さんは、もう待っていることだろう。早く行かないとまた怒られてしまう。

 早く行かないと、なんて、少し可笑しい。あの孤高を気取る彼女が約束通り待ってくれている保証なんてないのに、待ってくれていると僕は確信してる。随分と自分に都合が良い考え方で、だけどそんな考えが浮かぶくらいに今の彼女を、いや僕と彼女の関係値を信じてる。

 だから、きっと大丈夫。このままこの試みを続けていれば、きっと笠松さんから死を遠ざけることが出来るはずだ。

 そう自分に言い聞かせた時にと強い風が吹きつけた。運動場から舞い上がったであろう砂埃が口に入り、口の中がざらつく。

 気持ちが悪い。口の中の不快な砂利を唾で集め、近くの側溝に吐き出した。それでもざらついた感覚は完全には無くなってくれなくて、嫌な感じはずっと口の中に残り続けていた。

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