ep.08 親
声の方を僕が振り向けば、そこには見慣れた男が街灯に照らされている。
「おかえり。随分と遅かったじゃないか」
その男は僕のことを認めると、親し気な声で話しかけてきた。
「あぁ、うん、まぁね、色々あって」
「今日は友達と遊びに行ったんだよな。どうだった楽しかったか?」
「そうだね、楽しかったよ」
平坦に答えながら、僕は内心焦っていた。今日何があったのか、何しに行ったのかは出来れば話したくないのが本音だった。
だけど、もう既に僕が笠松さんといるのは見られてしまったわけで、そんな僕の思いも霧散するしかないのだけど。
「ちょっとちょっと……誰?」
状況に取り残された笠松さんは、疑問と不機嫌さが混じった声で囁いて来る。
「僕の父親」
「父親ぁ?」
笠松さんが僕と父さんの顔を疑心暗鬼な様子で見比べる。
よくある反応だ。修二が言うには、目鼻立ちは似ているが雰囲気は似てないらしい。だからあんまり親子に見えないのだと。
それは僕にもよく分かる。
「今日、一緒に遊びに行ったのは、その
「……うん」
「……これか?」
特にこういうところが似ていない。傍らの女の子を指して、小指立てるところとか。
「違う。ただの友達」
「いやいや、照れんなって。これなんだろ? これ」
「だから違うって言ってるでしょ。良い加減にしてよ」
嫌悪を隠さず、声に載せる。だが、父さんはまともに取り合おうとしない。暖簾に腕押し、糠に釘。聞いている様子がない。
僕の隣に立つ笠松さんは目を細めていた。不快どころではない。静かな、何物をも切り裂くような怒りが顔に出ていた。
そんな笠松さんの様子なぞ、父さんは気にしない。いや、気に留めようとすらしない。最早彼女のことなんてどうでも良いようだった。
「お前が何処かに行くのが珍しいと思ったら、そういうわけだったんだな」
「ニヤニヤ笑い止めて、気持ち悪い」
「いやぁ、安心したよ。修二以外にもそういうヤツが出来たか」
うるさい。余計なお世話だ。心の底から嬉しそうな顔が余計に腹立つ。
どうせ僕の話なんか何も聞いてないくせに。
聞こうとしないくせに。
「いつも言ってるけど、お前はもっと遊んだ方が良い。遊びは良いぞ? 人生を豊かにしてくれる。学生時代の思い出は特にな」
「はいはい、もう何度も聞いたってそれは」
うんざりと言ったところで、父さんがまともに取り合う様子はない。あるはずがない。どこ吹く風と言った様子で自分勝手を語り始める。
「ただな、大事なことを忘れちゃいかん。お前、最近成績落ちてるだろ」
「それは……っ」
「少なくとも他のことにかまけている余裕は、ないはずだよな?」
それから更に畳みかけてくる。
「色々手助けしているようだが、他の人を顧みられる立場なのか?」
「だけど父さん、それは……っ!」
「だけども、それはもなしだ。俺は何か間違ったこと言ってるか?」
「……言ってない」
僕が認めてやると、目の前の男は満足そうに頷いた。
「じゃあ、俺は知り合いと飲みに行くから、お前も遅くならないうちに帰れよ」
「うん……」
そうして言いたいことだけ言った父さんは去っていく。
街灯が多い、大通りに繋がる道を歩いていく。
「…………」
「…………」
「…………ごめんね、笠松さん。なんか妙なのが、出てきて」
傍迷惑なヤツの登場で、空気がしらけてしまった。交通事故のような最悪の遭遇に僕は歯噛みする。
隣で佇む笠松さんは、嫌悪も落胆もない、不自然なほど平坦な表情を浮かべていた。どういう感情なのだろう、それは。色んな表情の彼女を見てきたけど、こんな表情は初めてだった。
と、とりあえず時間が遅くならないうちに帰ろう。こんなところで足を止めているわけにはいかない。夜の口はいつでも彼女を飲み込めるのだから。
「じゃあ、笠松さん、行こっか。こっちでよかっ――」
「――良い」
「え……?」
「だから、良いって言ってるの」
笠松さんはぴしゃりと言った。
「……いや、でも」
「もう近いから大丈夫よ。本当にすぐ傍だから」
ただ、拒絶する笠松さんの声は心なしか優しかった。
見ていられないものを前にしたような、そんな声色だった。
あるいは、胸に抱える罪悪感から押し出されたような、そんな言葉遣いだった。
笠松さんが一歩前に出る。僕の方を一瞥すらせずに、先へ行ってしまう。
引き留めることすら出来ない僕に、彼女はぼそりと呟いた。
「それに――」
――それに?
「そんな顔をしている貴方に気遣われるのは、胸が痛むから」
含みのある言葉を残して、笠松さんが去っていく。暗い、街灯の少ない道を迷いなく真っすぐに、振り返らずに。
曲がり角を曲がって彼女が見えなくなっても、彼女の言葉は消えてくれない。
僕は一体どんな顔をしているんだろう。
頬に手を当てる。
触ったところで、自分の表情の形なんて分かりはしなかった。
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